2.4 行き違いを越えて

 深夜になっても起きている青年少女たち。



 西方県の王都セレン。貴族のタウンハウスや,富裕な商人の邸宅が並ぶ地区に建てられた煉瓦レンガ造りのビルディングと,広めな庭の中にある簡単な研修設備。


 在セレン双瑞帝国総領事館と同じ建物へ入居している,ドクダミ庁セレン乗務区の助役のもとに終業点呼へ向かったトリスタン,雉くんとウーヅが合流するまでの間,帝国の総領事は速記者を伴って,クレア,ティケ,イヅールトを執務室に通した。

 トリスタンがこの三人から,デハ4073の車内で聞き出した事を書きとめた筆記具を乗務員カバンから取り出して,プラットホーム上で総領事に手渡している。


 仮の報告を記載した紙片に目を通していた総領事だが,やがて顔を上げると,

姿を持たない一人も含めて見回し,王侯貴族に対する挨拶を始める。

 「王太子殿下,ティケさま―」


 紙の地球に住む人類は,身近なところに精霊が存在することを知っていても,姿形は見えず,声も聞こえない。だから総領事もイヅーの存在に気付かず,無視するかのように言葉を続けた。

 イヅーやティケが耳を傾けていると,執務室のドアが3回ノックされた。総領事が許可すると,まず総領事の秘書官,―トリスタン,雉くん,ウーヅが入ってきた。


 こうして六人が合流したところで,秘書官と総領事が手短に打ち合わせを行うと同時に,トリスタンはクレアとティケに応接間への移動を促す。


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 二つある応接間の前に六人を誘導した秘書官が一礼して立ち去ると,トリスタンがクレアとティケの前を歩き,後ろにウーヅと雉くんが続いた。前の四人がソファへ腰掛けたのを確認してから,ウーヅがドアを閉める。


 「改めて礼を言おう。ピット子爵トリスタン,そして連味つらみ きじよ,実に見事な―」

 目の前に座ったトリスタン,ドアの前で挙手の敬礼をしている雉くんに対し,クレアはティケとイヅールト,そして自身を救った事への謝辞を述べる。ティケもソファに座ったまま,トリスタンと雉くんへ深々と頭を下げた。

 「もったいないです。我々がいたのは偶然で,それに殿下と僕の仲ですよ。…イヅーさん,あなたの声聞こえますよ,ティケさまの声とは別で。だからご安心を」


 ―同じ身体を二人の魂が共有していても,人間と精霊であって人格は違うのだから,声色こわいろも違ってくる。トリスタン,そして-(ハイフン)の一族である雉くんは,精霊の声が聞こえているし,姿を持つ精霊の顔を視認する事もできる。雉くんが付き添っている時に限り,ウーヅも同じだ。

 姿を持たない精霊であるイヅーが,トリスタンの能力を,おそらくは三日の間で目まぐるしく状況が変化した為に忘れてしまい,ティケは頭を下げたままなのにイヅーが何かを言おうとしているのへ気が付いたトリスタンは,気をつかいショイル語で声をかけた。


 「トリスタン…,あの,さっきはありがとう…」

 「いいよ,キーガン家の義務だからね。そういえば―」

 トリスタンが何か思い出したかのように声を低くすると,クレアは立ち上がった。

 「その反応は…,僕が何を殿下に言いたいか,分かるようですね―」

 顔を縦に振ったクレアは,トリスタンに促されるまま,隣にあるもう一つの応接間へ移っていった。



 彼らが戻ってくるまでの間,子爵が王太子に対していきどおるのが聞こえてきた。

 その為,室内が沈黙に支配される。右手を下ろしていた雉くんは,トリスタンとクレアの会話を聞いて震えるウーヅを支えた。沈黙を破ったのは,転がるように戻ってきた王太子だった。ティケに対し,土下座しそうな勢いでひざまずくと,謝り始める。

 「本当に申し訳ない,許してくれなくてもいい。ティケと,君の精霊を傷付けたから」

 「え?,顔を,上げてください殿下っ」

 「クレア,だけでいいよ,いつもの。なぜいつわりの婚約破棄をしたのか,明かすから」


 跪いたまま,クレアの左手は,ボイスレコーダーを机の上に置く。再生用スピーカージャックは,幸い,その机に埋め込まれていた魔道具のスピーカーと,接続できる規格のもの。

 ――側近達の,県王妃の声が,そして王太子自身の声が,ティケへの悪意を証言したのだった。



 「それで,これから先はどうしたいのですか?,クレア殿下」

 ボイスレコーダーに録音された記録を聞き終えたのち,沈黙が再び応接間を支配するより早く,トリスタンが口を開いた。

 「クレア,もうそろそろ教えてよ」

 ティケの口を借りて,イヅーも問いかける。

 「それは…,双瑞帝国の,東壁の大精霊に,力を貸してほしいとお願いしようと思ったから,もらった休暇の間に,そのさとへ向かいたかったんだ」

 「そうでしたか。確かに,イウルフ大陸の精霊のおさたる大精霊さまの力を借りる事ができれば,ショイル国 中央ヒートポース の当局であっても,ティケさまとストリング公爵家への捜査を,最初から無かった事にせざるを得ない,という状況へ持っていけますね」


 「あれは……真物ほんものの書状でした……わたくし,この目で見ていますが?」


 「落ち着いてください,ティケさま。今申し上げた,大精霊の加護により捜査の取り消しというのは,ショイル国,双瑞帝国のどちらにも法的根拠がありますから。それに,

側近や県王夫妻,その他 諸々もろもろの視線をどうするかも,問題ありません」



 ここでドアが三回ノックされた。雉くんがドアを開けると,セレン乗務区の助役が入ってくる。紙切れを手にしているのを認め,トリスタンは立って,上官のほうへ歩み寄った。 

 「つら 隆倉たかくら大臣の命令が届いた。クレア殿下の意向が分かり次第,伝えよ」

 助役の言った伝達事項に,トリスタンは答えた。

 「それはもう分かりましたよ。殿下は,ストリング公爵家に対する何らかの陰謀を感じ取って,ティケさまを首都ヒートポースの“魔の手”から逃がす為,大精霊の加護を得ようとしているとの事です」

 「そうか,ならばすぐに,帝都ずいはしの指示を仰ぐ。

 殿下とご令嬢に,もう少しお待ちいただきたいと,言ってくれるか」

 挙手の敬礼を行い,助役が応接間から駆け出して退出するのを見送って,県王太子と婚約者のほうを振り向くピット子爵。


 「トリスタンと雉んへ再会したのが王都セレン市内,手間が省けてよかった」 

 クレアが率直な感想を言った。そこへ入れ替わりに総領事と書記官が現れる。日付は既に変わっているので,これ以上起きているのは,眠気で苦しくなる。クレア,ティケ,イヅーは,保護してくれたのだから迷惑をかけたくないから,翌日までどう過ごそうかを言い出せていなかった(クレアがセレン駅に向かい,夜行の列車に乗るつもりだったのもあるが)。

 一方で総領事館とセレン乗務区としては,彼らを休ませなければと判断,客間を2つ提供する事にして,それを知らせに来たのだった。


 クレア達が総領事と秘書官の案内で,総領事館の別の階にある客間へと向かう事になる。廊下に出て,秘書官が応接間を消灯の上で施錠したのを眺めてから,トリスタンは後輩と,会談の間はずっと黙っていた子爵令嬢に,双瑞語で話しかける。

 乗務員カバンを持ったままの左手を,エストックのつかに軽くかけて。


 「雉ちゃん,お疲れ。僕らもセレンの乗務員宿舎のかいへ行こうか。

 僕と雉んはまず助役のところに寄るから。雉ちゃんはさっきと違って,隆倉大臣の命令を聞いている間,助役の部屋の外で,待っていてくれる?」


 その途端。泣きそうになったウーヅの,気分はまるで背が凍ったかのよう。

 「……やだ…離れないで,一人で眠るのは,もぉイヤ……」

 「知ってるから,冗談だから。おい雉軸ん,にらまないでくれ」


 ウーヅが耐火フードから出ている前髪を(眼鏡もいっしょに)雉くんの右腕へ軽く

押し当てる,そして彼の右手首を,すがるように両手でキュッと握る。トリスタンはそれを見て,誤魔化しに制帽の下の茶髪をいた。


 「先輩,驚かさないでください。それにしても,25日から乗務がしばらく無いから,

深夜まで起きていられましたね。助役のところへ急ぎますか」



 この助役は,25日の朝9時までの勤務に入っている。

 連味つらみ 隆倉たかくらドクダミ庁大臣からの命令が来ているかを確認する為に来た,雉くんとトリスタンに対し助役が伝えたのは

「翌日の昼に回送列車へ便びんじょうして,じろ車庫に戻る予定の乗務行路だが,向かうのを東壁口とうへきぐち駅に変更する」,という指示だった。 

 隆倉はトリスタンと息子に,クレア王子の一行へ同行しろと命じたのだ。

 詳細を書いた紙片は,ウーヅの分も合わせた三部が用意されており,手渡された雉くん,トリスタンは助役と互いに挙手の敬礼をすると,トリスタンは二人分の乗務員カバンを手にして,雉くんは右腕でウーヅをエスコートして,退出する。



 ――ショイル国は,公選の知事が統括する州(ライトバンクなど)と,君主制が継続するよう国(西方県,エスターライヒ公領県など)で構成される。どちらも『共和国憲法』によって17歳成人と定められているので,双瑞帝国より3つとし下に設定された形となる。クレアとティケは18歳,ショイル国内では成人と見做みなされるのに対して,双瑞帝国内では未成年者の扱いになる,というわけだ。



 日付が変わっていなかったとしても,トリスタンは深夜に何か食べる気になれないと,宿舎へ向かう。「もう眠いんです……」とふらついたウーヅを放っておけないからと,雉くんも宿舎へ向かう。三人とも何も口にしなかったのは,この為。


 その日使う部屋は事前に決められているので,トリスタンは一度足を止めると,後輩の乗務員カバンを彼の左手に返した。

 「僕は寝るのが隣の部屋だ。じゃ,また朝な」

 樹扶桑語の挨拶を言ったトリスタンに対して,雉くんは右手で敬礼し,

「……お,おやすみなさい,トリスタンさま」

ウーヅは両手をぎゅっと握って,双瑞語で挨拶した。



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 ドアを手で閉めてコンクリートの上で長靴ちょうかを脱いだ雉くん。たたみの床へ崩れ落ちるように座ったウーヅはサンダルを脱いで,彼を見上げこういた。


 「あたし……,いつもどおり…に,いてもいいの?」

 「そばに,俺とずっと」

 樹扶桑語で質問が聞こえてきたから,雉くんは樹扶桑語で即答した。


 先ほど,魔王ウィリアムと復刻者クインが関与しているのを,応接間で聞いたクレアの発言と,ボイスレコーダーの音声記録から確信した2人。

 押し入れから雉くんが取り出した毛布を頭までかぶってから,ウーヅは横になり,震える左手でブリオーの袖から安全ピンを外そうとするが,うまくいかない。

 隣へ腰を下ろした雉くんが右手を取り,乗務員室立入許可証へ伸ばした自分の右手ですぐに安全ピンを外した。


 「貴女あなたは…,前は自分でできた事が,今はできなくなりつつある。魔王の言葉と,呪いの発動を恐れる事,この二つが,からか」

 「あ,あたし……どっちも怖いの,だから……,お願いくっつ…,いて?」


 ウーヅが雑にたたんだ,ケープ付きの耐火フードの上に,雉くんは乗務員室立入許可証を置く。そこへ重ねて,ウーヅは外した眼鏡を置いた。インクブルーの瞳は閉じかけているが,寝付けないようだ。

 エストックとそのベルトを外し,乗務員カバンに載せた雉くんは向き直る。

 「しょうがないな。いつもどおり今日も,俺が付き添う。約束しただろう?」


 「雉くん,その…,ごめん…なさいっ…,迷惑な―」

 「いやいや,何へあやまるの?,心配いらないよ。それよりも,お嬢様が深夜に起きている事の方が心配だから,俺は」 


 ごつごつした手―つるぎを握り,マスコン(両手式)を握っている事が分かる―で毛布ごと頭を撫でられて,雪よりも白い肌が朱く染まる。自分の頬は見えないけど,気が付いた。 

 その時の気持ちは,ウーヅが眠るのを止めない。

 逆に,眠りへ落ちていくのを手伝った。


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  2024年1月15日に,

 智恵の精霊は,名前の樹扶桑語/日本語カタカナ表記をダ行に変更しました。

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