第3話

 吉原よしわら


昼見世ひるみせ遊女ゆうじょたちが次々に訪れる男たちに声をかける。

見世みせに引き込まれる男、声をかけ話す喧騒けんそうが大通りを賑わせていた。


「ねぇ、旦那ぁ。

上がっていかない」


 喜瀬屋きせや遊女ゆうじょ東風こちは悩まし気な声色で近くを歩くおのぼり風の商人らしき男に声をかけた。

東風は吉原で初めて見る顔に色目を使う。

つい数日前から客を取り出したばかりで張り切っていた。

ちょうど白雨はくうがいなくなったときから見世に出してもらえるようになった。

白雨はくうは行方知れずになったが足抜けに失敗し、折檻せっかんを受けているとか、見せしめに殺されたとかいう噂は飛び交っていた。

しかし東風こちにはそんなことはどうでもよかった。

年季は十二年。

 どうせ吉原から出られないならば、最高位である太夫たゆうまで上り詰めてやろう、そして贅沢をしてやろうと誓ったのだ。

涙は枯れた。


「名は?」


 その商人らしき男は誘いに乗ったようで見世に近づいてきた。

じっくりと東風こちの顔から身体まで見回している。

その様子から江戸の者ではないようだ。

旅姿ではないが小振りの道具入れを背負っている。

ここ数日頑張ったのでふところは温かい。

 東風こちは客として稼がせてもらうついでに面白いものをもっていたら売ってもらおうと思い更に話しかける。


「あちきは東風こちと申します。どうです旦那ぁ」


 喜瀬屋きせやは吉原でも四件しかない大見世おおみせだ。太夫たゆう格子こうし以下の端女郎はしためでもかなり値が張る。

商人風の男は少し考え込む素振りを見せた。

東風こち器量きりょうは良かった。

だから喜瀬屋きせやにいる。

 なで肩でほっそりとした身体、ただでさえ白い肌に白粉おしろいを塗ってなまめかしくみえる。

紅も厚ぼったい唇に、太夫たゆう禿かむろをしていたときに「将来役に立つから」と譲ってもらった、薄い貝の膜を散らした朱色の紅を差している。


「良いだろう

案内してくれ」


その言葉を聞き、東風こちは満面の笑みを浮かべた。


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 喜瀬屋勘左衛門きせやかんざえもんは客を案内する東風こちを見ながら安堵していた。

数日前から客を取らせている割に気落ちするでもなく仕事をしている。

普通なら憂鬱ゆううつになるものだ。


 ただ、全く問題がないわけでない。

引き取ってきたときから唯一直らないのが舌足らずな話し方だった。


大見世おおみせ遊女ゆうじょとしては良くない。

しかし直らない。


 勘左衛門かんざえもんは半ば諦めていた。

もう三年も直らないのだ。仕事さえこなして花代はなだいとおひねりを稼いでくれれば良いと思っていた。


 そのような東風こちが客の男を二階へ案内しているのを黙って見ていると、階段の横手に時雨しぐれが立っていた。

時雨しぐれの視線は東風こちと商人風の男に向けられている。

二人が階段を上っていった後もじっと見つめ続けていた。

時雨しぐれの高い鼻は時折ひくひくと動いている。

しばらくして、時雨しぐれは首をかしげながら近づいてきた。


時雨しぐれ、おはよう」


 勘左衛門かんざえもんは昼間に起きてきた時雨しぐれに声をかけた。

髪はきちんと結われているが、着物は胸元がはだけ真っ白な乳房が着物の隙間から半分顔を出している。


「ほれ、しっかりしないか」


 勘左衛門かんざえもんは隣にちょこんと座り煙管きせるに火を入れる時雨しぐれの胸元を直してやる。

時雨しぐれはいやいやと少し身体をくねらせたが最後には元に戻されてしまった。

その様子を見ながらふと思い立ったように質問をする。


「そういえば時雨しぐれ

さっき階段を上る東風こちを見ていたようだが、何か気にかかることでもあったのかい?」


 時雨しぐれの本能は鋭い。

勘左衛門かんざえもんも時雨の底は完全には見えていない。

時雨しぐれのちょっとした動作にわずかながら警戒心が高まっていた。


「ん~、ちょっと……ね。

まだよくわかんないでありんす」


 時雨しぐれはちょっとだけ考え込んで口から煙を吐き出した。

何かを思い出そうとしているような表情を浮かべている。


「だめですね、てて様」


もう一度、薄い唇を開くとほんわりと煙の輪っかが部屋の中を漂った。

煙管きせるの火を火入れに落とし、すっくと立ち上がる。

勘左衛門かんざえもんは時雨を思わず見上げてしまう。

首が痛くなるほどだ。

時雨しぐれはひらひらと手を振ると、自分の部屋の方へ歩き出した。


「お昼寝してきんす」


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 東風こちは自分の部屋は持っていない。

客を取らないときは端女郎はしため三人で八畳一部屋に寝泊まりしている。

客を取るときのみ専門の部屋へ行く。

そこは六畳のこざっぱりとした部屋だ。

もっとも、畳も新しく、調度品も良いものが揃っている。

部屋に入ったとき、すでに床は敷かれていた。

東風こちが襖を開け、先程の商人風の男を中へと誘った。

男は黙って中へ入る。


 商人風の男は藤八郎とうはちろうと名乗った。

西国さいごくから行商に来たということだ。

東風こちは北の方から奉公に来ていたので藤八郎とうはちろうに色々と話しかけた。


「ねぇ、藤八郎とうはちろう様ぁ。西国さいごくとはどのようなところですか?」


東風こちは着物を脱がせながら耳元で甘くささやいた。

荷物はすでに部屋の隅へ置かれている。

四十を過ぎた頃だろうか。

背はそれほど高くなく、肉は締まっている。


「ん?

あぁ、のんびりとしたところだよ。

だが今は天草一揆あまくさいっき飢饉ききんでかなり荒れているがね。

私は肥前ひぜん平戸ひらどというところで南蛮なんばん商人と貿易しているものだ。

今は扇島おうぎしまに拠点を移したがね」


 この寛永かんえい十八年というのは日本全体が飢饉を起こしていた。

数年前から大雨・洪水などの自然災害、稲を食い荒らす害虫の発生。

また、先年には東北地方で火山が噴火し、津軽つがる地方などで凶作が発生していた。

このため吉原には地方各地から身売りされた遊女ゆうじょ・遊女見習いの禿かむろたちが数多く売られてきていた。

江戸最大の歓楽街・吉原よしわらも飽和状態であった。


「え、じゃあ。禁制のキリシタンで?」


東風こちは思わず声をあげた。


 キリシタンはご禁制だ。

ばれれば磔刑たっけいに処される。

四年前に島原・天草一揆が起こったからさらに厳しくなった。

一揆は苛烈な戦いで、鎮圧されるまでおよそ一年に及んだという。

東風こち禿かむろの時に出入りの商人などから話だけは聞いていた。


「いやいや、私はキリシタンではないですよ。

それに滅多なことを言わないでください。キリシタンは死罪ですよ……」


藤八郎とうはちろうは慌てて手を振る。

それはそうだ。

どこに幕府の密偵が潜んでいるかもしれないこの江戸だ。

キリシタンだと分かればすぐに奉行所に引っ張られ牢に入れられる。

激しい詮議せんぎの後で死罪磔刑たっけいが言い渡される。


「ふ~ん、まぁ、いいや。

ところでどんな物を売ってるんでありんすかねぇ?」


東風こち南蛮貿易なんばんぼうえきをしている商人の扱う商品に興味深げに尋ねた。


「そうだな。

びいどろの器とか、南蛮の髪飾りや胸飾り。

あとは精力剤なんかだね」


東風こち藤八郎とうはちろうの最後の言葉に思わず飛びついた。


「精力剤?

まむしとか海狗かいく(オットセイ)魔羅まらとか?」


「いや?

もっと良いものさ。

試しに飲んでみるかい。

どうせ使いたいしお代はいらないよ」


 藤八郎とうはちろうの言葉に東風こちは眼を煌めかせる。

差し出された竹筒。

東風こち躊躇ためらいつつもそれを口に含んだ。

甘い飲み物。

そのまま嚥下する。

こくりこくりと東風こちの白い喉がうごめく。


「なんか、身体が熱い……」


 東風こちの白い肌が徐々に朱色に染まる。

その様子を見ていた藤八郎とうはちろうはにやりと笑うと東風こちを組み敷いてゆく。

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