第3話 さようなら
魃の魔女は俺のことを真剣なまなざしで見詰めている。だけど彼女から聞かされた話は俺にはあまりにも壮大なものに聞こえてしまう。
「悪いけど。俺に何かを期待されても困る。俺はただの…モブ…なんだから」
俺には名前さえもふられていない。登場人物でさえない。何ができる?そんな奴に…。
「そう。…わかってる。無理強いはしないわ。だけどね。世界はあなたには優しくできていないのよ」
世界が優しくないなんて、物語の世界も、現実の世界もきっと同じだ。モブの俺もユーザーたちも作者でさえ理不尽な世の中を呪いながら生きている。主人公みたいな一部の輝ける星々を見て羨ましいという感情に蓋をして生きていくだけだ。
「また会いましょう。アドニスの裔」
魃の魔女は席から立って、隣の車両に移った。その瞬間、真っ暗だった外が夕暮れのオレンジ色に染まった。そして社内の電光掲示板には岡山行きの文字が表示される。そして電車はすぐに岡山の駅に着いた。駅を降りると300m級のビルがあちらこちらに林立する大都会の風景が俺の瞳に写った。
「現実の神戸とか東京とかもこんな感じなのかな?」
きっと違うだろう。この街は物語の見栄えをよくするために設定された舞台。きっとこの大都会岡山は人々の心の中にしかない幻想の姿なんだろう。気落ちしていた俺は繁華街へと向かった。何か美味しいものでも食べてから帰りたかった。そしてファストフード店に入り、期間限定の桃太郎風黍団子バーガーセットを頼んで、窓際の席に座る。窓の向こうから見える風景は俺には現実に見える。飲み屋を探すサラリーマン。ナンパされて気分を良さそうにしているお姉さんたち。男女で構成された学生たちのリア充グループたち。そんな当たり前の人たちがこの繁華街で楽しんでいる。
「ここには何の嘘もないだろう。だったら俺に何かをする必要なんて…あれ?父さん?」
ふっと目をやったところに父さんの姿が見えた。ダンディな茶色のスーツに同系の色の帽子を被ったお金持ちのパパスタイルだった。そしてその隣にはピンク色の髪の女の子が見えた。二人は楽し気に談笑している。
「うわぁ父親のパパ活見ちゃったぁ…気まずい…」
わかっていたこととは言えども、種付けおじさんが通常業務しているところを息子としてみるのは抵抗感しかない。だけどそんなどうでもいい気持ちは、女の子の顔を見た瞬間に吹き飛んでしまった。
「あいつ東海林
父親がパパ活している相手がまさかの主人公くんの暴力系幼馴染だった。俺はすぐに店を出て、彼らの後をつける。
「いや。すぐにでも止めないと…でも…あれ?なんで…」
俺には父さんたちの間に割って入って行く勇気が出なかった。二人は腕を組んで本当に楽しそうにお喋りしている。東海林も普段のピリピリした暴力系幼馴染ヒロインの雰囲気はなく、年頃の女の子がもつ色気を感じられた。
「父さんすごいんだなぁ。ヒロインにあんな顔をさせられるんだ…」
東海林の笑顔は優し気でありながらどこか艶っぽさを感じさせる魅力的なものだった。あんな笑顔を向けられたら、一瞬で恋に落ちてしまいそうなそんな顔。
「でもどういうことなんだよ。ありえないだろう。ヒロインがパパ活?いやいやいや。最近の変化球ラノベならともかくどう考えても鈍感系主人公のヒロインがそんなことするはずがねぇ。何の間違いなんだよこれ」
それとも実はこの世界はひねくれたNTRものなのだろうか?いやそれはないだろう。魃の魔女は大ヒット作だと言っていた。その作品のヒロインがこんなユーザーが見たらヘイトを買うような行為をするわけがない。
「何かの間違いだ。何かの間違いだ。間違ってる間違ってる間違ってる」
俺じゃない誰かがそう呟いている声が聞こえた。その声の方へ顔を向けると人ごみの中にやたらと前髪の長い少年がいた。この世界の主人公、飛鳥馬暖だ。彼の瞳は俺からはどうなっているのかわからないけど、じっと俺の父さんと東海林を見ているのだけはわかる。だけどそれは一体どんな目でなんだろうか?
「やだぁパパのエッチ!」
「ふっ。お前の体がメスの匂いを出していたからつい」
父さんは東海林の尻を撫でた。だけど東海林は全然嫌がっている素振りを見せていない。むしろ瞳を濡らしてますますその笑みは妖艶なものになっていく。そして二人は裏通りの方へと向かった。その先にあるのはラブホテル街だ。だけどおかしい普段ならきっとカップルたちがその通りを行きかっているだろう。なのに今は人っ子一人いなかった。父さんと東海林だけが連れ立って歩いている。
「間違ってる間違ってる間違ってる間違ってる間違ってる」
その言葉には何の感情も乗っていなかった。それが俺には気味が悪く感じられた。父さんたちの後ろを飛鳥馬がつけていく。そしてそれを俺は物陰からじっと見ていることしかできなかった。体震えていた。足も手も動かない。恐ろしい。息さえいますぐに止まってしまいそうな恐怖を覚えた。いつの間にか飛鳥馬の手に刀が握られていた。そして。
「
飛鳥馬は東海林に声をかけた。彼女と父さんが一緒に振り向く。そして。
その刃は父さんの胸に突き刺さった。
「イヤぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺は声さえも上げることが出来なかった。父さんはその場でよろめいて、近くのビルの壁に背中を預けて座り込んでしまった。
「行くよ
「ちがう!ちがうよぅ!おじさまぁ!おじさまぁ!彼は悪い人なんかじゃ」
「僕が悪い奴だって決めたんだ!!」
そういって東海林の頬を飛鳥馬は張った。そして彼女の手を引いてそのまま飛鳥馬たちはどこかへと消えてしまった。俺はフラフラとした足取りで父さんの傍にいった。
「おや。私のかわいいかわいい息子じゃないか。あはは。まいったね。ヘマしたところを見られてしまった。父親失格かな?」
父さんはいつもと同じような口調でしゃべっていた。
「父さん。でも胸が…血が…ああっ。あああああああ!!」
俺は父さんの隣でへなへなと座り込む。どう見たってもうその傷は手遅れだ。だけど父さんは俺に手を伸ばして頭を撫でてくれた。
「私はただの種付けおじさんだよ。むしろこんな死に方なんて上等な類だよ。だってお前がそばにいる。私の可愛い息子がそばにいるんだ」
俺は父さんの手を掴む。何もできない自分が恨めしい。悔しい。
「聞いてくれ」
「父さんぁん。でもでもぉ…」
「聞いてくれ。私は幸せだったよ。お前たちがそばにいてくれた。だからいいんだ。これでいいんだ。悪いおじさんは物語から退場して、世界は元に戻ったんだよ」
「いやだぁ!いやだよぅ!だっていないよ!その世界に父さんが!父さんがいないんでしょ!いやだぁそんなのいやだぁ!!」
「私たち種付けおじさんは、種を播くもの。播き終わったらもういらないんだ。播かれた種は自分で勝手に育つものだよ。私はお前という種を世界にもう播き終わっていたんだ。だから…私は…幸せだった…」
俺の握る父さんの手から力が抜けた。もう理解している。父さんは死んでしまったんだ。
「う、ううぅアあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺はただただ泣き続けた。父さんの死に顔は相変わらず顔の半分が陰に隠れたままだったのに、その口元には優しく笑みが浮かんでいたんだ。
【Adonis The Planter】
父さんの死後、葬式は盛大に取り計らわれた。弔問客には名だたる人ばかりがやってきて、父さんがいかに人々から慕われていたかわかった。
「しかし息子さんが憐れだ」
「奥さんも後を追うように死んでしまうなんて」
「お腹の中には赤ちゃんがいたというのに…なんでこんなことに…」
母は父の訃報を知ってすぐに体調を崩して破水した。そしてそのままお腹の赤ちゃんと共に死んでしまった。大切な両親をいっぺんに失ってしまった。楽しいことがこの先いくらでも待っているはずだった。それが一瞬にして奪われた。殺したのはこの世界の主人公。警察にも言ったのだ。犯人が誰かを。だけど彼が逮捕されることはなかった。ご都合主義は主人公の味方だ。たとえ人を殺しても、主人公には罪にならない。だって言っていた。悪い奴だって。だからいくらでもこんなことが許されるのだ。
葬式が終わって家に帰ろうと思った時だ。
「すみません。ちょっと言いかしら」
黒い喪服を纏ったピンク色の髪の少女が俺に声をかけてきた。東海林旅浪だった。
「お悔やみを申し上げます。本当におじさまはいい人でした」
「いい人?悪い奴って言ったのはお前らだろう!!」
カッとなった俺は東海林の胸倉をつかんだ。
「父さんを殺したやつは今ものうのうとお前の傍にいるくせに!!」
「…ごめんなさい。本当にごめんなさい…」
「お前のせいだろうくそビッチが!お前のせいで父さんは死んだ!」
「うん。そう。ごめんなさい。あたしのせいです。あたしがおじさまに助けを求めたから、飛鳥馬はおじさまを…」
俺は手を放した。東海林はその場に座りこんでしまった。よく見れば顔色がすごく良くない。
「お前、父さんが死んだこと、悲しんでんのかよ…」
「おじさまはあたしを助けてくれたの。あたし小さいころからそうだった。家族にも友人にも恵まれてるのに、暴力だけはコントロールできなかった。あたしにとって暴力はまるで自分の意思とは関係なくでてきてしまうものだったの。でもおじさまがあたしにそれをコントロール術を教えてくれた。おじさまはあたしを救ってくれたの。だから愛してた。ううっ…ああっ…」
東海林は涙をぽろぽろと流しだした。本気で悲しんでいる。
「飛鳥馬はあたしが変わったことに気づいたのね。どんどん暴力が弱くなっていったから。あたしはあの日を楽しみにしていた。はしたないって罵ってもいいよ。おじさまに抱かれるんだって、体は震えてた。心は悦んでた。ごめんなさい。こんなことご遺族の息子さんに言っていいことじゃないのにね」
彼女は俺を見上げている。涙にぬれた瞳で、でもどこか力強い視線で。
「おじさまは言っていたの。世界が危ないって。大きな物語に飲み込まれてしまうって。あたしもなんとなくわかってる。あたしって【ヒロイン】なんでしょ?暖のヒロインなんでしょ?だっておかしいよ。だれもあたしが彼にふるう暴力を咎めなかった。その上暴力を振るえばなぜか彼に他の女との厭らしい縁が出来ていく。こんなのおかしいよ。あたしは暴力なんて振るいたくないのに!」
そういうものだと思っていたことの裏側に誰かの葛藤があった。お約束の裏側に犠牲となる何かがある。彼女の心もその一つだったんだ。
「ごめんね。変なこと言っちゃって。でも息子さんのあなたには伝えたかった。あなたのお父さんがあたしは本当に大好きだったの」
東海林はとても素敵な笑みでそう言ってくれた。俺の父さんは誰かに愛される素敵な人だって。その笑みで納得できた。そして東海林は一礼して俺の前から去った。
「父さん…あなたは一体何をしようとしていたの?…父さん…とうさぁん」
父さんは何かと戦っていた。俺はそれを知らずにのほほんと暮らしていた。それがとても悲しく思えたんだ。
*****作者のひとり言*****
種付けおじさん。
それはミームであり、同時に確固としたキャラクターだと私は思っております。
主人公という視点から見たときに、種付けおじさんは間違いなく悪です。
ですが奪われるヒロインから見て種付けおじさんはきっととても素敵ないい人に見えているでしょう。
種を播くとはそういうことなのです。
撒かれた種はいずれ芽を出し身をつけ花咲くでしょう。
ちなみにですが本作はアドニス神話をモチーフにしている物語です。
アドニスは冥界の女王ペルセポネと美の女神ヴィーナスに同時に愛された元祖種付けおじさんです。
そしてヴィーナスの恋人であるアレスから嫉妬により殺されてしまい、その体から花が咲いたというまさに種付けおじさんの原典と言える神話です。
ちなみにアドニスの名前の意味は「ご主人様」です。
この物語はこの神話にインスピレーションを受けつつ物語は進んでいきます。
さあ、抗いましょう。「大きな物語」にね。
エロゲーとかエロ漫画の顔が上半分くらいが影で隠れているNTR種付けおじさんの正妻の息子に生まれたけど、やたらと前髪の長くて両目が隠れてる主人公に親友認定されてしまったんだが… 園業公起 @muteki_succubus
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