第3章 アイスコットンキャンディ

第21話 祝鶴

 きっかけは『笑う茶碗』という本を読んだことだった。


 南伸坊さんの書いたエッセイで、『ツマ』との楽しい二人暮らしが綴られている。中年の夫婦二人は、精肉店のつつましいクリスマスツリーに感激したり、年賀状の写真のために本気でお多福とひょっとこに仮装したりする。

 私は結婚したいとは思っていなかったけど、この本を読んだら、「こういう暮らしって楽しそうだなあ」と憧れてしまったのだ。


「でも結婚しても、そうなれるとは限らないわけだけど」


「離婚する人も多いですよ。私の友達、二年前に結婚して、この前離婚しました。他にも離婚はしなくても関係が死んでいたり。そりゃ上手くいけば、その本みたいな息の合った夫婦になれるんでしょうけど。博打みたいなもんじゃないですか」


 見事な手さばきでチラシを折りながら、綾菜ちゃんが身も蓋もないことを言う。


「綾菜ちゃんは結婚願望ないんだもんね」


「ええ。私、両親がいがみあっているのに離婚しないという、地獄の環境で育ちましたからね。結婚に微塵も興味ありません」


 会議室の机を囲み、私達はひたすらにA4の紙を三つ折りするという作業に没頭していた。こういう時間は雑談に花が咲く。


 十一月の週末、駅前の公園で地域のNPOが主催するお祭りが開催される。近隣の企業に出店の誘いがあり、うちの会社も地域貢献の一環として参加することになった。その仕事は、会社の社会活動を担当している私の部署に回ってきて、私がメインの担当となった。

 検討した結果、親子連れが多いだろうし、子どもが楽しめるゲームをやることになった。隣の部署の吉居よしいさんがコリントゲームを作れるというので、それに決まった。

 コリントゲームというのは、木の台の上を右端からばねで玉を発射し、玉が転がった先に書かれた点数を競うものだ。


「今はネットで作り方が分かるから、できるよ」


 吉居さんは、普段、仕事に関係しないことは喋らないもの静かな男性だが、実は日曜大工が趣味で、お子さんの自由研究で一緒にコリントゲームを作ったことがあるのだという。コリントゲームの話になったら急に饒舌になって、スマホの写真を見せながら熱く語ってくれた。相談の上、吉居さんに家でお祭り用のコリントゲームを作ってもらうことになった。在宅勤務の申請理由が『コリントゲームを作るため』だったから笑ってしまう。


 ゲームの景品を用意するとともに、ゲームをしてくれた人には会社紹介のチラシを渡すことになった。地域住民に少しでも会社の存在をアピールしようという狙いだ。ちなみにコリントゲームは、会社の業務内容とは全く関係がない。

 予算も時間もないので、チラシは会社の印刷機を使って自分たちで印刷した。本当ならA4の紙を三つ折りできる機械があるのだが、たまたま故障中だった。それで、綾菜ちゃんに手伝ってもらって、大量のチラシを手で折っているのだ。


「ていうか、それ、結婚は必須ではないですよね。気の合う人と暮らせればいいんでしょう? 同棲でもいいじゃないですか」


「そうだね。同棲なら、もし駄目だった時にすぐ別れられるしね」


「そうですよ」


「結局、そういう人と出会えるかどうかだよね」


「花音さん、あの人とはどうなったんですか。近くの会社の霊感青年」


「……あの人は彼女ができたみたいよ」


「えっ」


 綾菜ちゃんが絶句して手を止めた。


 彼女が独特の覚え方をしている雪間くんと私は、ただの友達である。しかし、綾菜ちゃんはことあるごとに、「その人とつきあえばいい。そして私に変な霊がついていたら教えてください」と言っていた。


「そうなんですか? いつ? 本人から聞いたの?」


 身を乗り出した綾菜ちゃんの勢いに気圧される。


「本人から聞いたわけではないけど……」


 先週、トラブル対応で昼休憩の時間がずれた日があった。お昼を食べに、いつもより遅い時間に、近くにあるお気に入りのエスニックレストランに行ったら、雪間くんが女性と二人でランチを食べていた。

 咄嗟に彼らから死角になる位置の席に座り、そっと様子を伺った。一緒にいる女性は二十五、六歳くらい。白いブラウスにピンクベージュのロングスカート、長い髪はつややかなストレートの、華奢な雰囲気の可愛い子だった。

 しばらくして二人は店を出て行った。雪間くんは楽しげに微笑んでいた。

 彼とはここのところ、連絡が途絶えていた。忙しい人なのであまり気にしてはいなかったのだが、そういうことだったのかと合点がいった。


 私の話を聞いた綾菜ちゃんは、不服そうだった。


「それちゃんと、確かめた方がいいですよ。同僚とランチしただけかもしれないじゃないですか」


「つきあってなくても、その前の状態かもしれない。邪魔したくない。女の子らしい感じの子でさあ、ばっちり雪間くんのタイプだと思うんだよ」


「花音さんはそれでいいんですか?」


「いいも何も……そういうんじゃなかったし」


「でも、一緒にケーブルカーに乗ったんでしょう?」


「乗ってない。登山してないから」


「あれ? 何でしたっけ?」


「ロープウェー。乗ったけど、あれはただの観光だよ。乗って帰ってきただけ」


 ロープウェーに乗りみなとみらいに着いて、帰りは歩いて駅に戻って解散した。


「そもそも私、初対面でタイプじゃないって言われているし。最初に会った時は、女性と上手く喋れないって気にしていたけど、慣れたのかもね。だとしたら、私も友達として、ちゃんと役に立ったのかな」


「何をしみじみしてるんですか」


 雪間くんは見た目は悪くないし、真面目で意外と甲斐性がある。最初は陰気で偏屈な人だと思ったが、仲良くなってみれば、根は優しかった。経歴は文句ないし、彼女は大切にしそうだ。特異な体質のせいもあって、異性との接し方が分からなかったようだが、自然に話せるようになれば、むしろもてるタイプかもしれない。


「男ってやっぱりそういう子がいいんですかね」


 チラシを手で弄びながら、綾菜ちゃんがつまらなそうに言う。


「守ってあげたくなるような子が好きだよね。雪間くんなんか、明らかにそんな感じ」


「それは守っている自分が好きなんでしょう。守っている、と思わせられているだけのことも多い気がしますが」


「厳しいなあ。私なんて声も大きくてゴリラみたいだもんね。私と暮らしてくれる人なんていないかもしれない」


「そんなに自分を卑下しなくても。花音さんは可愛いですよ」


「ねえ、ゴリラといえば、ブタゴリラってあだ名ってよく考えるとすごくない?」


「どうして突然、キテレツ大百科の話になるんですか」


 真面目にそう思ったのだが、綾菜ちゃんに深いため息をつかれてしまった。


「それにジャイアンって、何でジャイアンなんだろうね」


「知りませんよ。花音さん、何しているんですか? 鶴ができていますけど」


 自分でも無意識のうちに、手元のチラシで鶴を折っていた。


「勝手に手が動いていた」


「A4の紙でも鶴って折れるんですね」


「折れるよ。私、祝い鶴も折れる。それは正方形だけど。知ってる? 尾が孔雀みたいなやつ」


「知りません。どんなですか」


 チラシを正方形に切って、綾菜ちゃんと祝い鶴作りに没頭する。見事に完成したところで綾菜ちゃんが呟いた。


「私達、何をするんでしたっけ」


「チラシを折るんだった」


「……花音さん、落ちこんでいません?」


「落ちこんでなんかないよ」


 億劫だがチラシ折りを再開する。机の上で、二羽の鶴は弓なりに胸をそらし、蛇腹になった三角の羽を広げて天井を仰いでいた。精一杯、虚勢を張るみたいに。

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