第4話 噂

「環菜ちゃん。キャッチボールやろうよ」

 ソフトボール部の友達が声をかけてきた。何かのタイミングで二人組になる時はいつも一緒にペアになる親友、雨埼加奈だ。私は雨ちゃんと呼んでいる。部活では二人でバッテリーを組んでいる。雨ちゃんがピッチャーで、私がキャッチャー(よく、意外! とか言われるけど、そんなことないよね)。よく一緒に遊びにいくし、テスト前は一緒に勉強もする……一緒に勉強させていただく、と表現した方が適切かもしれないけれど。雨ちゃんの好物はシュークリームとたこ焼きで、毎日育てているサボテンの針を小指でつつくのがルーティーン。可愛いでしょ? 雨ちゃんのことなら世界で一番詳しい自負がある。

何より、雨ちゃんはとてつもなく気配り屋さんで、部活でも、肩書だけ私がキャプテンで、実際色々チームの良いところや問題点を見つけるのは彼女だ。それを声がでかい私が言うだけ。おしとやか、言い方を変えれば内気な性格なだけで、実質のキャプテンは雨ちゃんだと思う。……部活の話は置いておいて、今も、私とエリーが手を繋いで(掴んで)やってきたから、雨ちゃんは遠慮して声をかけるのを戸惑ってくれたのだろう。

エリーを連れてきた張本人の私も、少しほっとした気持ちはあった。エリーがいたら、私はエリーとキャッチボールをしたのだろうか。それとも、ぎこちなく三人ですることになったのだろうか。

ウォーミングアップが終わり、早速試合形式の授業に移った。当然ソフト部の私たちは無双ができるわけで、特に私なんかは雨ちゃんとは違って素人相手に手加減などしない。情け容赦なくホームラン狙いでバットは振るし、普段やらないピッチャーのポジションにつき、三振の快感に浸る。そのせいで他の生徒たちの反感を買い、先生が笛を高々と鳴らしソフトボール部員の一イニング出場停止を言い渡した。

「ソフト部全員? 羽目を外してるの環菜だけじゃん!」

 文句を叫んだのは相手チームにいた、我がソフト部の私に並ぶお調子者、斎藤冬音。私が言うのもなんだけど、うるさい。試合の時だけは助かるけれど、試合の時以外は酒を飲んだおじさんに絡まれている感覚がする。

 私が雨ちゃんとベンチでのんびりグダグダの試合を観戦していると、冬音が納得できないといった表情で押しかけてきた。

「私はちゃんと初心者の子たちにも気をつかってプレーしてたのに」

「でも、ちょっとうるさかったよ」

 と声は小さいながらも鋭い雨ちゃん。「確かに」と私は笑った。

「そんな、声出しは別にいいでしょ。スポーツの基本だよ。それにあんなの声出しに入らない。いつもの三分の一の声も出してないよ私」

 私と雨ちゃんがベンチを詰めると、ブツブツ何かを言いながらも冬音は空いたスペースに腰を下ろした。

「あ、そういえば環菜」

「何?」

「何であのエリーって子連れてきたのよ」

 そういえば冬音はエリーと同じ三組だったことを思い出した。

「たまたま更衣室で会ったのよ。なんか不思議な子で、三組って言うから、次体育一緒じゃん、って思って――」

 冬音は私の話を聞いていられないとばかりに首と指を振って中断させ、グイと私の方に顔を近づけて言った。

「ダメダメ、あの子と関わらない方がいい!」

「なんで?」

「なんでもなにも、喋ってわからなかった? 円がどうのこうの、時間は流れてるのどうのこうの。彼女は頭が都市伝説とか陰謀説とかに汚染されておかしくなってんの。そのくせ不愛想で、私たちが親切に接しても、まるで見下してるみたいな酷い態度を取ってくるの」

 もっともな意見だろう。私自身も同じ感覚を抱いた。そのマイナスを打ち消すほどの魅力を私は感じたわけだが、場を混乱させるのも面倒だと思い黙っておいた。一年くらい前だったか、しょうもない口論から冬音と喧嘩になり、二か月間続いた厳しい思い出がよぎる。

「あの子、凄い綺麗な顔だちだったよね。外国人かな?」

 と雨ちゃん。冬音は首をすくめた。

「さぁ? 彼女は本当に謎な子なのよ。自分のことを一切話さないし、担任の先生ですら本当に何も知らないっぽい。でも噂によると、彼女はイギリスと日本のハーフか、インドネシアと日本のハーフらしいよ」

「さすがにヨーロッパとアジアの区別はつくでしょ」

「そう? で、昔は一丁目か二丁目か三丁目か四丁目に家族で住んでいたらしいんだけど――」

「はっきりしないなぁ」

「最後まで聞きなさいよ――だけどね、一年くらい前に急に両親がいなくなったらしいのよね。離婚して出ていった、って言う人もいたり、はたまた何かしらの要因で両親二人とも亡くなってしまったと言う人もいたり。ね、怪しいでしょ」

「うーん」

 私としては何かが違うと思った。確かに彼女は「親の話はしたくない」と言っていたけれど、その言葉に悲壮感のようなものはなかったような気がするからだ。最も、私に人の感情がわかるのかと聞かれたら首を横に振らざるを得ないけれど、不思議と私には確信のような決定的な自信があった。

 おしゃべり冬音はさらに続ける。

「でもね、でもねでもね、その平凡でつまらない説に加えてね、エリーロボット説とかいうのもあるのよ」

「はぁ?」

 私と雨ちゃんは呆れた。

「だって、何をされても何を言われてもあの冷淡な表情から変わらないのよ。人間じゃなくてロボットか、AIだと言われた方がしっくりくる。へんてくりんな発言ばっかりするのは、きっとどこかの神経回路が死んでるから。そう思うと納得いくでしょ」

「それは酷いよ、冬ちゃん」

「でもあんなに冷たい人間なんていないでしょ! あなたたちはクラスが違うからまだ擁護しようという気になるのよ。直接的には何もされないけれど、同じ教室にいるだけで侮蔑され、蔑まれているような気持ちにされる。そういう雰囲気を持ってる……うん、正直に言うと怖いわ。私はあの子がとても怖い。人間だとしても、何かに呪われてる、憑りつかれていると思う。本気で。たまに口を開くかと思えば、あなたたちは未来を見ていないとか、どうせ戻ってくるとか、流れの無数の一筋として死んでいく、とか、奇々怪々な言葉ばかり。あぁ、気味が悪い! 早くどこかにいってほしいわ。学校なんかこなければいいのに! それが三組の総意よ」

 私は何故だが酷くムッとした。いくらなんでも言い過ぎだと思った。興奮した冬音に突っかかればお互い引くに引けない争いになることはわかっていたが、どうしても反論したくてたまらなかった。私は立ち上がろうとした。

 しかし、先生がまるでタイミングを見計らっていたかのように絶妙なタイミングでホイッスルを鳴らした。どうやら、一イニング終わったから私たちは試合に戻れるらしい。私の怒りは遮断された。

「よぉし、いこっか。環菜、次は調子に乗りすぎちゃダメだよ」

 冬音と雨ちゃんは私の衝動に気づいた様子はない。

「う、うん……」

 そんなモヤモヤを晴らすように、私は再びソフトボールで無双した。四回の三振と二回のホームランと、ついでに盗塁だけで二塁からホームベースまでいってやった。

「こらぁ、上野、手加減しろぉ!」

 体育から帰ると、私の制服の横に綺麗にたたまれた体操着が。

 やっぱりそこまで悪い子ではないと思った。ロボットなんかであるわけがない。彼女に対する私の好奇心は、冬音がどれだけ悪く言おうと、より増加していた。


 

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