秋葉山から火事

三鹿ショート

秋葉山から火事

 数人の女子生徒が笑顔を浮かべながら便所から出てきたかと思えば、その数分後には濡れ鼠と化した一人の女子生徒が姿を現した。

 背中を丸め、虚ろな目で歩くその姿に、私は見覚えがあった。

 かつて目にしたことがある女子生徒と、彼女の姿が、重なって見えたような気がした。

 そのためか、気が付けば私は彼女に声をかけていた。

 濡れた髪の毛や顔面を誤魔化そうともせず、彼女は無表情のまま、

「何か用事でしょうか」

 彼女に対する問いを口にしようとしたところで、先ほど見かけた女子生徒たちが廊下の奥から此方を見ていることに気が付いた。

 私の対応の仕方によっては、彼女がさらに虐げられてしまう可能性がある。

 ゆえに、私はそれ以上の言葉を発することができなかった。

 私が何でも無いと告げると、彼女はその場から去った。

 先ほどの女子生徒たちの姿は、既に消えていた。


***


 学校で話をしているところを見られないために、私は彼女の自宅へと向かった。

 呼び鈴を鳴らした私に応ずるべく顔を出した彼女は、やはり何の表情も浮かべていなかった。

 家の中に案内され、向かい合って座ったところで、私は彼女に問いを発した。

「きみは、特定の生徒たちに虐げられているのではないか」

 私の言葉に対して、彼女は動ずるような様子を見せることもなく、

「その通りです」

 首肯を返してから、彼女は珈琲を一口飲んだ。

「ですが、あなたに何が出来るのですか。私を救ってくれるとでも言うのですか」

 彼女は鼻で笑った。

「あのような場面を見た人間は、あなたが初めてではありません。ですが、これまで誰も救ってくれることはありませんでした。あなたも、心配している姿を見せるだけで、実際には何の行動もしない人間なのでしょう。最初から、期待などしていません」

「私を、他の人間と一緒くたにしないでもらおうか」

 私は彼女を見つめながら、

「以前にも、私はきみのような生徒に手を差し伸べたことがある。やがてその生徒は虐げられることがなくなり、笑顔を見せるようになったのだ。私は、きみにもそうなってほしい」

 私の言葉に、彼女は初めて困惑したような表情を浮かべた。

「その気持ちは有難いのですが、相手が厄介な人間だということを知っているのですか。私を救うことができたとしても、あなたの今後がどうなるのか」

「きみは、優しい人間だな」

 私は彼女に向かって笑みを浮かべると、

「きみは、きみの人生だけを考えれば良いのだ」


***


 彼女の言葉通り、彼女を虐げていた女子生徒たちは厄介だった。

 正確に言えば、その後ろ盾である。

 女子生徒たちと関係を持っている屈強な男性たちは、女子生徒たちを愛し、己の所有物としているために、その女子生徒たちに危害が加えられたと知れば、私の身が安全ではなくなるに違いない。

 だが、彼女を救うためには、黙っているわけにはいかなかった。

 私は、教師である。

 生徒のために行動するべき存在なのだ。


***


 傷だらけの私を見て、彼女は目を見開いた。

 心配そうな様子を見せる彼女に対して、私は口元を緩めると、

「今後、きみが虐げられることはない。あの生徒たちには、私がしかと言い聞かせたからだ」

 私の言葉を耳にすると、彼女は数秒ほど無言と化したが、やがて涙を流しながら感謝の言葉を吐いた。

 彼女が浮かべていた嬉しそうな表情を見て、私もまた、嬉しくなった。


***


 背の高い建物の屋上で、私は花を供えた。

 それから彼女についての報告をしていたところで、背後から何者かに突き飛ばされた。

 かろうじて屋上の縁を掴むことができたが、手が離れれば、私は一巻の終わりである。

 見上げると、其処には彼女が立っていた。

 彼女に助けを求めようとしたが、何者かに突き飛ばされたことを思うと、彼女が犯人である可能性は極めて高い。

 それでも、無表情のまま私を見下ろしている彼女に対して、私は阿呆のような問いを発した。

「何故、このような真似を」

 その言葉に、彼女は表情を変えることもなく、

「私の大事な人間を奪ったからです」

「大事な人間、とは」

 冥土の土産とばかりに、彼女は理由を語り始めた。

 彼女の大事な人間とは、数年前にこの屋上から飛び降りた少女のことだった。

 書き置きが無かったために、少女が何故自らの意志でこの世を去ったのかは不明だったのだが、実際は、彼女に手紙を書いていた。

 其処には、私に裏切られ、生きる意味を見出すことができなくなったということが書かれていたらしい。

 年齢に差があったものの仲が良かった少女のために、彼女は報復をすることを決めた。

 女子生徒たちに虐げられていたのは、そのような状況ならば私が近付いてくるだろうと考えたためであり、心の底から女子生徒たちが彼女のことを虐げていたわけではなかったらしい。

 事は彼女の想像通りに進み、くだんの少女のような人間を救えば、そのことを報告するために私がこの場所へやってくるだろうと待ち構えていたということだった。

 彼女は冷たい眼差しを向けながら、

「教師が生徒に手を出し、心から愛しているなどと告げながらも本命が別に存在しているなど、その気性はこの世を去らなければ良くなることはないのでしょうね」

 彼女が私の手を踏みつけようとしたために、私は慌てて声を出した。

「きみがどのような内容の手紙を受け取ったのかは不明だが、私の事情を聞いてくれても良いだろう。私は、好きで裏切ったわけではないのだ」

 その言葉に、彼女は首を傾げた。

「どういうことでしょうか」

「引っ張り上げてくれれば、それを教えよう」

「そう言いながらも、私に反撃をしようと考えているのでは」

「大事な生徒を相手に、何をするというのか。何を言っても無駄かもしれないが、其処は信じてほしいと言うことしかできない」

 彼女はしばらく考えるような様子を見せたが、やがて私を引っ張り上げた。

 屋上へと戻ることができた私は、何度も深呼吸をすることで、落ち着きを取り戻そうとした。

 ようやく呼吸が落ち着くと、私は彼女に向き直った。

 そして、彼女の目を見つめながら、

「では、私の事情を話そう」

 そう告げると同時に、私は彼女を突き飛ばした。

 目を丸くした彼女は、屋上の縁を掴むこともできず、そのまま地面へと向かった。

 赤い花を咲かせた彼女を屋上から見下ろしながら、

「きみが演技をしていたことなど、既に女子生徒たちから聞いていた。そして、きみが何故そのような真似をしたのかという理由も、私は知っていた。だからこそ、こうして対応することができたのだ」

 私は先ほど供えた花を一瞥してから、

「きみの大事な人間は、私にとっては単なる性欲処理の道具に過ぎない。陰気で異性経験の無い人間など、少しばかり優しくすれば簡単に落ちるものだ。自らの意志でこの場所から飛び降りたことには驚いたが、関係をどのように終わらせようかと悩んでいたために、助かったことは、間違いない。そのことを思えば、花を供えるくらいは安いものだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋葉山から火事 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ