第22話 会議は踊る

  ***  


 会議室では、長机が中央を四角く囲む形で並べられていた。

 駅前の古びたビルの一室が、祭りの参加企業向けの説明会の会場だった。パイプ椅子がある場所に、社名を書いた三角に折られた紙が立てられている。

 自分の社名を見つけて座った。まだ全体の半分くらいの人しか来ていない。


 祭りの主催は地域のNPOを中心とする実行委員会だった。いつも感嘆符がやけに多い熱のこもった長文のメールが送られてくる。正面の机には、かくしゃくとしたおじいさんとおばあさん達が数人いた。この人達が実行委員会なのだろう。地域の自治会や商店会の人ではないかと思う。どことなく貫禄ただよう顔つきで、エネルギーが有り余っていそうだった。


 ぽつぽつと席は埋まっていくものの、若い女性は私しかいない状況に少し寂しさを感じていたら、隣に同年代の女性が座った。

 ほっそりとした体に淡い水色のニットを着て、金色のヘアクリップで器用に髪をまとめた可愛い子だ。どこかで見たことがあるような気がして、そっと机の上の社名が書かれた紙を確認すると、雪間くんが出向している会社だった。

 この前、雪間くんとランチをしていた女性だった。

 驚きのあまり小さな横顔を凝視してしまった。彼女は私の視線に気づき、こちらを見てにこりと笑った。


「よろしくお願いします」


 肌は白く、近くで見るとなお一層、たおやかで可憐な子だった。

 


 説明会の内容は、何とも不安が残るものだった。

 今年、初めて行うお祭りだから仕方がないのかもしれないが、まだ決まっていないことや、事務局である実行委員会が質問に答えられないことが多く、「後で連絡します」という言葉が繰り返された。

 会議が終わって人々が立ち上がる中、ちらりと隣に目をやると彼女も困ったような顔でレジュメを見つめていた。


「何か、ちょっと不安ですね」


 つい小さな声で話しかけると、ほっとしたように笑った。


「ですよね」


 懸念を共有したことで、私達は急速に打ち解けた。会議の出席者に、若い女性は私と彼女しかいなかったせいもあるかもしれない。周りの人には聞こえないように、声をひそめて話す。これから、あの事務局からちゃんと連絡が来るのか不安だという意見が一致した。


「もし良ければ、メールアドレスを教えてもらえませんか? 事務局から個別に聞いたことで、共有した方が良い情報があればお伝えします」


 彼女がおずおずと提案する。確かに、そうした方が良さそうだった。


「そうですね。私も聞いたことで、何かあればお伝えします」


 交換した名刺には、「小笠原おがさわら 瑠衣るい」とあった。


「草野花音って、可愛い名前ですね」


「名前とギャップがあるとよく言われます。淡い色彩の水彩画を想像してたら、抽象的な現代アートだったとか。そんなこと私に言われても。小笠原さんの方こそ、雰囲気がぴったり合った可愛い名前じゃないですか」


 否定はせずに無言で照れる笑顔は輝くばかりだった。


 流れでそのまま途中まで一緒に帰ることになった。

 小笠原さんは派遣社員で、元々は役員の秘書業務をしていた。しかし、担当していた役員が病気でしばらく休職することになって手が空いた。他の人の仕事のサポートに入っており、この祭りの会議に出る仕事が回ってきたそうだ。


「お祭りで小笠原さんの会社は何をするんですか?」


「親会社の陸上部から選手が来て、子ども向けのかけっこ教室をやることになりました」


「それはすごい。楽しそうですね」


「来るのは控えの選手ですけど。たまたま親会社が今、実業団チームの地域貢献に力を入れていて。子どもを入れ替えて、一日に四回やります」


「結構、忙しそうですね」


「ほかの地域のイベントでやった時は大人気だったみたいで。ちょっと緊張します。私だけでなく、ほかにも色々な部署から数人若手が駆り出されていて、皆でやるんですけど」


 ふと雪間くんの陰鬱な顔が頭に浮かぶ。かけっこ教室にはそぐわない人材だが、若手ではある。


「……私、実は知り合いが御社にいるんですけど」


「誰ですか?」


「雪間森という人です」


「ああ、雪間さん! 知っています」


 小笠原さんは、ぱっと顔を輝かせる。


「一時期、雪間さんのいるチームのお手伝いにも行っていたんです。最初は不愛想な人かと思ったんですけど、私が仕事で困っていたら、いつも一番先に気づいて助けてくれました。草野さんとは、どういうつながりなんですか?」


「友達です」


「学校が一緒だったとか?」


「そうじゃないんですけど……たまたま、知り合って」


 雪間くんと小笠原さんの今後を考えたら、婚活で知り合ったなどとは口が裂けても言わない方がいいだろう。笑って誤魔化す。


「仲が良いんですか?」


「どうですかね。憎まれ口を叩きあってますけど。中学生の男子同士みたいというか」


「面白い」


 小笠原さんは口に両手を当ててくすくすと笑った。


「雪間さんは仕事も本当にできて。そろそろ本社に戻る時期だったらしいんですけど、うちの会社から強い引き止めがあって残ることになったって聞きました。みんな、雪間さんがいないと困っちゃうみたいで」


 それから、道が分かれるまで、いかに雪間くんが有能かという話を聞いた。ソフトウェアエンジニアとして群を抜いて優秀だし、どんな時でも淡々として感情の起伏がないので、チームメンバーからも信頼されているのだという。


「それじゃ、また」


 小笠原さんはお辞儀して小さく手を振った。脇をすれ違った男性は、振り返って彼女を見ていた。


 会社に戻る道をのろのろと歩きながら、ぼんやりと考える。

 小笠原さんが雪間くんに好感を抱いていることは間違いがない。話しぶりから、まだ交際には至ってないような気がした。


 あの子をランチに誘ったのが雪間くんからだったとしたら、相当な勇気がいったのではないだろうか。最初に知り合った頃を思い出すと、考えられない。

 家族と伊豆に行くという目標のため、慣れない婚活をするなど切磋琢磨した結果、変わったのだろう。考えたら泣けてくる。私は、友達として彼を応援しなくては。

 あの子と一緒なら、伊豆もさぞ楽しいだろう。私が行きたいくらいだ。雪間くんの幸福を願うばかりである。



 その晩は久しぶりに寝つきが悪かった。布団の中で、氷の上のアザラシのように何度も寝返りを打ったが、一向に眠くならない。

 翌日は土曜だったし、あきらめて動画でも見ることにした。映画について語る動画を見ていたが、ふと思い出してディズニー・プラスに切り替える。

 ミュージカル映画の『メリー・ポピンズ』を見た。昔の映画だから画像はざらついているし、背景は作り物であることが一目で分かってしまう。でも好きな歌手のミュージックビデオに引用されていると聞き、興味を持って見てみたら気に入った。

 メリーゴーランドの馬が動き出し、競馬で優勝したメリーがバートと「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」を歌う。そこでようやくとろとろと眠くなりベッドに入った。

 どんな辛い時でもこの言葉をとなえれば大丈夫、とジュリー・アンドリュースは歌う。


 そっと胸の中でとなえて目を閉じた。

 

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