2 これ以上、『聖杯の御幸』を後回しにするわけにはまいりません


「どういうことだ!? いったい何を考えている!?」


 室内に控えていた侍従のラソルに、セスと名乗った新しい従者を送り出させたアレンディスは、執務室にネベリスと二人きりになった途端、卓に乱暴に手をついて立ち上がり、涼しい顔で立つネベリスを睨みつけた。


「セスと名乗ったあの少年――いや、『彼女』はセレスティア・マスティロス公爵令嬢だろう!?」


「おや、ひと目で気づかれてしまいましたか。……これは、もう少ししっかりと変装させねばなりませんね。もしくは、できる限り人目にふれさせぬように工夫するか……」


「そんなことはどうでもいいっ!」


 ばんっ! と遠慮容赦なく手のひらで卓を叩く。


「あれは何だっ!? なぜセレスティア嬢がセスと名乗って男装している!? 彼女の見事な金の髪を……っ! お前が無理やり切らせたのかっ!?」


 美貌と並んで豊かで美しい髪がたっとばれる貴族令嬢である彼女が、どんな思いで髪を切ったのか。考えるだけで目がくらむ心地がする。


 だが、刺すようなアレンディスの視線に返ってきたのは、さも当然と言わんばかりの頷きだった。


「マスティロス公爵令嬢と周りに知られた時のほうが彼女の身に危険が及ぶことを考えれば、当然の措置です」


 アレンディスが何か言うより早く、ネベリスが冷ややかに言を継ぐ。


「そもそも、陛下が『聖杯の儀』を執り行うことに不安がなければ、セレスティア嬢を少年従者に化けさせる必要などなかったのですが」


「っ!」


 ネベリスの真っ当すぎる指摘に、胸をやりで突かれたように息が詰まる。


 両手を握りしめた拍子に、つい先ほどまで書いていた書類が手の中でしわくちゃになる。乾いていないインクが手についたが、それすら気づかない。


 アレンディスの心のうちなど頓着とんちゃくした様子もなく、ネベリスが淡々と告げる。


「もうこれ以上、『聖杯の御幸』を後回しにするわけにはまいりません。貴族も民も新王の祝福を待ちわびております。前国王派がいまだ国内にくすぶっている以上、これが最善の手段なのです。ご理解を」


「……わたしが理解できずとも、進めるのだろう。お前は」


 稚気ちきだとわかっている。だが、言い返さずにはいられない。


「的確にわたくしを把握していただけているようで、何よりでございます」


 慇懃無礼いんぎんぶれいに応じたネベリスが一礼すると部屋を出ていく。


「くそ……っ!」


 どかっ、と乱暴に身を投げ出したアレンディスを重厚な椅子が受け止める。


 き整えられた金の短髪をかき乱し、吐き捨てられた低い呟きを聞く者は、ひとりもいなかった。


   ◇    ◇   ◇


 アレンディスに目通りをした翌朝。


 王城の広間に詰めかけた多くの貴族達の前で『聖杯の御幸』に出ることを宣言し、万雷の喝采を浴びるアレンディスを、従者として控える広間の隅から見ていたセレスティアは、出立と同時に宰相であるネベリスの馬車の中にいた。


 昨日は、正体がばれたのかと肝が冷える思いをしたが、何も言われていないところを見ると、どうやら大丈夫だったらしいとほっとする。


 というか、まさか名目上はアレンディスの従者である自分が、ネベリスの馬車に乗せられるとは思ってもいなかった。


 疑問が顔に出ていたのか、ちらりとセレスティアを一瞥いちべつしたネベリスが、すぐに手元の書類に目を落としながら告げる。


「万が一にも正体がばれるわけにはいきませんからね。――お互いに」


 硬い声音に、セレスティアは無意識に唇を噛みしめる。


 前王太子の婚約者であり、父が強硬な前国王派であったセレスティアは、逆賊の娘だ。


 こんな事態でなければ、セレスティアがアレンディスに仕えるなど、決してなかっただろう。むしろ、この状況でセレスティアを利用しようとするネベリスの豪胆さには驚くほかない。


「『セス』に接する人間は極力制限します。基本的に、『聖杯の儀』以外の時は人目にふれることはないと考えておくように」


 書類から顔も上げずにネベリスが告げる。


「かしこまりました」


 従者としてわきまえていることを示すべくあえて恭しく一礼する。


 アレンディスの従者というのは、あくまでも『聖杯の儀』に怪しまれずに列席するための建前。


 そちらのほうが、セレスティアとしてもありがたい。いつ誰に正体がばれるかと不安に思い続けるより、ずっとよい。


 ネベリス側の都合だと知りつつ、内心感謝して頷いたセレスティアは、揺れる馬車の中で熱心に書類を読むネベリスを見るともなしに眺める。


 ネベリスの座席の横にも足元にも、たっぷりと書類が詰め込まれた木箱が置かれていた。


 移動する馬車の中でもそれらに目を通さねばならぬとは、驚くほどの仕事量だ。


 いや、ネベリスにとっては当然のことなのだろう。彼はこれから、新王アレンディスを祭り上げた者として、オルディアン王国を統率していかねばならぬのだから。


 オルディアン王国において、国王とは、単に最上位を示す称号ではない。


 この国においては、もっと特別な意味を持っている。


 オルディアン王国の王族は、この世界を創った神々の中でも、夫婦神である天空の神オールディウス神と大地の女神ディアヌレーナ神の加護を受ける国と言い伝えられている。


 二神の加護を最も強く受けているのは王族だ。


 王族には特別な魔力が宿っており、それを聖杯を通じてオールディウス神とディアヌレーナ神に捧げることで、王国に豊かな実りをもたらすことができる。


 だが。


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