月の欠片

野栗

月の欠片

 月の欠片を拾った夜。


 その日、バイトを終えた佳苗はいつものようにアパートの集合ポストを開いた。狭いポストに新規開店の案内やら、このところ毎日のように入って来る選挙のチラシやらの奥から、珍しく手書きのはがきが出てきた。


 「中里佳苗様」――端正な文字、たしかにあたし宛だ。


 裏返すと、昔流行ったアニメの「魔法少女ルナ」が、ハムスターの使い魔・チョコとミントといっしょに黄色い半月の船に乗って銀河をたゆたうイラストが飛び込んできた。魔法少女ルナ――これ、あたしが中学んときにめちゃくちゃハマったやつだ。小遣いやお年玉をやりくりしては、ルナ友の由紀といっしょにグッズを揃えた。校則で一個だけつけることを許されたカバンのマスコットは、ファンシーショップで散々迷って悩んで選んだチョコとミントの人形だった。ちんちくりんの二匹の手を一日かけて縫い合わせて、二つの人形を無理やり「一つ」にしたっけ。


 まだあれ流行ってるの? 最近はリバイバル多いしなあ……と思いながら、差出人に目をやった。


 杉山幸子。


 誰だっけ? ……ああ、中学で同じクラスだった。背の高い、バスケ部の子。

 接点はない。同じクラスだった、ただそれだけ。

 二十歳を迎えた年に一度だけ同窓会があった。記憶の隅のささやかな余白をひっくり返してみたが、お互い挨拶さえしたかどうか……たぶん、していない。


 ハガキの文面を確かめた。


 佳苗、久しぶり! 最近、佳苗のこと想い出してさ。いっぺん会おうよ。


 ――中学時代、佳苗は幸子とまともに話をしたことなんてなかった。

 想い出といえば、幸子が部活仲間と一緒になって、「ルナ」の話に興じる佳苗と由紀を指さして、


「帰宅部のキモオタ」


 って言ったことだけを、佳苗ははっきり覚えていた。


 その時、教室の窓からひゅん! と強い風が佳苗の校則ぎりぎりの高さと長さに結ったツインテールをひるがえした。


「いやぁん!」


 佳苗は聞こえなかった振りをして、ルナの声色をまねて髪を押さえてみせた。


 ――十六夜の月明かりを受けて、はがきのルナはトレードマークの黄色いツインテールをなびかせていた。


 鏡よ、鏡よ、銀河のしずく。


 机に立てかけた化粧用の鏡を見つめ、佳苗は魔法少女の呪文を久しぶりに唱えた。鏡は、佳苗の背中を押すように、月明かりを受けてキラリと輝いた。


 もしもし……?


 はい。


 杉山さんのお電話ですか?


 はい。……佳苗? 佳苗だよね? ありがとう! うれしい! ……


 週末に、駅前のコーヒーショップで会う約束をした。久しぶりにツインテールにした栗色の髪を、幸子はかわいいと絶賛した。二度目に会った居酒屋では、魔法少女ルナの話で盛り上がった。魔法の呪文って何だったっけ? 鏡よ鏡よ……銀河系? あは、違うよね。使い魔のミントがさ、時々おじさんぽいしゃべり方するのがめちゃめちゃ笑えるよね! 佳苗、こんど髪もっと明るい色にしてみなよ、ルナみたいにさ……。

 ルナ友の由紀とは、由紀の結婚や佳苗の転職などが重なり、いつしか年賀メール以外に連絡をとるようなこともなくなっていた。幸子、いつ魔法少女ルナに目覚めたんだろう? といぶかしむ間もなく、佳苗はサワーで喉をうるおしては、幸子と熱く語り合った。


 最後のグラスを空けると、幸子は次に会う約束を佳苗にもちかけた。


「今度、映画行こう!」


 幸子はバッグを開くと、映画の無料チケットを居酒屋のテーブルに置いた。


「職場でタダ券もらったんだ。ちょうど二枚もらえてさ、超ラッキー! 佳苗、この日空いてる? いっしょに行かない?」


「ありがとう!」


「はい、これ」


 幸子は、佳苗にチケットを突き出した。

 ……チケットに目をやった佳苗の表情が、かすかに変化した。


 翌日、佳苗はバイト先に休みの連絡を入れ、携帯ショップに駆け込んだ。

 自動ドアの前で、あの時と同じ風だろうか、小さなつむじ風が栗色のツインテールをひゅうと巻き上げた。

 佳苗はアパートの郵便受けを開けると、大売り出しの案内と電気料金のお知らせを引っ張り出し、部屋に入った。


 鏡よ、鏡よ、銀河のしずく。

 

 ……嘘をつく鏡なんて、最低。


 佳苗は、机の上の鏡をぱたんと伏せた。

 そのかたわらに、幸子からもらったチケットがくしゃくしゃになって転がっている。

 

「天恵の師 大仏慈観」――えんじ色の隷書体文字と、金の冠を戴いた大仏おさらぎ慈観師の顔写真。その下には、無料の二文字と上映日時、そして「上映会場:天恵会館」。


 そういえば、幸子から映画のチケットを渡されて帰った昨日の夜、なぜか涙は出なかった。まるで、昨日で涙を失くしてしまったみたいに。

 あたしって、こんなに淋しい人間だったっけ?

 外から選挙カーの連呼が近づいてくる。


「市民の皆様! お騒がせします。天恵党、天恵党、天恵党をよろしくお願いします!」


 新しい番号に変わった携帯を見つめながら、佳苗はゆっくりと月の船に乗ったルナの絵はがきに手をかけた。


 びりっ。

 びりっ。


 黄色い紙の切れ端が、月の欠片のように床に散らばった。








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