第43話 触っていいんだ

 彼はそのままぼんやりしつつ続ける。


「よく目で追うようになって、でも伊織は俺より三田と仲がいいし、気が付いたらコンビだなんて呼ばれて公認カップルみたいな扱いになってた。俺は何もできなかった。両想いなら仕方ないと思ってたし、出来ることはないなって……」


「……透哉さん、その言い方じゃあ」


「でも突然あんなことになって、とにかく許せなくて。あれだけ周りから公認カップル扱いされてたのに、あっさり後輩の女と付き合いだせば、伊織がどんな目で見られるか、少し考えればわかるはずなのに。三田が本当に許せなかった」


 そこまで言った彼は、ゆっくりと私の方に視線を向けた。目が合った途端、時間が止まってしまったのかと思った。


 胸が痛い、音がうるさい。何の音? 私の心臓の音だ。


 苦しいのに心地よさを感じるその胸の高鳴りは、くせになってしまいそう。


「俺はそれっぽい理由を出して彼氏のフリに立候補した。それは伊織の立場を守りたかった、っていうのもあるけど、ただ単に俺が近づきたかったのもある。三田のことで落ち込んでるのが耐えられなくて、俺で頭いっぱいにしてやろうと思って押しに押しまくり」


「……じゃあ、透哉さんは」


「ずーっと前から、伊織が好きだった」


 信じられない言葉だった。


 女性には興味がないんだと思っていた彼が、心で私をそんな風に思っていてくれたなんて。何でもできて、完璧人間みたいな人が、私なんかをずっとそんな風に思っていたなんて。


「……どうして言ってくれなかったんですか。私……」


「あんなに目に涙を溜めて、三田が好きだったっていう伊織を、正々堂々と口説く勇気はなかったんだよ」


 苦笑いをして彼は言った。そうだ、三田さんと森さんのことを知って会議室で一人泣いている時、透哉さんが来てくれて私に尋ねた。『三田の事好きだったの?』と。


 私は泣きじゃくりながら『本当に好きだった』と答えたんだ。


「ね? 結構ずるいし計算高いでしょ。最初から伊織を狙ってたんだ。幻滅した?」


「幻滅なんて、しません!」


「森さんに、伊織は三田と戻りたがってるって言われて、俺は無視してここに来たわけだけど、それは信じなかったんじゃなくて信じたくなかったんだ。三田はあんなやつだから、俺からすれば絶対やめておけって思うけど、やっぱり好きだって伊織が言い出すかもしれないっていう恐怖はずっとぬぐえなくて」


「私は透哉さんが好きです!」


 つい、大きな声でそう言ってしまった。彼は驚いた顔で私を見ている。


 抑えきれなかった。透哉さんがこんなに私への気持ちを言ってくれているのに、黙っているなんてできない。私はとっくに彼のことが好きになっていた。


 でもその気持ちを伝えたことはなかったから、透哉さんはずっと不安に思っていたんだ。


「もうかなり前から、好きだったんです……でも、女性と付き合うとかは考えない人だから、想っても無駄なんだ、って落ち込んでて……」


「え……え?」


「三田さんのこと好きだったけど、いつの間にか考えるのは透哉さんのことばかりで……あなたが私に自信をくれたから、今は自分のことも好きになってきたんです。私はとっくにあなたが好きでした」


「……ちょっと待って」


 透哉さんが私を手で制す。そして頭を垂らし、大きくため息をついた。丸くなった肩からは、脱力しているのが窺える。


「俺はそろそろ本当のことを伊織に言おうとは思ってて、でもようやくスタートラインに立つつもりだった。好いていてくれるなんて、これっぽっちも期待してなくて」


「透哉さん、いつでも自信満々な人なのに」


「……恋愛は得意じゃないんだよ」


 そう言って顔を上げた彼は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。耳が赤くなっていた。そんな顔を見て、ああまだ知らない顔がたくさんあるんだなと思った。


 仕事中は自分にも他人にも厳しくてどこかミステリアス。でも一歩外に出れば、話しやすいし明るいし、辛い物が好き。照れると耳が赤くなるし、家ではビールを飲みながら少年漫画も読む。


 一つ、また一つと彼の内側を知っていくたび、私はどんどん好きになる。


「だって……私が辛いときは庇ってくれて、そばにいてくれて励ましてくれて。失恋に落ち込む暇がないくらい振り回してくれて、優しくて。こんなの、好きにならないわけがないです」


 床を見つめながらもじもじと言った。恥ずかしくてたまらなかったけれど、でも伝えなくてはならないと思った。私はとっくに彼に落ちてしまっていたのだと。


 でもまさか、地味でいつも端っこにいるような私を想っていてくれたなんて、思いもしなかったから。

 

 彼ははにかんで笑う。


「嬉しい。押しまくった甲斐があった。でもそうか、絶食系だなんて設定があったから、伊織に遠慮させちゃったのか。しまったな、もっといい理由を考えればよかった。そうしたら、もっと早く気持ちが通じたかもしれないのに」


「そんな設定なくても、透哉さんが私を好きだなんて想像もしなかったと思います」


「あれだけ押したのに? 俺、好きでもない子にあんなに構わないよ。誕生日祝ったりプレゼント送ったり。付き合うフリをするために慣れよう、なんて、バレバレの言い訳だろ」


「いえ、その理由で普通に納得してました!」


「天然か」


 透哉さんが声を上げて笑ったので、私もつられて笑ってしまった。でもすぐに、膝の上に置いておいた私の手を彼が包んだので、緊張で笑いは止まった。視線をそらしてしまう。


 ゆっくり指を絡ませながら、透哉さんが小さな声で言う。


「じゃあ、もう堂々と触っていいんだ」


「……さっきも触られました」


「だって、我慢の限界だった。これまでもめちゃくちゃ我慢してた。酔っぱらって俺の家にいる伊織を見て何も手を出さなかったのは、多分世界中の男から賞賛される行為だ」


「そ、その節はすみませんでした」


「ううん、嫌われたくないから紳士でいようって思ってただけ」


 彼の指は長く、手のひらは大きい。少しひんやりした体温で包まれ、自分の手に不思議な力が宿るような気がした。透哉さんから、パワーが流れ込んでるみたい。


 でも私も一緒だ。きっとずっと、触ってみたかった。

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