第41話 答え合わせ

 熱くなった顔のまま、私は何とか声をひねり出した。


「あの……さ、さっきめちゃくちゃ走って……汗も、かいたので、一旦、程よい距離を……保っていただけたら、ありがたいのですがっ……」


 途切れ途切れに伝えるも、彼は離さなかった。一体何が起こっているんだろう、なんで彼は私を抱きしめてくれてるんだろう。


 しどろもどろに言った私の言葉を聞いて、彼は小さく笑う。


「……はは、ごめん。我慢できなくなっちゃって」


 透哉さんがぱっと両手を離す。体が解放され、ほっとするのと同時に、なんだか寂しくもなった。離れろと言ったのは自分なのに。


「お邪魔します。伊織に聞きたいことがあるんだ」


「わ、私もです」


 靴を脱いで中に入ると、部屋干しにしっぱなしの洗濯物がそのままあり、慌てて片付けた。結局、部屋を整理することもなく彼を通してしまったことを深く後悔しつつ、座るよう促す。


「狭いですが、どうぞ……」


 透哉さんが小さなテーブルのそばに座り込む。変な図だ、私の部屋に彼がいる。こんなことになるなんて夢にも思っていなかったから、心の準備が追い付かない。


「あ、あのお茶を」


「お茶なんていらない、座って」


 少し厳しい声で言われたので、なんとなく背筋を伸ばし、彼の隣に座り込んだ。透哉さんはポケットからスマホを取り出すと、私に画面を見せた。


「これ、どういうこと?」


 映っていたのはラインのトーク画面。



『ご飯より、周りに人がいないところで聞いてほしい話があるんです。緊急事態で…

 待ち合わせ場所を変えてもいいですか? 

 〇〇ホテルで部屋を取りました。705号室で待っていてください。少し遅れるかもしれないけど必ず行きます。鍵はフロントにあります』



「へ……?」


 ぽかんとしてよくよく見ると、メッセージを送った相手は私になっている。それに気づき、変な声を上げてしまった。


「え、これ私のスマホから送られてきたんですか!?」


 もちろん全く身に覚えがないメッセージだ。私の反応を見て、透哉さんが深いため息をついた。


「やっぱり……伊織じゃなかったのか……」


「私、今日スマホをどこかで失くしてしまったんです。気が付いたのは帰りで、待ち合わせ場所は決まってるから後でまた探そうって……そのあとも会社内を探したんですけど、まだ見つかってないんです」


 彼はやや乱暴に頭を掻いた。私ははっとして声を上げる。


「そっか、だから透哉さん、森さんとホテルの一室にいたんですか……!」


「え? なんで知ってる?」


 目を丸くした彼に、今度は私が状況説明をした。森さんに言われて、ずっと会社内で待っていたことや、写真を見せられたことも。


 透哉さんは愕然としてその話を聞いていた。話し終える頃には、全身から怒りのオーラを出して、もはや何か魔物にでも変身してしまいそうな勢いだ。


 珍しい彼のそんな姿にやや困りつつも、やっぱり森さんが言っていたことは全部嘘だったのだと再確認できた。


 彼は静かな声で言う。


「おかしいとは思った、伊織がこんなメールを送ってきたの。でも、伊織のスマホから送られてきたならまさか他の人間が打ってるとは思わないし、もしかしたら三田のことで何かあったのかと思って。とりあえず待ち合わせ場所に行って一人でずっと待ってた。一時間くらいかな? それぐらい経ってから現れたのが森さん。なんで君がここにいるんだって尋ねたら、『柚木さんに告白したかった。岩坂先輩が応援してくれてこの場を設けてくれた』って」


 眩暈を覚えた。次から次に出てくる彼女の出まかせに、ある意味感心してしまうぐらいだ。一体いくつ嘘をつけば気が済むんだろう。


「彼女は伊織が俺たちのことを応援してくれたんだ、伊織からこんなメッセージが来たのがその証拠だ、と言い張って……確かにずっとやり取りしてた伊織のスマホから送られてきてたし、混乱したんだけど……でもそんなことするはずないだろう、って思って」


 確かに普通、相手のスマホから来たメッセージが他者によるものだと、すぐに疑う人間はいないだろう。


「それに、伊織は俺よりやっぱり三田と付き合いたいらしい、ってことも言ってた」


「まさか!」


「そのシーンを撮られてたんだな。あらかじめタイマー式でカメラでも設置してあったのか? 引き留めようと必死になってた。想像通りの誘い方もされたし」


「そそそそ想像通り!? そ、それで透哉さんは!?」


 私声を震わせて尋ねると、なぜか彼は嬉しそうに小さく笑い、子供みたいな顔で私に告げる。


「何かしてるわけがないだろ。三田じゃあるまいし」


「……そう、です、か……」


 がくっと全身の力が抜けた。信じてた、信じてたけど、いざ本人の口から聞くと安堵に満ちる。


 嘘だった、やっぱり。透哉さんは何もしてなかった。


 全部嘘だったんだ……。


 私はぽつりぽつりと言葉を漏らす。


「あの写真を見て……最初は頭が真っ白になって、混乱して。でも透哉さんが森さんとどうこうなれば、私がショックを受けるのは分かってるだろうし、そんなことするはずないよな、って。今の関係は職場での私の立場を守るために提案してくれたのに、その透哉さんが私を傷つけるようなことしないよなあ、って」


「信じてくれてたんだ?」


「……はい。でも最初はちょっと、混乱しました」


「まあ、驚くよな、あんなの見たら。しかも伊織には三田という前例があるし」


「私のスマホ、森さんが持ってるんですね。でもロックかかってるはずなのに」


 スマホ本体を手に入れただけでは、操作は出来ない。一体どうやって解除したのだろう。


 透哉さんは腕を組んで考えながら答える。


「伊織がロック解除するところを見て、暗証番号を覚えてたんじゃないか?」


「……そういえば、うちに泊まりにきたときに」


 森さんのスマホがないから鳴らしてほしい、と頼まれて、近くでスマホを操作したことがある。あの時、盗み見されていたとしたら。

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