セックス中以外で、章吾に抱き寄せられたことなどなかった。だからだろう、こんなときなのに一瞬、その体温に浸りたくなった。章吾は、もう俺とは寝ないと、それだけを伝えたいのだと分かっているのに。

 「離せよ!」

 このまま章吾にもたれかかりたくなる自分を追い払うみたいに、声を荒げた。だって俺たちは、こんなことをする仲ではなかったはずだ。性欲処理のセックス。それだけしか俺たちの間にはなかった。

 「離せってば!」

 思いっきりもがくと、章吾は数秒の間の後、ぱっと唐突に俺を手放した。俺はそのはずみで転びかけたほどだった。

 これで全部終わりだ、と思った。全部、おしまい。いくら幼馴染だからって、これ以上一緒にはいられない。こんなところまで来てしまったのだから。

 中二の夏から五年。あまりにも遠くまで来すぎていた。

 「……ごめん、帰るから。」

 これが章吾に向ける最後の言葉になるのかな、と思うと、ただそっけないだけの自分の言葉が、妙に愛おしく思われるから不思議だった。

 章吾は、俺を手放した時と同じ格好のままで、若干右に傾いたまま立っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。俺は、その言葉を聞きたくはなかった。

 じゃあな、か、もう来るな、か、女ができた、か、分からないけれど、俺の心臓を引き裂く言葉だ。

 そして章吾は静かに言った。

 「なつめ、好きだ。」

 意味が分からなかった。宇宙空間に突然ぽんと投げ出された感じ。なにも分からない。

 「……は?」

 その一文字を絞り出すのも、ひと苦労だった。章吾の言葉をさらに引き出してしまうのが怖くて。

 けれど章吾は、それ以上なにも言わなかった。ただ、両腕を伸ばしてまた俺の身体を抱いた。

 沈黙のひと時。

 我に返った俺が、また暴れ出そうとした瞬間、章吾が口を切った。

 「どうしたら信じる? キスもセックスも意味ないのは分かってる。そんなのいくらでもしたしな。俺、言葉って苦手だから、うまく言えないよ。どうしたらお前、俺のこと信じる?」

 言葉って苦手。

 本人の申告通りの章吾にしては、それはとても長い台詞だった。

 信じない、と、俺は言おうとした。だって、もうこれ以上傷つきたくはなかった。今はもう、これ以上傷ついて立っていられるだけの余裕がない。

 それなのに、俺の唇は俺を裏切った。

 「信じるよ。」

 一言。俺自身でも驚くような言葉。ぴくりと、章吾の肩も驚いた。

 「……信じる。」

 今度は、確かめるみたいに。

 言ってみて、自分でも分かった。俺は、章吾を信じている。章吾が章吾であるだけで、俺にとってそれはもう、信じるに値する事実になるのだ。

 そっか、と、章吾が笑った。

 そうだよ、と、俺も笑った。

 こうやって笑ったりするのも、五年ぶりだという気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染み 美里 @minori070830

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る