第35話 卒業

 ――翌朝。


 意識の覚醒した俺は、すぐに理解した。


 そうか……んだな。


 慣れ親しんだ布団の感触。

 アパートに引っ越し以来なので、かれこれ数年来の付き合い。


 だからこそ、目を開けるまでもなかった。


 ふっ、それにしても奇妙な体験をしたもんだ。まさか異世界なんて……。

 波乱づくめの生活を思い出し、苦笑いがこみ上げる。


 だが、それももう終わった。


 幸か不幸か仕事もないし、今はもう少しこのままダラダラさせてもらおう。

 そう思って二度寝のために布団を引き上げる。


 ――ムニュ。


「?」


 それは、俺の知らない感触だった。


 柔らかく、ほどよい弾力のあるふくらみが指先に触れる。

 まるで大きめのマシュマロのような……これはいったい?


 不思議に思った俺は、思い切って手のひら全体でその奇妙な感触を確かめてみた。

 すると――。


「あ///」


 …………ん?


 思わぬ嬌声に身体が硬直する。


 しかも驚いたことに、その声にはどこか聞き覚えがあった。

 いやもう聞き覚えというか、つい最近までとてもよく聞いていた声だ。


 ま、まさか……。


 俺は恐る恐る瞼を開いた。


「もう、くすぐったいんだけど―¬―おじさん///」


 そこにいたのは、紛れもなく俺が異世界で出会った少女だった。


「み、ミーサっ!? お前なにして……いやそもそもそれ以前に――」


 チラリと室内を見渡す。やっぱり俺の部屋だ。間違いない。

 だとすれば、どうしてミーサがここに……?


「えへ。ついてきちゃった」

「はっ!? な、なんで……」

「だっておじさんと離れたくなかったから。それじゃ……ダメ?」

「ッ……!?」

 う、うそだろおい……なんだその顔。

 それじゃあまるで、俺のことを……。


 ……でも、そうか。そうだよな。


 仮にも俺たちはいっしょに命を賭して戦った仲。

 加えて、最後の最後に勝負を決めたのは俺の機転と言っても決して過言ではない。

 ミーサが俺に惚れたとしても、無理はないのかもしれない。


「……ねぇ、おじさん」

「!?」


 ミーサが耳元でそっと囁く。

 その甘い声音と耳に掛かる吐息に、俺の心臓はドクンと跳ね上がった。


「このまま……してもいいよ?」

「!?!?」


 ………………は?


「し、してって……な、なにを?」

「……もう、わかってるくせに」

「!?!?!?」


 ま、まさか……『今日』なのか?


 マジかよ……まだ心の準備が……。

 つーか風呂とか入らなくていいのか? 臭いとか思われたらどうしよう?


 や、やっぱりここは一旦待ってもらった方がいいのでは……?

 もっとちゃんと準備して仕切り直した方が……。


 そうだ、そうしよう。

 もったいないけど、人生で一度きりのことだし……。


 こんななし崩しみたいな形じゃなくて、ちゃんとホテルとかそういうキレイなところの方がお互いゼッタイ――。


 いや、ダメだ。

 こうやって人生のチャンスを逃してきたから俺はダメなんだ。


 そうとも……今日この日こそが、俺の男としての卒業記念日だ!


 そして俺は覚悟を決め、ついに欲望の海へとダイブした――。




 ………………

 …………

 ……




「……という夢を見ました」

「死ね」


 朝。

 いつもの草原。


 地べたに土下座する俺と、目の前には仁王立ちするミーサ。その隣にはペロもいる。


 なんでこんな状況なのか?


 答えは簡単。

 目を覚ました俺が、夢か現か区別のつかないままに隣にいたミーサに抱きついてしまったからだ。

 で、どんな夢を見たか白状しないと首を刎ねると脅されたものだから、青空の下こんな生き恥を晒していたわけである。


「痛たたッ……!!! ちょっ、頬をつねらないでください!」

「だっておじさんの妄想があまりにもキモすぎるから」

「いや妄想じゃなくて夢だから。決して俺の意思ではないから」

「これだから人生こじらせると妄想力ばかり進化する」

「話を聞いてくださいっ!」


 やれやれ、というミーサの顔。

 ちくしょう、聞く耳持たねぇ。


「てゆーかなんでまたこの草原なんだよ? てっきり起きたら元の世界だと思ってたのに……」


 そうだ。そもそもそこがおかしい。


 昨日はせっかくいい感じの別れ際になったはずなのに。

 ペロにもよろしく、とか言った割に普通に再会しちゃったし。


 いったい俺の身になにが起きているんだ?


「えっと……実はどうしても一個おじさんに言っておきたいことが一個あってね」

「言っておきたいこと?」

「うん……まあ、すぐ済む話なんだけど」


 なんだ、そういうことか。

 直接言いたいことがあるから、あえて俺を元の世界に帰さなかったと。


 でも、この期に及んでわざわざ言いたいことってなんだ?

 それに若干モジモジと言いづらそうにしているのはいったい……。


 と、ミーサは意を決したようにその言葉を発した。


「ごめんなさいっ!」


 お辞儀。

 深々と、しっかりとした90度の。


「私の目的のために、騙してこの世界に連れてきて……ううん、それだけじゃなくてもっといろいろ。失礼なこと言ったり、勝手に物を売ったり……全部反省してます。本当に、すみませんでした」


 終始顔を伏せたまま、ミーサは心を込めてそう言った。

 それは俗に言う、誠意ある謝罪というやつだった。


「…………」


 あまりに予想外の出来事に、俺はしばしフリーズしてしまった。


 そして、ようやく返しの言葉をひねり出した。


「……今更」

「ッ!」


 俺が静かに呟くと、ミーサはビクッと肩を震わせた。

 まるで悪いことを叱られて怒られる子どものように。


「今更……だろ?」

「え……」

「全部終わったことだ。目的も達成して、ひとまず一件落着。これでもう殺される必要もないんだろ? なら、別にもうそんなに気にしなくてもいいんじゃないか?」


 まったく。つくづく男というやつは……。

 いや、そうじゃないな。主語を広げすぎた。


 つくづく俺というやつはダメな人間だ。

 あれほど酷いことをされておきながら、謝罪一つでこんなにあっけなく許せてしまうなんて。


 これじゃ、ほんとに生意気なメスガキにいいように扱われるクソ雑魚おじさんである。


 あーあ。

 これが百戦錬磨の営業マンとか恋愛強者のイケメンとかなら、ここからうまいこと交渉して慰謝料だのちょっとエッチな要求だのを押し付けられるのだろうが……。


 ま、残念ながら俺の脳みそはそういう構造になっていないらしい。


「……いいの? ほんとに?」

「ああ、まあな」

「よかった……」


 ミーサがホッと胸を撫でおろす。

 その表情は実にかわいらしく、年相応の柔らかい笑顔だった。


 ……ま、今回はこの顔が見られたということでチャラってことにしておくか。


「あ~スッキリした。よし、それじゃ行こっか」

「え?」


 行くって……どこに?


 その俺の問いに、ミーサはあっさりと答えた。

 ちょっと買い物にでも行こうか、そんな軽いノリで。


「決まってるじゃん。おじさんがを探しに」



 ……………………おや?



「ち、ちょっと待った。聞き間違いかな? 今、元の世界に帰る方法……って言ったか? え、なに? 知らないの?」

「うん」

「うん、ておまっ……どういうことだよっ! 終わったら帰してくれる約束だっただろっ!? そのために協力したのに……!」

「え、そんな約束してないけど」

「いやだって確かに――……ん?」


 ふと甦る、共闘を決意した日の記憶。


 ――言っとくけど、成功したらちゃんと俺を解放しろよ。約束だぞ?

 ――はいはい、わかってるって。


 ……あ、してないわ。


 そうだった……!

 なんとなく勇者を倒せばもう用済みだから帰してもらえるだろうと思って、その辺ちゃんと取り決めてなかった……!!


 あああ……こんなことなら契約書でも作っときゃよかった……。


「ん? でも待てよ? だとしても、そもそもなんで呼び出した張本人が帰し方を知らないんだよ。普通セットだろ。その時点でおかしいって!」

「だってあくまで“召喚”魔法だし」

「それはお前、言葉のあやというか……」

「それに、もう全部終わったことって言ったじゃん。ということは、全部水に流してくれるってことでしょ?」

「いやいやいや! 拡大解釈すぎるだろっ! いくらなんでも!」

「まあまあ。そういうわけだからさ。これからもよろしくね――“ヨッさん”」

「お前、よくもそんなぬけぬけと……ん?」


 今なんかおかしかったような……。


「吉川のおじさん――で、ヨッさん。いい名前でしょ? 前におじさん呼びでいっか、ってなったときちょっと残念そうだったから」

「…………」


 ……ハァ、もういいや。


 なんかもう、どうでもよくなってしまった。


 つーかさっきまでのしおらしさはどこへ行ってしまったのやら。

 相変わらずタメ口だし。いろいろ終わって丸くなるかと思えば全然じゃねぇか。

 実は手伝わない方がよかったんじゃないかこれ……?


 ともあれ、どうやらこの異世界生活はまだ終わらないらしい。

 俺はもう少々、この生意気な少女といっしょにいるしかないようだ。


 ま、いいさ。

 こうなったら折角だから“やり残したこと”をやるまでだ。


「おい」

「なに?」

「……いつかお前に勝ってやる」

「は? なんの話?」

「男の意地的なやつ」

「ふ~ん? ま、無理でしょ。夢見すぎ。それとも何か方法でもあるの?」

「それは……まだないけど」

「フッ」


 こ、こいつ……! 今鼻で笑いやがったな……!?


 くそ、やっぱりコイツ俺を舐めてやがる。

 あ~もう決めた。容赦しない。



 晴れた空。流れるそよ風。

 気持ちのいい春の陽気の中、俺は心に誓った。




 このメスガキ……絶対ワカらせてやるっ!!!



~~~~~~~~~~~~~

ここまでお読みいただきありがとうございました!


どうも、安定の俺たたエンドです。

続きの展開も一応考えてはあるんですが、それは気が向いたらというかなんというか。(そもそも元の世界帰れてないですしね笑)


まあでもひとまずは完結です!

繰り返しになりますが、読んでいただいた方には本当に感謝です!!ありがとうございました!

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異世界転移したアラサー~いきなりメスガキに襲われたけど、コイツに勝たないと元の世界に帰れないってマ?~ やまたふ @vtivoo

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