3-08.ライムさんと秘密の特訓

 *  イーロン  *



 スカーレットさんは言った。

 必ず、信頼を勝ち取って見せる。


 多分、助けた村の人と何か話をするのだろう。

 ウチは彼女を信じて先に帰宅した。そして翌日……。


「精一杯、お仕えします!」


 とても可愛らしい子が屋敷の住人になった。

 親御さんも納得しているようで……スカーレットさん、話が上手なんだろうなぁ。


 かくしてバーグ家は賑わいを増した。

 良いことだ。ウチとしては、とても嬉しい。


 ただ、最近ノエルの姿を見ない時間が増えた。

 入浴の時間には必ず帰ってくるけど……日中帯は何をしてるのかな?


 今度、聞いてみよう。

 そんなことを考えながら、のんびり廊下を歩いていると……。


「イーロンさま!」

「スカーレットさん、お疲れ様です。今日も良い天気だね」

「はい! 本日も、精一杯、勤めさせていただきます」

「うん、無理しない程度に、よろしくね」


 顔を見たら挨拶してくれるようになった。

 嬉しい。やっぱりコミュニケーションは大切だよね。


 ちょっと上機嫌で移動を再開する。

 目的地は書庫。お勉強は大事だからね。


「あ、ライムさん。こんにちは」

「……どうも」


 ぎこちない会釈。

 うーん、いきなり声をかけるのはダメだったかな?


「……何か、ご用事?」


 べつに用事とかないけど……。

 

「ライムさんは、これから何するの?」

「……実験」

「実験? 何するの。面白そう」


 ライムさんは少し驚いたような表情をした。

 ウチ、何か間違えたのかな? ……いきなり距離感が近過ぎた、とか?


「来る?」


 ライムさんがぽつりと言った。

 ウチは何秒か言葉の意味を考えて……。


「行く!」


 

 *  *  *


 

 家主ウチも知らない地下室。

 ちょっと埃っぽくて暗い場所で、とても狭い。


「こっち」


 ライムさんが他の設備とは色合いの違う扉を開けた。

 その先には、地下室とは思えないような光景が広がっていた。


「わぁ、すごい」


 なんか……いっぱいある!

 机とか、謎の物体とか、色々。あと広い!


「ライムさん、今は何を研究してるの?」

「魔力伝導体」


 ふっふっふ、ウチそれ知ってるよ。

 文字通り、魔力が通りやすい物体のことだ。

 自在に形を変えたり、込めた魔力の性質を与えたりできる。


「……お値段、めっちゃ高くなかったっけ」


 ウチはバーグ家のお財布事情を心配して身震いした。


「原価は安い」

「なるほど。そういうことか」


 散財ではなくて、ビジネス。

 ライムさんが安価な魔力伝導体を開発して、一儲けすることが目的なのだろう。


「これ、サンプル」


 黒い物体を手渡された。

 とりあえず両手で受け取る。


「わぁ、ぷにぷにしてる」


 ウチは魔力伝導体をぷにぷにした。

 なんだろう。この感覚。癖になりそう。


「……楽しい? ……ですか?」

「うん、一時間くらい続けられそうだよ」


 一方でライムさんの態度は硬い。

 ライムさんだけじゃない。ノエル以外の人と会話すると、いつも警戒される。ウチは仲良くしたくてフレンドリーに接してるんだけど……この悪人面のせいかな?


「これ、どうやって使うの?」

「……貸して。ください」

「無理に敬語じゃなくて大丈夫だよ?」

「そう? じゃあ貸して」


 ウチは苦笑して、サンプルを返した。

 自分で言ったけど、すごい変わりようだ。


「魔力を込める」


 ライムさんの手から魔力が流れる。

 その瞬間、魔力伝導体はぶわっと膨張して、あっという間に椅子の形になった。


 ライムさんは椅子に座る。

 それから眠そうな目でウチを見て言った。


「分かった?」

「うん、ばっちり」


 魔力の流れは見えた。

 次にチャンスがあれば、同じことができると思う。


「……すごいね。流石」

「そうかな? 一応、ありがと」


 ライムさん、お世辞が上手。

 社交辞令だと分かってても、褒められると照れちゃうよね。


「それじゃあ、研究、頑張ってね」

「……ん? もう帰るの?」

「そうだね。あんまり邪魔しちゃ悪いから」


 何か思案する様子。


「実験、手伝って。助手が、必要」

「そういうことなら、喜んで。何をすれば良いのかな?」


 再び思案する様子。

 今度はウチをチラチラと見て……どうしたのかな?


 あ、動いた。なんだか小動物みたいな人だ。

 彼女は新しい魔力伝導体を手に取ると、それを身に纏った。全身を包む鎧みたいな見た目になっている。


「殴って」


 ……鎧の耐久力試験かな?

 多分、治安維持の為に武装した集団を作りたいとかそんな感じなのだろう。


 でも魔力伝導体は販売するんだよね?

 この国は野蛮だし、紛争とかあっても不思議じゃないけども……。


「殴って。早く。早く」


 なんかワクワクしてる。

 無抵抗な人を攻撃するのは気が引けるけど……とりあえず、えいや。


「……ふざけてる?」


 怒られちゃった。

 

「魔力を込めて。もっと強く」


 確かに魔力を込めないと耐久力試験にならないよね。

 でも、すごく危ない。ウチが力加減を間違えたら、ライムさん死んじゃうかも。


「マネキンとか用意できないかな? わざわざライムさんが付ける理由は……」


 凄い顔されちゃった。

 とてもガッカリしてる……かも?


「……ごめん」


 そっか、そうだよね。

 ウチは鎧を全く信頼していない態度を見せてしまった。これは開発者のライムさんからすれば、面白くないはずだ。


 お詫びに、ちょっと強めに攻撃しよう。

 ライムさんから割と高密度な緑の魔力を感じるし、ある程度は大丈夫なはずだ。


「行くよ」




 ──ライムは緑魔法の天才である。

 幼少期から無意識に自分を保護することで、ほとんど「痛み」を知らないまま成長した。しかし、ある時うっかり自分の指を針で刺してしまう。


 裁縫の途中だったライムは、あまりにも衝撃的な感覚に涙を流した。初めての痛みは恐怖であり、そして──快楽でもあった。


 以後、ライムは痛みを求めた。

 だが意識的に自分の指を刺しても、無意識の緑魔法に防がれてしまう。


 ライムは痛みを求め続けた。

 やがて未知の王子様に対する幻想を拗らせた乙女のように、痛みを渇望した。


 ノエルとイロハが過去に戻る前は、少し違った。楽園の長としての責任感によって歪んだ欲望を封印する術を身に付けていた。


 だけど今回は、しっかりとした責任感が芽生える前にノエルが現れた。そして彼女はライムに「痛み」を与えた。結果、薄れかけていた欲求が蘇った。


(……まだかな。まだかな。まだかな)


 ライムは魔力伝導体を身に纏った。

 しかしこれは鎧などではない。むしろ相手の魔力をより強く自分に伝えるための物である。


(……来た! 来た!)


 イーロンの右腕に赤い魔力が宿る。

 彼の基準における「ちょっと強い一撃」には、生身の人間ならば肉の塊となる程の威力が込められている。ライムは「スカーレットを遥かに上回る魔力」を見て、涎が出る程に期待感を高めた。


 そして衝撃。ライムの体は容易く浮かび上がり、十数メートル後方にある棚を破壊したところでようやく止まった。


「ごめん! 大丈夫!?」


 イーロンが慌てて駆け寄る。

 ライムは……その顔を失望の色に染めていた。


(……全然、痛くない)


 ノーダメージだった。

 殴打はもちろん、壁に衝突したことによる衝撃すらも、痛みにはならなかった。


 ライムはゆるりと顔を上げる。

 そして、衝動的にイロハの胸倉を摑み上げた。


「黒魔法、使え」

「……えっと、なんで?」

「黒魔法!!」


 かわいそうに。

 今のライムは痛みを求める亡霊のような存在であった。


「えっと、流石にそれは、痛いよ?」

 

 イーロンは困惑しながら言った。


「痛くしろ!」

「えぇ!?」


 まさかのリクエスト。

 イーロンは混乱しながら考える。

 ライムは、一体何を考えているのだろう。


 分かるわけがない。

 イーロンが持つ知識の中に、痛みを求める特殊性癖など無かった。


 だが彼は考えることをやめない。

 そして、とある答えに辿り着いた。


(……そうか! 修行だね!)


 違う。


「分かった」

「来い!」


 イーロンは黒の魔力を解放した。

 それはライムを包み込み、強固な緑の魔力を減衰させる。


「行くよ」

「早く、早く!」


 イーロンはライムに手を近づける。

 そして──


「えいっ」

「痛っ」


 でこぴんである。


「……」


 ライムは額に両手を当て、しばらく呆然とした。

 イーロンもまた、想定と違う反応に戸惑って沈黙する。


「……もう一回」


 やがて、ライムがぽつりと呟いた。


「分かった」


 恐る恐る、でこぴん。

 ライムは軽く仰け反った。


「……も、もう一回」


 既に、手遅れだった。


「あぅっ」

「おぅっ」

「んぉっ♡」


 何度も、何度も、繰り返される。

 

「もう終わり。おでこ、真っ赤だよ」

「まだまだぁ!」


 イーロンはライムに対してクールな印象を抱いていた。しかしそれは消滅した。今の彼女は度重なる甘美な痛みに脳を焼かれ、欲望に忠実な獣となっている。


 それを見たイーロンは……


(……なんて、修行熱心なんだ!)


 と、なんとも都合の良い解釈をした。


「そういうことなら、とことん付き合うよ!」

「来い!」


 これ出来事をきっかけに、二人は定期的に修行をする関係になったのだった。



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