第15話

 勘左衛門かんざえもん喜瀬屋きせやに戻ってきたのは夜半過ぎであった。どこか疲れ切っている様子にお京と番頭が声を掛けられず、遠巻きに見ていた。

喜瀬屋きせやは夕刻から見世を閉めている。見世みせの中はしんと静まりかえっていた。


「旦那様、どのようになりましたか?」


 意を決したように番頭が声を掛ける。勘左衛門かんざえもんは黙って顔を上げた。二人をじっと見つめる。


「あぁ、千両の罰金と膳屋ぜんやへ二千両の違約金だ。それと三十日の営業停止だ」


 さすがに番頭とお京も座り込む。

合計三千両の罰金だ。金はあるがかなりの出費である。

それよりも営業停止の方が堪える。出費は取り戻せば良い。しかし取り戻す手段を止められたのだ。

ただ、下手人げしゅにんではないので本人にとがはない。それが救いであった。


東風こちは?

東風こちの身体はどうなるのですか?」


 お京がはっとした顔で尋ねる。勘左衛門かんざえもんうつむいてぼそりと呟いた。


「その場で死んだといっても普通は遠島えんとうだ。ただ、遺体に不自然な点が多いから色々と調べるそうだ。

なんとか引き取れるよう頼んではみるが……」


 そこまで言って勘左衛門かんざえもんは口をつぐんだ。

あの遺体を引き取って埋葬まいそうしてやりたい。しかし、見世みせの者に見せられる状態ではない。そのことが勘左衛門かんざえもんの口を閉ざしていた。


「とりあえず、明日からは休業だ。いろいろと大変だろうが各人の役割や仕事を割り振ってくれ」


勘左衛門かんざえもんはそう言って、自室に戻っていった。


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 喜瀬屋きせやはその次の日から営業停止になった。

遊女ゆうじょたちは遊女ゆうじょ同士で性技の練習をしたり、禿かむろたちに知識を教えている。それと各自の部屋の掃除、整理整頓を始めた。

若い者達はここぞとばかりに地下の整理を始め、遣手たちも一階広間の掃除をしている。

 勘左衛門かんざえもんはまず朝一に奉行所へ千両を届けた。

昼からは奉行所の立ち合いのもと膳屋ぜんやへ二千両を届けた。

そこではさんざん嫌みを言われたようだ。

その後、世話になったおやじや寄合の組員達に迷惑料を配る。

当然、番屋ばんや源五郎げんごろう達にも付け届けをする。

最終的な損益は五千両近くに昇った。


 金の精算を終わらせたら、勘左衛門かんざえもんは連日奉行所へ出頭している。

東風こちのことだ。

東風こちは様々な検査、解剖を行われていた。

幸い、阿芙蓉あふようのことは感づかれなかった。

 そして、東風こちの身体は返されることとなった。

東風こちの遺体は江戸の郊外にある寺にひっそりと埋葬される。東風こちに近しかった者のみが埋葬に立ち会った。


「なあ、時雨しぐれ。おまえさんが気に病むことは無いのだよ。すべては仏の思し召しだ」


 帰ってきた東風こちの遺体をとこまで運んだのは時雨だった。

ほとんどの者は近づこうとすらしなかった。

遺体になって数日が経過していたので、一日だけ喜瀬屋きせやで線香を上げ、次の日、今日が埋葬日だ。

 寺の住職の読経どきょうが響く。勘左衛門かんざえもんと番頭、お京と時雨、遊女ゆうじょが二人、禿かむろが五人という寂しい葬式だった。

しかし、遊女ゆうじょの葬儀にしては規模が大きいほうだった。

 普通の遊女ゆうじょ浄閑寺じょうかんじという寺に無縁仏として葬られるのが常だ。喜瀬屋きせやだけが死亡した遊女ゆうじょを手厚く葬っている。

喜瀬屋勘左衛門きせやかんざえもん亡八ぼうはちと呼ばれないのはそこのところが大きい。


 簡単な葬式と埋葬を済ませると一行は帰路についた。

江戸の市街に入り、吉原へ歩いているとき時雨しぐれはふと足を止めた。

誰かの視線を感じ取っていたのだ。

時雨しぐれ勘左衛門かんざえもんの側に行き、耳打ちをする。


「誰かに見られていんす。あちきが正体を確かめてきんす」


 そう言うと時雨は自然と別の方向に歩き出した。

時雨しぐれの気まぐれはいつものことなので誰も何も言わない。ただ、東風こちのことを悲しんでいるだけだった。


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 時雨しぐれは暫く歩く。視線は時雨しぐれの方に徐々に移動してきた。


(あらあら、あきちが狙いでござんすか)


そのまま、表通りを歩き、買い物をする振りをしながら歩く。そして人気の無いところへ誘導した。

相手は誘導されていることに気づいていないのか、わざと付いて来ているのか、一定の距離を保ったまま付いてくる。

時雨しぐれは大きな寺の境内を通り抜け、裏手うらてまで引き寄せ気配を消した。もっとも、ただしゃがんだだけなのだが。

 目標を見失ったと思ったようで、視線の主は早足で向かってきた。

時雨しぐれの足が姿を現した相手の足を払う。

相手はそのまま顔面から落ちた……、落ちない!

そのまま宙で一回転して着地する。

 時雨しぐれは振り返ろうとする相手の耳朶みみたぶの後ろに短刀を突きつけた。ここから一突きすると神経と血管を一気に切断できる。


「誰だい、あんた。あちきが時雨太夫しぐれだゆうと知ってありんすか?」


 相手は時雨より少し丈の低い男だった。仕立ての良い着物を着た武士だ。


安岐姫あきひめ様、お久しゅうございます」


 男から洩れた言葉は、とても懐かしい言葉であり、懐かしい声であった。

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