第30話 もうあなたが好きなんです

「……三田は元々、伊織が好きだったんだろうな、っていうのは感づいていた」


「え?」


「二人は両想いだろうなっていうのは、部署内でも有名な話だったし、まあ見てれば分かったから。だから、あの日ケーキ屋で約束をドタキャンされたっていうのを聞いて驚いた。誕生日に好きな子をさそうなんて、一世一代の決心がないとしないからね」


「そうだったんですか……」


「でも翌日、森さんと会ってたことが分かって、さらには向こうと付き合うってなって。なんとなく、ああ勢いでそうなったんだろうなって分かってたんだよ。それでも、まさか今になってここまで伊織に執着するとは思わなくて。もっと気を付けていればよかった」


 悔しそうに唇を噛む。でもすぐに、彼は表情を曇らせた。そしてゆっくり私を見ると、どこか怯えたように訊いてきたのだ。


「……前は三田を諦める、って言ってたけど……それは今でも変わらない?」


「え?」


「長く三田を好きだったことは知ってるし、もしかしたら今、伊織の心が揺らいでるのかと思って。そしたら俺の存在は邪魔だろうから。昨日電話をもらった時、三田と森さんが別れそうだっていうのを聞いて、もしかしたら伊織の心が揺らいでるのかと怖くなったんだ」


 彼がそんなことを言い出したので、強く首を振った。


 とんでもない、私は彼に未練なんてこれぽっちもない。私はとっくに三田さんに恋愛感情なんて持っていないのだ。


「ありえません! もしそうなら、今日透哉さんに助けを求めたりしてません」


「そうか……それもそうだな」


 ほっとしたように彼が微笑む。


「でも、三田がここまで暴走するとは思ってなかった。同期だからあいつとそれなりに関わってきたけど、そんなやつだとはね」


「なんか、別人みたいで。前は凄く優しくて面白い人だったのに」


「追い詰められたときに見せるのがその人間の本性だよ」


 そうかもしれない、と思った。普段は後輩の私の前だからと、気を張っていい所を見せようとしていたのか。それを見抜けず、うわべだけを好きになったのかもしれない。


 でも……二年以上もずっと好きだったのに……見る目ないのかな、私。


 そう思いながら隣の透哉さんを見上げ、ううんと自分で否定した。三田さんのことはそうだったかもしれないけど、透哉さんは違う。仕事以外の彼の顔も見て、その優しさに惹かれたんだ。


……絶食系だから、叶う可能性が極めて低いけれど……。


「しかし、森さんは一体何がしたんだ? サークルの頃からこういうことしてるんだろ」


「分からなくて……嫌われてるんだろうな、とは思ってますが、理由は分からないし」


「伊織に憧れてるのかもなあ。妬ましくて、だからあえて伊織の好きな人を取ろうとしたのかも」


「憧れてる? 変ですよ、森さんの方がよっぽど可愛いし世渡り上手ですよ。そんなわけが」


「変じゃないよ」


 彼は真剣な声色で私に言った。まっすぐな目でこちらを見つめている。


「前も言ったけど、伊織にはいい所が凄くあるし、たくさんの人に好かれてる。森さんがそういうところを疎ましく思ったのかもしれないよ」


「……わ、わかりませんが……」


「まあ、人の物を欲しがる人間って一定数いるし、そういうタイプなのかも」


 グラスに入ったお茶を飲みながら彼は言う。しかしすぐ、ふ、と柔らかく笑った。


「でも本当によかった、実はやっぱり三田と付き合いたいから、この関係をゼロにしましょう、って言われたらどうしようかと、びくびくしてたんだ。あれだけ仲がよかったし」


「もうありえないです。本当に、絶対にありえないです」


「はは、絶対か。まあ、今まで知らない面も見えたしな」


「それもありますが、私は……」


 もう、あなたが好きなんです。


 そう口から出かける。


 三田さんのことはいつの間にかすっかり好きじゃなくなって、今は透哉さんのことが好きなんです、だから戻ることはありえないんです。


……もしここでそう言ってしまったら、彼はどんな顔をするだろう。


 女性に興味がなくて、女性を遠ざけたくて、だから私に恋人の役を頼んだというのに、私から好意を持たれるなんて迷惑に思われるに違いない。でもじゃあ、私はずっとこのまま気持ちを隠していくつもりなんだろうか。


 彼への好意を秘めたまま、恋人ごっこを続けるなんて、そんなの苦痛でしかない。近くにいればいるほど、諦められなくなるのは分かり切っているから。


 だったらいっそ、全部話して幻滅されたほうが、諦めがつくのかもしれないーー。


 そう意識してしまうと、さらに緊張感が増した。呼吸の仕方を忘れてしまったように、息が苦しくてならない。振られたとしても、しばらくは恋人役を続けさせてもらえるだろうか。それは都合がいいかな、透哉さんが気まずく思ってしまうだろうし……。


 そんなことを考えながら、とりあえず混乱する頭を落ち着けるために、用意してもらったお茶を手に取り飲む。だが、緊張で震える手はグラスを滑らせてしまい、中身が半分ほど入ったまま床に落下した。


 黄色の液体をぶちまけながら、グラスはごとん、と大きな音を立てた。慌ててしゃがみこむ。


「すみません!」


「大丈夫? かかってない?」


 透哉さんがキッチンから布巾を持ってきてくれる。私は転がったグラスを手に持ち、割れていないか観察した。幸い、グラスに傷はついていない。


「よかった、割れてないみたいです。本当にすみません!」


 ほっとしてそう言うと、彼が横から覗き込んでくる。


「まあ、そのグラスもうだいぶ古いから、割れても全然よかったんだけどね」


 そう笑いながら言った彼の顔がかなり近くにあったことで、私の心臓はまた跳ねた。今まで二人で出かけたことだってあるし部屋にも上がったことがあるのに、こんなに近いのは初めてかもしれない。


 触れてもいないのに、これほど揺さぶられてしまうだなんて。


「ぜ、全然古く見えませんね。物持ちいいんですね」


 ドキドキしてしまったのを隠すように笑いながら言うと、ふと彼がグラスを持つ私の手を、上から包んだ。熱い体温が伝わってくる。


「割れてしまったら、新しいのを買うために伊織と出かける口実になるしね」


 もう心臓は止まってしまったのかと思った。

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