切り抜き短編~ゆめうつつ~(FD外伝より)入植記

天川

入植記

 ハセンは、アメリの飛んでいった空を感慨深げに眺めていた。

 雲が少しあるが、風は穏やかで晴れ渡っており絶好の飛行日和である。天気が崩れるのは4、5日後のはずだ。彼女の友人との時間に水を差すことは無いだろう。


「友人か……。」

 ハセンは一人呟き、自分が同世代だった頃を思い出す。


 伴侶として一緒に暮らしている女性と知り合ったのは、ちょうどその頃のことだった──。


 ……………


 ドルイド族移民舟団が母なる星から脱出し、放浪の果てに、この星を発見したのは一族にとっても待望のことだった。詳しい調査が始まり、やがて居住可能との調査報告を受け、現地調査が始まった。ハセンは、第三次移住先遣隊の一員として、この星に初めて降り立った。


 第一、二次移住先遣隊の報告では、金属量がやや乏しいが気候と環境は穏やかであり居住には最適である、との報せを受けていた。


 ハセンは、一族が母なる星を脱出した後、移民舟団の舟の中で産まれ、地上というものを一度も見たことも踏んだこともなかった。生まれた時から舟の中、外は漆黒でどこまでも広がる宇宙空間。必要なものは揃っており、食べるものや学びに必要なものは、すべて周りに用意されていた。


 しかし、子供向けの書物の中には、舟の中では体験することのできないことばかりが描かれていた。森の中で、食べられる木の実を拾う人の姿。川に入り、そこで泳ぐ生き物(魚と言うらしい)を罠を仕掛けて捕る様子。危険な動物から身を守り、おとなしい動物を懐柔し背中に荷物を載せて運ぶ生活……。


 それら全てが、ハセンにとっては心躍るものであり、いつか踏むことになる、大地という名の新しい母なる星に、……そして、そこで暮らす自分の姿に、いつも思いを馳せていた。


 ハセンは信心深い大人たちに育てられた。


 女神への祈りはいつも欠かすことが無かった。祈りの言葉は、ハセンにとっての心の拠り所でもあった。だが……、祈りの冒頭の一節だけが、いつも心に引っかかっていた。


 移民舟の中には自然環境を模したエリアがあった。

 かつて、母なる星で暮らしていた頃のふるさとの村の景色に似せてあるらしく、舟で暮らす人々の憩いの場所でもあった。


 ハセンは子供の頃、ここで地面に穴を掘ったことがあった。好奇心に任せて、どこまでいけるかと胸を躍らせ一心に掘り進めたのだが、……ほんの身長ほどの深さまで掘ったところで硬い金属の底にぶつかり、自分が狭い籠の中にいることを改めて実感した。


 舟の中での生活は、不自由は無かった。


 完全に作られた設備、守られた環境、優しく聡明な大人たち。そして、きたるべき日に備えた数々の学びと訓練……。そんな日々の中で、果てしなく、どこまでも歩くことだけが満たされなかった。


 女神への、祈りの言葉の冒頭の一節……


「踏み出すのだ

 やがて死に至るところを案ずるな

 歩くことは、全ての根元である

 脚を鍛えよ

 翼を鍛えよ

 心は檻に囲っておくものではない──」


 ──子供のハセンにとって、世界は檻そのものであった。

 窓の外は漆黒の闇、いつまでも変わらない日常…。

 それでも、目にした資料で、長老エルダーたちの口伝で、世界はどこまでも広く歩き続けられるということを信じていた。


 ……………


 居住可能な星の候補が発見された──。

 その一報が一族にもたらされたとき、ハセンは真っ先に先遣隊への同行を希望した。当時まだ10歳であったため、その希望は叶うことはなかったが、その後もハセンは技術習得に勤しみ続けた。想像の中にあった遥かなる存在、大地を目指して……。


 ハセン14歳の時。

 始めて降り立った、土の大地……。

 圧倒的な大気の質量、足に伝わる生命の息吹、見上げた空はどこまでも青く遠かった。

 想いが溢れて思わず駆け出してしまい、隊長に諌められたが、その隊長自身も表情は明るく軽やかだった。

 誰しもが、新たなる住みかとなったこの星に想いを解放し、その一歩を踏み出したのだ。


 一年後、正式にこの星を新たなる母星とすることに定め、移民舟は地上に降ろされた。

 一度降りたら、もう宇宙へは上がれない。少なくとも、技術と生産力がもとの水準に戻るまでは──。

 そんな、決意を持った一族の決断だった。


 地上に降ろされた移民舟は聖地となり、そこを拠点に人々は生活の足を各地に広げていった。

 ハセン18歳──。

 独自裁量での居住と行動を許され、ハセンは遂に、自らの足で歩き始めた。

 初めて見る景色、初めて見る植物、初めて見る生き物たち……。


 見て触れて、感じたこと全てが喜びだった。

 食べられそうなものがあったら、資料で調べ、試薬を使い記録に残し、毒性が無いとわかると積極的にそれらを食した。美味なものはそれほど多くはなかったが、持ってきた糧食にはほとんど手を付けず、進んでこの星のものを口にした。それら解ったことは全て探索成果として記録し、後に続く者への道しるべとなることを願った。




 ある日、ハセンは子供の頃を思い出した。


 移民舟の中で掘った、穴の事だ。

 大地とは、限りのないものだ。歩いた足がそれを証明している。


 思いついてからの行動は早かった。

 荷物を放り出し、開拓民用の装備であるジャベリンの出力を上げて、力の限りに穴を掘った。


 どこまでも、どこまでも──。


 あの頃よりはるかに大きくなった身長の深さを越えても、まだ土の底は感じられない。それどころか、土は掘る度、深さを増す度にその色や固さを変え、時には石を吐き出し、砂を纏い、やがて身長の5倍ほどの深さに達したとき、水が湧き出した。

 足元が石混じりになり、掘り下げるのが困難になりだしたのを感じて、ハセンはようやく穴から這い出した。


 泥だらけの体を大地に投げ出し、空を見上げる。


 辺りは闇に包まれていた───。

 無数の星が煌めく空を見ながら、ハセンは涙を流していた。

 そして、女神への祈りの最初の一文を口にした。


 踏み出すのだ

 やがて死に至るところを案ずるな

 歩くことは全ての根元である………


 ハセンは、遥かなる大地に横たわり、

 その想いを紡ぎ出した。


 女神よ、そして先人たちよ、

 私は今、生きている……

 翼を広げ、心を檻から解き放った


 私の死に場所は、無限に広がっている

 それが何よりの幸せだ

 これが、命の希望だ


 ……………


 朝露と、何かの気配を感じ

 ハセンは目を覚ました。

 どうやらあのまま眠りに落ちてしまっていたようだ。

 開拓民としては迂闊な行為であったが、それすらも受け入れてくれたこの星の自然に、むしろハセンは感謝していた。


 辺りは明るくなりつつあったが、まだ陽は昇っていない。

 気配の方に目を向けると、

 なにやら…、大きな動物がいた。

 ハセンより背は低いが、四つ足で身体が大きく、短い角のようなものも生えている

 移民舟で学んだ図鑑のなかに、四足歩行の動物がいたが、それに少し似ていると思った。

 だが、図鑑で見たそれよりも小さく、体型がずんぐりしており、何より毛がもっさりしている。

 

 明らかに見たことのない動物だ。


 記録として残そう、そう思い端末を取り出そうとすると、そいつは少し頭を下げ、じりじりと後ろに下がっていく。


 警戒しているのだろうか……。


 その動物は、昨日ハセンが掘った穴に背中を向けていた。

 すると、その穴の中から、目の前の動物と同じ形をそのまま小さくしたような、おそらく子供であろう動物が3体這い出してきたのである。

 大きな動物は、頭を低くしたまま、その子らを導いて去っていった。


 動物たちを静かに見送り、ハセンは改めて自分が掘った穴を見てみる。

 その穴は、………満々と水を湛え澄んだ輝きを見せていた。

 彼らは、この水の匂いに惹かれてやって来たのであろう。


 水は命の源だ。

 ハセンもその水に、直に顔を付けて水を飲んだ。

 清んだ息吹が、身体を吹き抜けていくのを感じた。


 ここに、居を構えよう──。


 近くには森も見え、遠くには山もある。

 食べ物は周りにあるもので賄おう。

 少し歩けば川もあり、魚がいるのも知っている。

 石を積み、木々や草で屋根を拭き、動物を獲って暮らそう。

 困難を感じたら、聖地に戻ればよい。

 あるいは、……先に進めばよい。

 大地はどこまでも続いているのだから。




 日々の暮らしは楽しかった──。


 身の回りのもので考えながら賄うのが嬉しかった。

 何をしても間違いなどない。

 あったとしても、咎める者もいない。


 一日ごとに、家ができていき、柵が増え、水場が賑やかになり、

 食べられるとわかった物も、だんだん増えていった。


 生でも食べられる植物は、家の周りに植え

 獲った動物は薄く削いで干物にした

 崖を回れば岩塩もあった

 身体や衣服が汚れたら雨を待った


 時間が空いたら、穴を掘った……


 今度はどこまで掘れるか。

 少し離れたところを掘ってみる。

 穴を掘っていると、時を忘れる。

 新しい発見がいくつもある。

 見たことのない鉱物も出てくる。

 今度は、……前に掘ったよりも深いところまでいけそうだ。

 土は固い、いや、土ではないのかもしれない。

 不思議な色をした岩とも石ともつかないような、

 そんな地面だ。


 日々を過ごしながら、

 少しずつ掘り進めた。

 反対側までいけるとは思わなかったが、

 どこかに繋がっているのではないかと思わせる雰囲気もあった。


 しかし、そんな日々は終わりを告げた。


 酷使しすぎた為だろう。

 ハセンのジャベリンは、ぼろぼろになっていた。


 もう、これでは穴は掘れない。

 仕舞いは、呆気なかった。

 まだ、先は見えなかったが

 これで、終わりにしよう。



 ハセンは穴堀りのない日々を過ごした。

 やることがひとつ減っただけなのに、

 何故か心に風が吹いていた。



 そんな時、

 一人の女が現れた──。



 自分と同じように、どこまで行けるか試していた

 そんなことを言っていた。

 ハセンが歩いてきたところには、

 石と木で拵えた目印が点々と置いてあった。

 帰るときの道しるべとなるように。

 この女はそれを辿って来たという。


 新しい道を歩こうとは思わなかったのか?

 ハセンはそう尋ねてみた。

 女は笑って、

 ここを辿っていけば誰かいるだろう、

 そうすれば、一緒にこれが飲める。


 そう言って女は一本の瓶を取り出した。

 旅立つときに、大人が持たせてくれたという。

 往く先で、誰かに出会うことがあったら

 これで杯を交わしなさいと。


 この女は、

 誰かに出会うためではなく、酒が飲みたかったのだ。

 呆れもしたが、その裏表のない正直さに、安心もした。


 しかし、

 誰も見ていないのだから、

 飲んでしまえばよかったのではないか。

 そう問いかけた。

 女はまた笑って、こう言った。

「一人で飲む酒の、どこが旨いんだ?」



 女も、ここに居を構えた──。


 ここを足掛かりに、すこしずつ先に進んでいく。

 そうして版図を広げていくのだと。

 どこまでも往くのではなかったのか、

 そう問うと、

 誰かに会ったら、急に一人が怖くなった。

 女はそう言った。


 弱さの重荷になってしまったか

 そう詫びたが、女は

 安らぎのでもある、

 そう答えた。


 ……………


 ある日、

 何かに呼ばれたのだろうか

 ふと、あの穴に立ち寄ってみた。

 行ってみると、

 女もそこに立っていた。


 不思議な顔をしていたが、

 人の手で掘ったことは気づいたようだった。


「これは……?」

 女はそう聞いてきた。


 俺が掘った……

 時間がある時に、

 ……手慰てなぐさみに。

 そう答えた。


 女は、じっとこちらを見ていた。

 理由わけを知りたい、そんな顔だった。


 ……移民舟にいた頃、

 どこまで掘れるか試してみたことがあった。

 その時、簡単に底まで届いてしまったことが

 忘れられなかった、

 ……それだけだ。



 その日からだった──。


 女は取りかれたように、

 穴に通った。

 女は自分のジャベリンを使い

 さらに奥へ奥へと掘り進んでいった。


 理由を聞いたが、

 答えては貰えなかった……


 そんな日が続いた。

 やがて、女のジャベリンも

 ぼろぼろになった。

 だが、それでも女は

 穴に通うことを止めなかった。


 尖った石を木に括り付け

 素手で岩をどかし

 女は穴を掘っていた。



 もう、……よそう──


 俺は、女にそう告げた

 何が彼女をそうさせたのか

 わからなかったが

 責任の一端は自分にあると思った。


 彼女の手を取った。

 ……彼女は静かに泣いていた


「あなたでしょう……?」


 女はそう言った

「あの日、一緒に掘っていた男の子……」

 あの日……?

「忘れられなかったの……私も」




 ──記憶の糸を、辿る



 幼い頃、

 ……舟の中の自然公園、

 穴を掘り始めた僕の隣に、

 誰か、いた………。


「──何してるの?」

 僕は答える

「どこまで掘れるか試してるんだ」

 するとその子は、こう言った

「じゃあ、あたしも手伝ってあげる!」


 ふたりで穴を掘り始めた

 身体は泥だらけだ

 きっと大人に叱られる

 でも、今は知りたかった

 どこまで掘れるか、

 何処まで、いけるか…


「どこまでいけるかな~?」

 その子は聞いた

「きっと、じめんの反対側までいけるよ!」

 僕は答えた

「あっ……」



 手応えはあっさりと返ってきた

 硬い金属の底

 舟の構造材───




「──すごく……哀しそうな顔してた」

 女はそう言った

「ううん、……私も哀しかった」


 世界が闇に包まれていて

 大地は檻に囲まれていた

 それを事実として受け止めた、あの日


 穴を掘ったり、泥だらけになったことを

 大人に叱られたことよりも

 ずっと、ずっと

 深く、重く

 苦しかった、哀しかった


 たった一瞬の出会いだったが

 ふたりの心には

 しるべが生まれたのだ


 まだ見ぬ星、まだ見ぬ未来

 歩き続ける、歩き続けたい…

 ふたりの心は

 この時、定まったのだ


 いつか、共に踏むことになる

 無限に広がる大地を夢見て───



「私は……今、生きてる」


 女ははっきりと、言った


 そう、そうだ

 俺も、そう感じたんだ

 どこまでも掘っていけると

 どこまでも歩いて往けると感じたとき

 心は、檻から解き放たれたのだ


「命の希望よ……」


 女は微笑んでいた。

 涙を流しながら

 女の顔は、喜びに満ちていた。


 ……足に熱いものを感じた

 驚いて、下を見ると

 白い乳のようなものが

 地面から湧き出していた……


 ……………


 それから一日中

 ふたりで石を積み

 ふたりでゆったり浸かれるくらいの

 溜め池を拵えた


 ──────


 満天の星空の下

 ふたりは白く濁った熱い湯船に浸かって

 全身を伸ばしていた

 縁の石の上には、あの日見せてくれた

 酒の入った瓶と、杯が二つ並んでいる


「──ここで、死んでもいいな…」

 なんとはなく

 そんなことが、俺の口を突いて出た

「早いよ~……♪」

 それを聞いた女は、ふふふっ、と笑って答えた

「これから、……これからだよ」

 女は続けた


 そして、腕を伸ばし杯を手にする

 酒が飲みたいから、道しるべを辿って来た

 そう言っていたのに何故か、

 今まで飲まずに取っておいた

 不思議に思っていたが……


「女神様のお導きだよ、きっと」

 女はそう言って笑った


「きっといるよね、……イリスの女神さま」


 イリスはこの星の名前

 我々一族の女神、その姉の方の名前だ


「いつか、会えるかな~……」

 そう言って、一口ちびりと飲み

 また杯を置く


「俺は、会ったことがあるぞ……」

 ちらりと女はこちらを見る

「へぇ~……そうなんだ?」

 さほど気にした風もなく、両腕を天に伸ばし

 星空を見上げている。


「……俺の、目の前にいるだろう?」


 女はきょとんとする。

 が、やがて、なんとも言えない表情をし、

 身体を丸めて頭を下げ表情を隠した。

 そして、我慢できなかったのであろう。

 笑いながら、盛大にお湯を掬って俺の顔に掛けた。


 ──────


 あれから、60年近くの間、共に時を過ごしてきた。

 ドルイドとしては珍しく子宝にも恵まれ、ふたりの子を女神の子孫として旅立たせた。

 昔ながらの婚姻という制度も適用した。

 あれからも、共に暮らし、共に旅し、共に働いてきた。

 大変な時期もあったが、二人は戦友と呼べるほどの濃密な時間を過ごしてきた。


 ハセンが魅入られて、女性に飢えを感じなくなっても、心は通い合っていた。最近の彼女は少しそこが不満らしいが、喧嘩もなく暮らしている。

 伴侶ではあるが、ハセンにとっては生涯の友とも思っている。彼女はその事をどう思うのだろうか。


 アメリはまだ若い。きっとこの先も様々な出会いがあるだろう。

 生涯の友と呼べる相手に出会えるといい、ユゥリという子が、そういう相手であってくれたら、素晴らしいことだ。


 彼女が飛び去った空を見ながら、ハセンは遥かなる日々に、想いを馳せていた。


 ──────

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