file1 螺鈿箱に隠された真実 2話


 事務所の鍵を閉め、タクシーでカイリたちが向かった現場へとやってきた中戸。

 現場に着くと、ちょうど風間ビルディングの敷地から出てくる、ぐったりとしたカイリを背負った北堂と出くわした。


「えっ? えぇっ? 北堂さん! カイリさん、どうしたんですか!?」

 慌てふためくというのは、今の中戸の様子のことを言うのだろう。

 そんな中戸に北堂は慣れた様子で言った。

「心配ない。ただの電池切れや」


 すると、少し離れた後方より南条が北堂へと声をかける。

「いつき! 10時間後パジャマ男の事務所へ寄る! その頃、そいつを叩き起こしておいてくれ!」

「南条警部、わかりました!」

 中戸は南条を見て、目を丸くしたかと思ったら何とも言えない声を出す。

「うわぁぁ。キレイな人ですね、もしかしてあの女性は刑事さんですか?」

「せやで。大阪府警の鬼婦人きふじんとはあの人のことや」

「貴婦人? へぇ……超がつくほど美人ですもんね」

「あの人、あんたの思ってる貴婦人とちゃうで?」

 北堂の言葉に、「へ?」と間の抜けた返事をする中戸。北堂は、そっと中戸の耳元に口を寄せて――「鬼の婦人と書いての鬼婦人きふじんや」と言い放った。ごくりと喉を鳴らす中戸。彼女はそっと振り返り、盗み見るように南条を見て歩き出した。中戸は「きっと怖い人なのね」とぼそりとこぼす。


 事件現場の前に通る天満市場線という大川沿いの道路を歩いていると、その左手は遊歩道沿いにソメイヨシノが満開を迎えていた。

 

 北堂の背中でぐったりしているカイリはというと、どうやら夢の中のようだ。

「それより電池切れって……どうしてカイリさん寝ちゃったんですか?」

「ああ。中戸さんは初めてやもんな。カイリの睡眠障害は寝る時間が多いだけやない。いつ寝てしまうかもわからんのや。ついさっき、亡くなりはった人の落下現場を一緒に見とったら急に倒れてしもて」

「え?」


 急に倒れるような人が、探偵なんてやっていていいのかと思っている顔を中戸はしていた。それは中戸の顔に書いてあるようなもの。北堂にはすぐに見透かされてしまったのだろう。

「中戸さんはわっかりやすいなぁ……今、急に倒れるようなヤツが探偵なんてしててええんか? って思うとったやろ?」

「え? はい、思いました。よく言われます……わかりやすいって」

 すると、急に真顔になった北堂は、中戸にも知っておいてほしくてカイリの話を始めた。

「カイリはな、自分の病気と上手くつきあって行こうとしてるんや。こいつ、本当はええとこのボンボンやねん。こんな睡眠障害にならんかったら、探偵なんかしてへん。ホンマやったらおやっさんの後継いで、ごっつう偉い社長さんや。でも……まあ、しゃーない。どうにもできへんみたいやから。俺はこいつと長く一緒におるからわかるんやけど、カイリのために俺はおるんや。中戸さんも助手するんやったら、コイツの病状、知っといてな。さて。ほな、帰ろうか」

 そう言うと、北堂はふと遠い目をして歩き出した。

 

 告げられたカイリの状況について、何とも言いようがない中戸はその場で立ち止まる。急に倒れるなんて、かなり重度なのではないかとも考えて。

 だから、カイリの伯父が心配しているわけなのかと中戸は腑に落ちた。


 顔を上げると少し先を歩きだした北堂と、その背中におぶわれたカイリが見える。

 はためくスプリングコートからは、光沢のあるパジャマから出ている黄色い靴下に先のとんがった革靴の足元。

 中戸は前を歩く二人の後ろ姿を眺め、心の中では今回のことも含めて東伯先生に報告しておこうと思っていた。まだ彼らと関わり始めたばかりだが、雇ってもらったのだ。彼、東伯カイリという雇い主のことは知っておく必要がある。


「中戸さん、ボーッとしとったら置いてくで。次の次の交差点、ライオン橋を渡るからな!」

 中戸は、北堂からかけられた声にハッと我に返った。


 背が高く足の長い北堂は、どんどんと中戸を引き離して先を歩いていく。カイリを背負っているのに、なんとまあ早いことだ。中戸は慌てて距離を詰めるべく小走りになる。彼女は関東から来て間もないから、大阪に土地勘がないのだ。おいて行かれないようにと必死だ。しかし、この日朝食抜きの中戸は、なかなか彼には追いつけず……結局のところ、北堂の背中を事務所まで見続けることになった。



**************************************


 10時間後――

 夜も更けた同日23時。

 東伯探偵事務所には人が集まっていた。


 応接セットのローテーブルには、缶ビールとお好み焼き、パスタにサラダとそしてミネストローネスープと白パンが並べてある。

「中戸さん、悪いなぁ。手伝ってもろて」

「いえ。それより今から何が始まるのですか?」

 キッチンからそっと顔を出す中戸が見た光景は、10時間前に見た美人とカイリ、そして、小太りの男が応接セットのソファーに座っていた。


「今から、ここで捜査会議や」

 北堂は中戸ににっこりと笑うと、取り皿を持ってその輪の中に加わった。

「捜査会議……?」

 小首をかしげる中戸を、カイリが呼ぶ。

「園子さん、あなたもここに座ってください」

「……わぁ。標準語になりよった。しかも、園子さんやて。サブいぼ出るわ」

 長い付き合いだと言っていた北堂は、カイリの標準語はあまり好きではない様子。


 中戸は呼ばれたところへ座り、一応、自己紹介をしようとすると――

「あっ、この方は中戸園子さん。僕の探偵事務所に入ったばかりの助手です」と先にカイリに言われてしまった。「どうも……」とその言葉の続きが出てこない中戸。そこへ先ほど小太りの……と形容した男が笑顔で自己紹介を始めた。


「中戸園子さんですか! 俺っち、大阪府警の刑事・西 翼です! よろしくっす! あ、で。こちらが……」

「同じく、大阪府警の南条れみだ」

 何故か、南条れみが名乗った後、皆がしんと静まり返る。そこを何となく空気を読んだ中戸が間を埋めた。

「あ……中戸園子です! 皆さん、よろしくお願いいたします」

「ほな、食べながら捜査会議を始めんで!」

 キュルキュルと音を立て、北堂がどこからかホワイトボードを引きずってきた。

 そこには、すでに捜査内容が書かれてある――


 ホワイトボードの前に立つのは、片手に缶ビールを持つ南条だった。

 もちろん手に持っているのは、ノンアルコールのビールだ。


 南条は、中戸が昼間に現場で見た時の服装のままだったので、家に帰らず大阪府警からそのままここへ来たことが窺えた。中戸はきっと警察ってブラックなんだなぁと思っている。


「おそらく。事件の発端は、先日報じられた風間会長の死だと思われる――」そう切りだした、現時点での事実と遺留品についての説明が行われた。

「遺留品のほとんどはご遺体のものだった。手すりについていた赤い繊維は、毛糸で現在、詳細を調べてもらっている」

 次に南条は胸ポケットから手帳を出すと、そこに書かれた捜査内容を話し始めた。

「防犯カメラに映っていたのは二人、宅配業者の男と風間弥彦氏の嫁、美代子……ただ二人とも該者が亡くなる二時間前に現場を立ち去っている」

 そして明日朝にご遺体の自宅を捜索することになっていると南条は締めくくった。

「ほな、その自宅捜索、カイリも行かなあきませんよね?」

 取り分けたサラダを渡しながら、北堂が南条に話す。

「……そうだな。ご遺体の兄弟や家族も集まってもらうことになっているからな」

「事情聴取、そこでいっぺんにするんっすよね?」

 お好み焼きを頬張りながら、西刑事も話に相づちを打つ。

「ああ」と南条はチキンをつまみながら返事をして、ちらりとカイリを見た。

 カイリは優雅に紅茶を飲んでいる。

 そして、しばしの時が流れた。


「カイリさん、南条さんが……返事待ってるんじゃないですか?」

 聞こえているハズなのに、何故カイリは返事をしないのだろうと、半ばしびれを切らした中戸がカイリに話しかけた。

「わかってる」

 カイリは中戸に、そう伝えると南条を見る……

「もしかしたら……」

 いつもと違う真剣な表情のカイリは南条に向かって口を開いた――



**************************************


 朝から中戸は、胃がもたれていて薬を飲んでいる。

 昨夜の捜査会議は、深夜二時過ぎまで行われていた。

 といっても、七割は雑談だ。

 昨今、何かと忙しい警察という職業の裏側を垣間見た気がした中戸。

 

「あらら、中戸さん。胃もたれかいな」

 事務所のキッチンでブロッコリーのポタージュスープを仕込む北堂が言う。

「ええ何だか胃が重くて」

「残り物を欲張って食べるからや」

「だって、もったいないじゃないですか……あの、いつもあんなに遅くまで捜査会議するんですか?」

「ん? ああ、まあたまにやで。南条警部も西もカイリの起きている時間に合わせてくれてんねん」

「はあ……大変ですね」

 ただでさえ、刑事という職業は大変そうなのに、捜査協力者である男は睡眠障害があって、いつ寝るかもわからない。それでも彼、東伯カイリに捜査協力を依頼したいということは、よほどのことがあってのことなんだろう。

 中戸は掃除を始めようとモップを取り出し、応接セットのある部屋へと出てきた。

 白いカーテンの向こうには、天涯付きのベッドでカイリは夢の中だ。


 ふと、昨晩のカイリの言葉が頭に過る。

「もしかしたら……」といつもと違う真剣な表情のカイリから南条に向かって放たれた言葉は、意外なものだった。


『犯人は身内ではないかもしれない』


 その言葉に、全員が固まった。

 相続うんぬんということで、捜査の方向は身内へと向いていたからだ。

「身内でなないというなら、誰が犯人なんだ?」

 カイリにそう言った南条は、めぼしい容疑者がいるんだろう? とでも言いたげにカイリの回答を待つ。

「それは、まだ僕にもわからない……ただ、身内とその周辺の人たちからも話を聞いた方がいいと思うんだ」

「わかった」

 南条が返事をすると、西刑事が続ける。

「じゃあ、誰を呼びます?」

「そうだな……秘書や、運転手、他にも風間家に関わる人間には声をかけてくれ」

「わかりました!」


 中戸は、そんな八時間ほど前の会話を思い出す。

「中戸さん、あと二時間くらいでカイリが起きるからお昼食べたら風間家に行くで」

「わかりました。カイリさん、本当に起きるんですか?」

「十時間くらい寝たら起こしても起きる。まあ、ホンマは二十時間寝たいらしいけど」

 北堂はそんなことを中戸に話しながら、タブレット端末を手にソファーへと座った。モップを掛けながら中戸は、そっとタブレットを覗き込む。

「何か調べものですか?」

「ん? あ、ああ。カイリが昨日の事件のことがネットで何て言われてるか調べておけって。死んだ風間さんのことを悪く言うてるヤツとか、事件現場付近の有力情報とかやな」

「そんなこともするんですね……」

「せやで。探偵業も警察も情報大事やからな。あと、これ覚えておいた方がええかな……」

「何ですか?」

「悪いことするヤツらは、それを正当化したいヤツが多いねん。自分は悪うないとかいう思いをネットで流すヤツらもいるし。悪いことして見つかるんが怖くて震えてるようなヤツは思ったより少ないんや」

「……そういうものですか?」

「そういうもんや」

 

 北堂の言葉に中戸は何だか釈然としなかったが、現役の警察官が言うことなので、そういうことも一理あるのかもしれないと思う。

「カイリさんが時間的にできないところを補うのが北堂さんなのですね。だけど助手として私もそのうち、カイリさんの手伝いができるように頑張ります」

 中戸はいたって真面目にそう言ったのだったが、北堂には笑われてしまう。

「フフッ、そうやな。中戸さんが立派に助手を務められるようになったら、俺は警察署に戻れそうや」

「え? どうしてそこで笑うんですか!」

「いや、ホンマ。中戸さんは真面目でよろしいな」

「それ、バカにしてます?」

「してない、してない」

 

 今日も外は良い天気だ。

 春の風が、ここ東伯探偵事務所にも入ってくる。

 カイリの目覚めまであと二時間。


「ところで、お昼ご飯ってまたパンとスープですか?」

「せやで。カイリがそういう食事が好きなんや。俺らは少し早めに木の葉丼でもたべよか?」

「……木の葉丼ってなんですか?」

「えぇー!? 木の葉丼知らんの? かまぼこと玉子とネギの丼ぶりや」

「美味しそうですね」

「中戸さん、胃の調子良くないんやろ? 木の葉丼やったらあんまり負担にならへんと思う」

 北堂の気遣いに、ここで働くことにして良かったとしみじみ思う中戸の心の声は、またしても北堂にバレてしまっている。

 そんな二人の距離が縮まってきたところに、彼の携帯電話がけたたましく鳴った。


 

 

 





 



 

 


 





 

 





 


 

 



 

 

 












 



 

 

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