17.スカーレットの決意

 グレン兄さんは超かっこいい。

 楽園の運命を知った後、皆が諦めたような顔をする中、兄さんだけは違った。


 俺が楽園を救ってみせる。

 そんなセリフを恥ずかしげもなく口にして、どんどん突き進んだ。


 兄さんは皆に勇気を与えた。

 一人、また一人と兄さんの背中を追いかけるようになった。


 あたしも、その一人。

 兄さんの妹として皆に背中を見せ続けた。


 ……兄さんとは、本当の兄妹じゃないけど。


 楽園には、本当の親を知らない子が多い。

 あたしを含め多くの人が「そういうもの」と認識していた。でも、よく考えるとおかしい。


 ひとつの仮説が生まれた。

 大陸の何処かに「魔族の国」があり、何らかの理由で育てられなかった子供を楽園に送っているのではないだろうか。


 そして国は楽園を監視している。

 優れた才能を有した者が、どういうわけか楽園の外に連れ出されるからだ。


 ここに兄さんの功績がある。

 兄さんはスパイの存在を疑って、見事に犯人を見つけ出した。しかし、あえて放置することで、優れた者を隠すことに成功したのだ。


 赤、緑、青。魔力には色がある。

 兄さんは仲間を集め、才能を見抜き、三つの集団を生み出した。


 それから「真実を探す」と言って旅立った。


 兄さんなら大丈夫。

 でも、たまに、本当にちょっとだけ、実はバカなんじゃないかなって思う時があるから、一人でも平気なのかなって、すごく心配だった。


 兄さんが去ってから一年。

 あたしは赤の魔族で一番強くなった。


 最初は頻繁に挑戦者が現れたけど、やがて誰からも挑まれなくなった。


 あたしは皆に認められた。

 それは大きな達成感を生み、直ぐに責任感へと変わった。


 いつか、戦う時が来る。

 あたしは赤の魔族を強くする必要がある。


 個々の戦力を増強するだけじゃ足りない。

 基本的な教養を与え、少しでも戦いを有利に進める為の研究して、空腹で涙を流す人を生まない為に、狩猟や農業も営む。


 大変だった。


 兄さんは何をしているのだろう。

 もしかして、もう……ううん、そんなわけない。兄さんは絶対に生きてる。


 弱音を吐いちゃダメだ。

 兄さんは一人でも頑張ってる。


 どうして?

 楽園を救う為だ。


 誰かが陰で「とっくに死んでるよ」と言った。

 だけど、あたしは絶対に生きていると信じ続けた。


 兄さんの誕生日。

 あたしは二人で寝起きした部屋へ行き、一人でお祝いをする。


 兄さんを祝う度、自分を鼓舞していた。

 一人で頑張ってる兄さんの為に、あたしもできることをするんだ。


 とても気合いが入る。

 だけど、その力は年々弱くなっていった。


 今年も帰ってこなかった。

 連絡ひとつ無い。いつ帰るのか分からない。


 もしかして、本当に……。

 違う。違う。兄さんは絶対に生きてる!


 だけど──


「スカーレット様、ルビィが、奴らに……」


 定期的に仲間が居なくなる。


「スカーレット様、土地が足りません。このまま人口が増え続ければ……」


 あたし達は「楽園」という仕組みから外れた。

 赤、緑、青。それぞれが「独自の楽園」を作って生活している。


「スカーレット様!」


 毎日毎日、あたしを呼ぶ声が止まない。

 でもそれは、あたしに向けられた声じゃない。


「大丈夫」


 戦う為の力はどんどん強くなった。


「全部、あたしに任せて」


 だけど心の方はどんどん脆くなった。



 ──兄さんの気配を感じた。

 あたしは会議を飛び出して、気配の元へ走った。


 兄さんの姿を見た瞬間、涙が出た。

 だけど……それは、あたしの知ってる兄さんじゃなかった。


 誰よ、その男。何が魔王様よ。兄さん、そんなんじゃなかった。皆の先頭を歩くのは兄さんだったはずだ。それなのに、それなのに……!


「決闘よ!」


 あたしはその男に挑み、負けた。

 勝負にならなかった。これまで積み重ねた自信は粉々に砕け散り、折れかけていた心にはトドメを刺された。


 だけど妙な安心感があった。

 もう頑張らなくて良い。あたしの役目は、彼が引き継いでくれる。


 そんな風に思えたことが、情けなくて、悔しくて、あたしは子供みたいに泣いた。何年も我慢していた感情が一気に溢れ出て、止まらなかった。



 沈みかけた夕陽の下。

 あたしは、彼に負けた場所で、彼と二人で話をしていた。


 他の人は席を外している。

 兄さんと、あと一緒に居た白い人が気を遣ってくれた。


「まるで井の中の蛙フェンリルを知らないグレートウルフですよね。あたし、自分もっと強いと思ってました」


 あたしは自分が強いと勘違いしていた。

 実際、楽園を救う為に集まった人の中では一番強かった。


「……だから、今は少し、スッキリした気持ちです」


 彼はあたしの話を静かに聞いてくれた。

 なんだか妙に話しやすい雰囲気があって、色々と喋ってしまった。


「……」


 彼は深刻な表情をしている。

 それを見て思った。なんて優しい人なのだろう。


 こんな表情、演技でも作れない。

 本気で心配してくれていることが伝わってくる。


「本当にごめんなさい」


 謝られちゃった。

 どうして……ああ、そういうことか。


「あたしが弱かっただけです」


 本当に優しい人だ。

 あたしの身の上話を聞いて、同情してくれたのだろう。


 でも、それは違う。

 この世界は強い人が全てを得るようにできている。


 彼は強くて、あたしが弱かった。

 これは、ただそれだけの話なんだ。


「……強さには、色々な形がある」


 彼は言葉を止めなかった。

 あたしは不思議に思いながら目を向ける。


「スカーレット。君は、赤の魔族の代表だ」

「……はい、そうですね」


 でも、それは今日で終わりだ。

 あたしは無様に負けた。明日からは、彼がその役割を担うことだろう。


「君が負けた時、誰も笑わなかった」

「……笑わなかった?」


 言葉の意味が分からず問い返す。

 彼は真剣な表情であたしを見て言う。


「周囲の反応を見れば分かる。皆は、スカーレットを心から尊敬している」


 ……。


「君は、弱くなんかない」


 真っ白になった。

 あたしの心を覆い尽くそうとしていた不安が一気に洗い流され、彼の言葉だけが残った。


 ……ああ、そうか。


 やっと分かった。

 どうして兄さんが彼を崇拝しているのか。


 彼は短い会話の中で、あたしを見抜いた。

 だからこそ、あたし自身も無自覚だった感情に気が付いて、一番欲しい言葉を口にできた。


 あたしは、誰かに認めてほしかった。

 赤の代表ではなくて、スカーレットとして、誰かに褒めて欲しかったんだ。


「えぁっ!? ウチまた何か間違えた!?」

「ふふっ、なんですかそれ」


 まるでその辺の子供みたいな喋り方。

 これは演技だ。あたしを気遣って、心理的な負荷を減らしてくれているのだろう。


 空を仰ぎ、息を吸い込む。

 こんなにも晴れやかな気持ちになったのは、いつ振りだったかな。


「聞いても良いですか?」

「良いよ。なんでも聞いて」


 あたしは彼の闇よりも暗く深い黒色をした瞳を見て言う。


「あなたの目的を教えてください」


 彼はあたしの目を真っ直ぐに見た。

 そして、きっとあたしには想像も及ばない程に深い思慮を経て、ただ一言だけ返事をした。


「自由に生きること」


 かつて、こんなにも深い言葉を耳にしたことがあっただろうか。


 楽園で生きる者に自由は無い。

 始まりから終わりまで、全部、顔も知らない誰かによって定められている。


 もしも兄さんが行動しなければ、あたしは何も知らないまま「その時」を迎えて、全てを失うことになっていたはずだ。


 当然、彼も同じことを知っている。

 いやきっとあたしよりも多くを知っている。

 

 その上で彼は言った。

 自由に生きること。それが目的であると。


「……あなたを認めます」


 楽園に本当の意味で自由をもたらす。

 そんな夢物語を現実にできる者が存在するのなら、それは彼以外にありえない。


「ほんと? ありがとう」


 この無邪気な笑顔は、きっとこれから多くの人を導いてくれる。


 全身全霊で支えることを誓う。

 スカーレットは今この瞬間から彼の下僕だ。



 *  *  *



「スカーレットが負けたですってぇ!?」


 青の魔族を代表する少女は、部下の報告を受けてベッドから飛び起きた。


「その者は、まもなくこちらに……」


 部下は途中で口を止めた。

 代表が目を輝かせていたからだ。


「あの女が負けた。つまり、そいつに勝てば、このアクア様が一番ということ」


 アクアと名乗った少女は部下に告げる。


「そいつの特徴を報告しなさい!」

「はっ、直ぐに資料をまとめます!」


 部下は慌てた様子で部屋を出た。

 その後、アクアはベッドの上に立ち、窓の外を見つめて大きな声で言う。


「ふふんっ、ついにアクア様がトップに君臨する時が来たわね!」


 三色の楽園に分かれた魔族達は、それぞれの才能を活かして「その時」に備えている。


 当然、争うことは許されない。

 それぞれの立場は対等であり、上下関係など存在していない。


 彼女はそれが気に入らなかった。

 自分こそがリーダーであり、最も貴い存在であることを知らしめたいと常に思っていた。


 何かとチヤホヤされている赤が負けた。緑は権力とかに無関心。つまりこれは千載一遇。


 赤を倒した者に勝利する。

 そうすれば、自分こそが一番なのだと誰もが認めるはずだ。


「誰だか知らないけど、実にナイスよ! ご褒美として、あたしの魅力で身も心も骨抜きにしてあげるんだから!」

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