第25話 性要素あり

 氷雨ひさめ恍惚こうこつの中にいた。天上から響く音楽、全身を襲う悦楽えつらく、身体の胎内たいないを襲う快感。すべて今までに経験したことがないものばかりだった。

 そして、そのすべてを与えてくれている男が目の前で自分の肉体を蹂躙じゅうりんしていた。

男の名前は知らない。別に知る必要も無い。

 このふわふわとした幸せな時間が永遠に続くのなら何だってする。氷雨ひさめはそう考えていた。


 すでに一回目の床入とこいりから半刻はんこくが過ぎていた。

 紅笑芙蓉こうしょうふようを粘液にした物を針に塗り、経絡けいらくや神経の集合しているところに打ち込んでいる。それとは別に紅笑芙蓉こうしょうふようを液状にした赤い液体を飲ませていた。

 すでにこの女の精神は崩壊していた。少なくとも明日の明け方には事件を起こすだろう。

そう思いながら、雷白らいはくは最後の詰めに入っていた。四回目の床入とこいり後、求め続けている氷雨ひさめには曼陀羅華まんだらけ白蜜はくみつ紅笑芙蓉こうしょうふようを混ぜて粘液状にした物をたっぷりと塗り込んだ張り型を与えてある。女はそれを男の物だと思い込み手淫しゅいんをしていた。

 そこまで落とし込んだ雷白らいはくは何喰わぬ顔をして、正面から出てる。


「いやぁ、上方かみがた新地しんちもええけど、江戸の吉原よしわらは最高でんなぁ。また寄らしてもらいまっせ。ほな」


そう言いながら、一刻前に見世みせ先でごねていた男は立ち去っていった。


「ふぅ、なんとか帰ってくれましたなぁ。

氷雨太夫ひさめだゆうにお礼をしないといけませんね」


 番頭が勘左衛門かんざえもんに声を掛る。勘左衛門かんざえもんは黙って頷いていた。

 しかし勘左衛門かんざえもんの中には何かが引っかかっていた。その引っかかっていた物は早朝すぐに思い知ることになった。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「ひゃぁぁははははははは、いっひひひひひひひ」


 早朝、喜瀬屋きせやの中にけたたましい笑い声がこだました。

勘左衛門かんざえもん、番頭、遣手婆やりてばばのお京、登楼とうろうしていた客、遊女ゆうじょ達、若い者達、ほとんどの者が目を覚ました。二階に駆け上がる者、また部屋から顔を出す者それぞれに別れた。

 笑い声の出所は氷雨太夫ひさめだゆうの部屋であった。


氷雨ひさめ、入るぞ」


 狂ったように笑い続ける氷雨ひさめの部屋の外には勘左衛門かんざえもんと番頭、お京の姿がある。

 若い者達は泊っている客に部屋から出ないようにお願いをしてまわっていた。

 部屋に入ると床の上に座った氷雨ひさめが枕を抱き、どこを見るでもなく笑っていた。

 勘左衛門かんざえもん達は氷雨の視線の先を追ってみる。しかし、そこには何も無いただの空間が拡がっているだけだった。

 笑い声を上げていた氷雨ひさめが物音に気がついたのか、勘左衛門かんざえもん達の方を向く。表情は引きつった笑いから恐怖の表情へと変化していった。


「ばっ、化け物ーっ、来るなっ!来るなーっ!」


 氷雨ひさめは急に顔を真っ青にし、そこら中の物を手当たり次第に投げ始めた。

たまらず勘左衛門かんざえもん達は氷雨ひさめの部屋の扉を閉めた。暫く物が飛んでそこら中に当たっている音が聞こえていたが急に静かになる。

そして、また笑い声が響き始めた。

 勘左衛門かんざえもん達は互いに顔を見合わせ、登楼とうろうしているお客達に帰ってもらうように指示を出した。また、若い者に医者を呼びにやらせる。


(なんだ……、何があった……)


 氷雨ひさめの部屋の前を番頭とお京に任せ、勘左衛門かんざえもん登楼とうろうしている客に頭を下げてまわりながら考えた。氷雨ひさめがこの数日でとった客の顔を次々と思い浮かべる。

そしてそれは一つの顔で止まった。


(いや、しかし、そんな偶然が)


 昨夜一刻だけ氷雨ひさめが相手をした男の顔が浮かんだ。同時に東風こちの相手をした男の顔も浮かぶ。やはり客商売、お客に顔はそう簡単に忘れるものでは無い。


(相手は違う……、共通点はないはず)


 勘左衛門かんざえもんの知らない事実がつながりを絶っていた。

最初の男が西国さいごく出身、しかも肥前ひぜん長崎の方から来ていたことを。

とりあえず、氷雨ひさめをどうするかを勘左衛門かんざえもんは思案していた。


 半刻はんこく後、若い者達数人で、抵抗する氷雨ひさめを押さえつけ地下二階の座敷牢ざしきろうへ運んだ。

 物を投げたり、自分の身体をひっかいたりし始めたので、かんざしなど、すべての装飾品をはずし氷雨ひさめの部屋から布団のみをを運び閉じ込め、様子を見ることにした。

 暫くすると町医者が尋ねて来た。東風こちの検死を担当した医者だ。

吉原よしわらの外の番屋に協力してもらい、特別に呼び寄せた。


「ふぅむ、何か、中毒を起こしているようじゃの」


 江戸で今、一番評判の医者だった。最初は医者すらも近づくのは大変だった。

 とにかく暴れ、部屋の隅に固まり動かない。氷雨ひさめにこれほどの力があったのかという程だった。

 最終的は遣手婆やりてばば達では手に負えず、若い者達が五人がかりでやっと押さえつけ、診察をすることになった。


笑ったり、泣いたり、怒ったり、怯えたり。


 最終的には意味不明な言葉を発するようになった。身体は震え、絶えずきむしっている。


「中毒……、もしや阿芙蓉あふようですか?」


 勘左衛門かんざえもんは先月、見世みせで起こった事件を元に疑問を投げかけた。医者は暫く考え込み、結論を出した。


阿芙蓉あふよう、ではないな。

あれはこう、身体に特徴が現れる。

身体に青い青班せいはんが浮かんだり、眼が極端に小さくなったりするのじゃよ。それに、あれは何度も阿芙蓉あふようを求めるがそのような症状は出ておらん」


 そこまで言って一度言葉を切った。氷雨ひさめの様子をじっくりと観察している。


「どちらかというと……そうじゃな、たけの中毒症状に似ておるの」


医者は押さえつけられている氷雨ひさめを見て、考え込む。


たけの類いならば1日も経てばほぼ収る、死ぬたぐいのたけならばもう死んどるよ。

今日一日様子を見るのがよかろうて。

たぶん身体を傷つけようとするから、さらしや絹の布で手足を縛るのがよいじゃろう。あまり締めすぎたら血が止まり腐るから四半刻ごとに緩めること。明日になっても収らなければ、また呼んでくれ」


 そこまで言うと医者は帰り支度を始めた。勘左衛門かんざえもんが口を開く。


「あの、先生はうちの東風こちを解剖なさった先生ですが、同じとは考えられないでしょうか」


 勘左衛門かんざえもんの言葉に医者は少し驚いた表情をした。全く思いつかなかったようだ。そしてまた考え込む。


「あれは、悲惨じゃった。あれは、ほぼ阿芙蓉あふようで間違いはなかろうて。

じゃが今回のはどうじゃ?

この状態であのような行動がとれるかな?

阿芙蓉あふようの中毒者なら、阿芙蓉あふようほしさにあのようなことをするのもわかる。しかし、この太夫たゆうが今、阿芙蓉あふようを求めておるか?」


 医者の話には筋が通っていた。勘左衛門かんざえもんは心の中にしこりを残ながら、とりあえず医者に通常以上の料金を支払った。


「まずは、明日じゃ。

話はそれからじゃ」


 そこまで言って医者は喜瀬屋きせやを後にした。氷雨ひさめの看護を遣手婆やりてばばと若い者数人に任せ、時雨しぐれに部屋に来るようお京に伝える。

 番頭には見世みせ全体の管理を任せると指示を出す。

しばらく待つと時雨しぐれが姿を現した。相も変わらず乱れた格好をしている。


時雨しぐれ氷雨ひさめの件は聞いたか?」


時雨しぐれはあくびをしながら頷いた。とりあえず話だけは聞いているようだ。


時雨しぐれに頼みがある。今日往診に来た医者を警護して欲しい。

金は出す」


 勘左衛門かんざえもんの突然の指示に時雨しぐれが驚いた。

明るい内に堂々と言ってきたからだ。

 普段は深夜とか早朝などの誰にも聞かれない時間が多い。それは他の者に気取られないための配慮だった。

 その大原則を放棄している。それほど切羽詰まっているのだと時雨しぐれは感じた。


「もしかして、東風こちとの一件とつながりが?」


時雨しぐれの疑問に勘左衛門かんざえもんは首を横に振った。


「まだ分からん。

しかし、一月前の今度の件だ。用心に越したことはない。

すまんが頼む」


勘左衛門かんざえもんは口を閉ざした。


「とりあえず、氷雨ひさめ姉様の様子を見てくるでありんす。

そのまま出ます」


 時雨しぐれは立ち上がると地下へ続く通路へ消えていった。

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