世界が終わる夜に

炭酸おん

世界が終わる夜に

 けたたましいスマホのアラームに顔をしかめながら目を覚ます。父さんと母さんが交通事故に巻き込まれて死んだあの日から、心地よく目覚められた日など一日もなかった。


 僕は体を起こして、洗面所へと向かった。そこで顔を洗ってから、パンをトースターで焼いて朝食の準備を済ませる。相変わらず、一人で使うには勿体ないくらい広い部屋だ。


 目覚めたときも確認したが、奇跡を願ってもう一度スマホの画面を確認する。だが、何度確認しても、そこに表示されているのは、木曜日という憂鬱な平日を表す文字の羅列だけだった。


 平日は嫌いだ。楽しくもない高校に行かなければならないし、親がいないから、生活するために二個三個とバイトをこなさなければならないから。まあ、休日もバイト漬けには変わらないが。


 コップに牛乳を注ぎ、片手でパンを食べながらリモコンを手に取り、テレビをつける。いつものニュース番組が表示されたが、いつもと様子が違う。黄色いゴシック体のフォントで、画面端にも関わらず堂々とその存在感を見せつけている文字があった。


『超巨大隕石が地球に接近中』


 そんな馬鹿げたものだった。また何かのつまらない企画だろうと思った僕は、違うチャンネルに切り替えたが、どこのチャンネルも、この話題で持ちきりだった。


 どうやら本当に、世界は終わるようだ。

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 明日の夜には隕石が地球と衝突し、世界が終わるらしい。だが、世界が終わる、と告げられても、いまいち実感が湧くことは無かった。あまりに突飛な事態に、まだ状況を飲み込めていないのかもしれない。だが、仮にそうできたとしても、多分僕は死を恐れることは無いのだろうと感じた。両親は死に、学校では人権の一つもない塵屑のように扱われ、バイト先でも良いように使われている。最後に楽しいと感じた記憶も、もうはるか昔のことのように思い出せなくなっていた。


 とりあえず、僕は学校に向かうことにした。別に学校に行ったところで面白いことなど何もない。世界の終わりに瀕したいじめっ子たちが謝りに来るのを期待したのだろうか。いや、ないな。アイツらはどうせ何があっても変わらないよ。でも、僕はそんな僅かな期待すら払拭できずに学校へと向かった。


 学校までは自転車で通学しているが、その道中はまさに混沌としていた。


 ある人は死へのどうしようもない恐怖に打ちひしがれ、ある人はどこへ行っても逃げられるわけがないのに急いで車を走らせ、またある人はどうせ死ぬならと自ら命を絶っていた。


 僕も、昔だったらこんな風に死を恐れていただろう。だが、早すぎる両親の死を間近で体験し、学校でもバイト先でも人のような扱いはしてもらえず、結果として僕はどうやら人として死んだらしい。そんなことを考えて何の感情も浮かばない辺り、本当に死んでいるのだろう。


 ただただ自転車を走らせていた。だが突然、前から慌てふためく人とぶつかり、派手に転倒してしまう。


「いってえな! お前、ちゃんと前見て運転しやがれ!」


 ぶつかった男の人はそう吐き捨てると、僕を一蹴りして走り去っていった。やっぱり、あの人も逆らえない死の恐怖におびえているのだろう。


 転んだのと蹴られたので、僕の体は傷だらけになっていた。元から体中痣だらけではあるが、足を擦りむいたのか血が出ていた。どうやら、まずは保健室に行かなければならないみたいだ。

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 学校に着いた。駐輪場に停まっている自転車は極端に少なく、周囲にいる生徒もほとんどいなかった。


 僕は自転車を停め、真っ先に保健室へと向かった。


「おはようございます、松田先生。通学途中に怪我をしてしまったので手当てをしていただけますか?」


 保健室に入って、僕は松田先生に話しかけた。


「えっと君は、寺島咲一てらしま さくいち君だったかな? おいで。手当てしてあげるよ」


 振り返ったのは年老いた女の先生、松田先生だ。彼女はこの学校に長く勤めており、生徒の顔と名前をすべて記憶しているというすごい先生だ。ちなみに、年齢について聞くのはご法度らしい。


「こりゃひどい傷だね。痛かっただろう。すぐ手当てしてやるからね。」


 松田先生は丁寧に傷の手当てを始めてくれた。その冷静さは、とても世界の終わりを目の当たりにした人とは思えない。


「先生は、怖くはないんですか? その、世界が終わるのが。」

「そうだね……まあ、怖くないって言ったら嘘になるだろうね。ただ、私はこの人生に悔いはないよ」


 傷の手当てをしながら、松田先生は語り続けた。


「この学校はとっくに定年を過ぎているこんな私を雇い続けてくれて、私はそれだけで幸せだよ。……ここだけの話だけどね、実は私、お医者様から余命宣告されているんだよ」


「余命宣告……」


「ああ。もうあと半年も生きられないかもしれないって。でも私は、人ってのはいたずらに長く生きればいいとは思わないね。そりゃあ、誰しも死ぬのは嫌だろう。怖いだろう。でも、死なんてものはいつだって日常のすぐそこにあって、私たちはたまたまそれを運良く回避できてここまで生きているのさ。死はいつ訪れるか分からない。だから私は今まで、いつ死んでも良いように後悔の残らない生き方をしてきた。だから死を前にしても怖くないと思ったけど……、やっぱり、死ぬのは怖いねぇ。」


 松田先生はそう言ってほほ笑むと、手当は既に終わっていた。


「……先生、ありがとうございました」

「寺島君」


 松田先生は最後に、僕の手を握って、こう言った。


「悔いの残らない死なんてものは無いと思う。でも、何もできずに諦めるのと、何か少しでも成し遂げてみせようと頑張ったのでは、きっと何か違うものが見えてくるはず。だから、悔いの無いように生きてね」


 彼女の手のぬくもりは、母の手を想起させた。彼女の優しい言葉は、父の優しい姿を連想させた。いままで思い出すことも無かったのに、どうして突然思い出してしまったのだろう?


 保健室から出た時、僕の顔を濡らすものがあった。

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 僕は自転車をこいでいた。学校を抜け出して、あの場所へと走り出したのだ。


 あの場所は遠い。きっとたどり着くには途方もない時間がかかるだろう。学校のいじめっ子どもに、バイト先の先輩に何と言われるか分からない。だが、もうどうせ世界は終わる。また会うこともないのだ。だったら、気にすることなど何もないだろう。


 無我夢中で自転車をこぎ続けた。不思議と、体力が切れることもなく、何時間、何十時間と、ただただ自転車をこぎ進めていた。


 気が付くと辺りは闇に包まれていた。僕は近くの公園に自転車を停めて、芝生の上に寝転がった。その瞬間にどっと、今までの疲れがのしかかってきた。


 仰向けになり、空を見上げる。満天の星空の真ん中に、ひときわ大きな光を放つものがあった。あれが、例の隕石なのだろう。


 皮肉なことに、その隕石は様々な色の光をまとっているように見え、とても美しく幻想的に見えた。


 気が付かぬうちに、僕は深い眠りについていた。

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 翌朝、僕はアラームが鳴る前に目を覚ました。こんなことは久しぶりだ。不思議と清々しい気分になった。


 僕は再び、自転車を漕ぎ出した。目的の場所まではあと半分ほど。頑張れば世界の終わりに間に合うはずだ。


 昨日にも増して、周囲の状況は悲惨なものだった。だが、そんなものも気にせず、僕は必死に走り続けていた。


 もうすぐそこまで隕石が近づいてきているのが分かった。自転車のペダルを漕ぐ足により一層力が入る。僕は走り続けた。そして、やっとたどり着いた。


 自転車を停めて置いておく時間さえも惜しく、僕は自転車を乗り捨てて、入り口へと走った。


 そして、その先には、昔見たのと変わらない景色が広がっていた。


「懐かしいな……」


 子供のころ、両親とも仕事が忙しく、なかなか休みが取れない中で、ようやく行くことができた最初で最後の遠出。今はもう潰れてしまっていたが、この遊園地で遊んだ時間はとても楽しかった。


 時間的にもう暗くなっていてもおかしくない時間だが、隕石のせいで世界はわずかに明るかった。


 僕は園内を歩き回り、ある大木の前にたどり着いた。その木には、赤いペンで引かれた線が一本入っていた。


 これは僕がつけたものだ。木と背比べをして、そのときの自分の身長をペンで記したのだ。その後、親に滅茶苦茶怒られて、スタッフに一緒に謝ったのを思い出した。


 僕は木のそばに座り込んだ。上を向くと、もう隕石がすぐそこまで迫ってきていた。多分、あと一時間もかからずに世界は終わるだろう。


 途端に、僕の頭に色々な記憶が蘇って来た。父さんや母さんと遊んだこと、中学校の友人と馬鹿騒ぎしたこと、高校受験に成功したこと。今更、そんな楽しかった日々が思い出されてきた。


「……なんで、もっと早く思い出せなかったんだよ」


 一滴、二滴と涙がこぼれ落ちてきて、気づけば僕は子供のように泣きじゃくっていた。


 僕は、後悔こそしていた。だけど、ここに来ていたら、こんなことを思い出すことも無かった。そうしたら、僕は多分もっと後悔していただろう。


「父さん、母さん、ありがとう」


 そう思いながら、僕の意識は遠い彼方へと消えていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 目を開ける。視界に飛び込んできたのは、いつもの家の天井だ。


「……夢、だったのか」


 その事実にほっとしつつも、僕は少し悲しかった。夢の中でのことははっきりと覚えていて、頬には何度も涙が通っていった跡があった。


 この日は、久々に良い目覚めになった。


 支度を整えて、学校へと向かう。別に、僕が壮大な夢を見たからといって、この現実が変わるわけでもない。ただ、僕ももう少し、自分が思うように生きてみようと思った。


 玄関の扉を開ける。眩しい日差しが、家の中に差し込んできた。


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