後日談 スターチスの花言葉に寄せて。

「書き終わったよ、実瑠。」


 あなたの人生を勝手に綴ったこの手紙が。十週間のあなたの命が。


 褪せたカーテンが揺れる。風が吹いて、私の頬を伝う涙を乾かしてゆく。

 ワンルームに生活感はない。思い描いた幸せの形の欠片でさえ。


「私は暴力ばかり受けてきたけれど、それでも生きてたんだよね。」


 今ならわかる。私の両親は、私を殺せなかっただけかも知れない。縁を切るつもりだったのは両親の方かも知れない。


 ただ、それでも私は生きていた。


 学校から帰れば食事の代わりに小銭だけが置かれていた。中学の時は、児童虐待に認定されるのを嫌がった両親なりの最低限の譲歩だと思っていた。でも、もしかしたらそれは、両親なりの優しさだったのかも知れない。

 真実はわからない、わからないけれど。


 わからなくても、私は確かに生きていた。


「実瑠、ごめんね、ごめんね、」


 嗚咽だけが、独りだけのアパートに響いた。生かしてあげられなくてごめんね。エゴばっかり押し付けてごめんね。信じられなくてごめんね。


「生きたかったよね、」


 オーバードーズを始めた頃、私は確かに希死念慮を抱えていた。

 それでも、私はもしかしたら生きたかったのかもしれない。いや、きっと。


 生きたかったのだ。


 皆と同じように笑って、遊んで、たまに勉強して、当たり前の学校生活を送りたかった。


「実瑠、」


 名前を呼んでもいいかな、実瑠。


「私は生きるよ。」


 大和とは酷い別れ方をしたの。私の一存だけで全て水に流したのよ。

 大和は初めて声を荒げたけれど、手は出さなかった。本当に、本当に、出来た人だったの。だからきっと、私よりも良い人がいるから、その人と幸せになって欲しいって、思ってる。

 実瑠、貴方のお父さんは、素晴らしい人なのよ。


「実瑠、」


 人工中絶の後、私は実瑠の遺体を頂いた。私が燃やしますから、業者の方は呼ばないでください、と。

 密室で生かされていた命は、とうとう産声を上げることなく死に臥した。

 私は極悪人だ。誰よりも、何よりも、たった一つの愛すべき命を、その愛で殺した。


「実瑠、」


 子供は母親を無条件に愛すと言うが、無条件に愛されるのは母親の方だった。

 机の上に置いてあった小銭を優しさだと思い、決して母に刃を向けなかった私のように。


 私の正しさは愛だった。

 未亜の思う正しさは、生まれてこないことだった。大和の正しさは、家族で幸せをつくることだった。





「スターチスの花冠を作ったの、実瑠。」


 





ーーーねえ、実瑠。これを愛だと言うには、少し、買い被りすぎたかな。






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世界でいちばん、密室の愛。 古都 一澄 @furutoko

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