第22話 おめでとう

「素敵なお店ですね! 可愛い」


「味もいいんだよ、パスタ好き?」


「大好きです!」


「よかった。麺が美味しいんだ」


 メニューを開いて覗き込む。この前食事に行った時より小さなテーブルだったので、彼の顔が近くなり、どきりとした。何を一人で恥ずかしがっているんだろう、透哉さんはなんとも思ってないのに。


 熱くなる顔を必死に抑えつつ、メニューを決めると、透哉さんがオーダーしてくれた。やはりスマートな行動に、モテるのは当然だなあとぼんやり思う。


「あれから、森さんとは大丈夫?」


 彼がそう尋ねてきた。ふと資料室のことが思い浮かぶ。


「やっぱり、私と透哉さんが付き合ってるのは嘘だろうって、今でも思ってるみたいです」


 私がそういうと、呆れたように顔を歪めた。


「まだ入ってきて間もないのに、何を根拠にそう思ってるんだ?」


「透哉さんみたいな凄い人じゃ、そう思うのも無理はないと思います」


「どこが凄いんだよ。全然普通の人間なんだけど。営業は自分に向いてるかなって思うことはあるけど、別に俺一人の力じゃないし」


「そういうところですよ。難しいといわれる契約もさらって取ってきて凄いのに決してひけらかさず、周りにしっかり感謝も伝えられるところが、みんなから信頼を得てるんです。凄い人だなって、私も思ってますから」


 そう本心を伝えてみると、彼は驚いたように目を丸くした後、ふいっと視線をそらしてしまった。その耳は、なんだか赤くなっているようにも見える。


 意外だな、褒められ慣れてるだろうに、照れるだなんて。


 私が小さく笑ってしまうと、恨みがましそうにこちらを見てきた。


「へえ、俺をからかうようにまで慣れてきたんだ、いい傾向だね」


「え! そんな、からかってるつもりは」


「伊織だって、自分が契約取ってくるのもしっかりやってるのに、誰かが困ってると必ず声を掛けたりして手伝うし、手伝ってくれた仕事はミスも少なくて細かな部分までしっかりやってるし、周りからの信頼は厚いよ。いつも穏やかだから雰囲気も凄くいいし、まだ三年目なのに凄いなってみんな思ってる」


「わわっ、仕返しの褒め殺しやめてください!」


「はは、何やってんだ俺ら」


 二人で小さく笑ってしまう。はたから見れば、褒め合ってるバカップルだろう。でも、恋人の役をやるにあたってはいいのかもしれない。


「でも、今のってバカなカップルっぽかったですかね」


「それはそうだな。よし、職場でも伊織をほめたたえることにする」


「や、やめてくださいよ! 仕事にプライベートを持ち込む痛い男ってことになりますよ!」


「周りから反感買うのは厳しいなあ」


 くだらないことを言い合っていると、頼んだ料理が運ばれてきた。私はクリームのパスタ、透哉さんはトマトベースのパスタだ。それとシェアするピザが一枚。美味しそうな匂いに自然と顔がほころんでしまう。だが彼は、何やら難しそうな顔をしている。


「どうしたんですか?」


「俺、タバスコ星人なんだけど、かけても引かない?」


「タバスコ星人!! 透哉さんが!!」


 私はまたしても笑ってしまう。本当に、今までとイメージが違いすぎる。辛党なだけならともかく、その呼び名は何とかならないものか。


「私も好きですからいいですよ。タバスコ星人と呼ばれるほどじゃないですが」


「よかった。辛い物が好きでね、唐辛子とかわさびも好きなんだ」


「私も結構辛党ですよ」


「ほんと? 今度鍋食べにいかない? 辛いやつ」


「はい、ぜひ!」


 反射的に答えたと同時に、次がまだあるのか、と驚く自分もいた。


 彼と変な関係が出来上がり、恋人っぽく周りに見せるために色々してる。でも一体いつまでこんな風に接していられるのだろう。透哉さんは絶食系、って言ってたけど、昔は女性と付き合ってたみたいだし、ふとした拍子に好きな人が出来るかもしれない。


 そうすれば、別れた、ということにして、また今まで通りの関係に戻るんだろうか。


……当然じゃない。いつまでもこんな嘘が続くわけがない。


 私は三田さんへの失恋をみんなに隠すため。透哉さんは女性除けのため。


 利害が一致してこの関係が成り立っているだけ。


 私はすでに三田さんへの想いは違うものだった、と周りは認識してくれているのだし、少し時間が経てば透哉さんと別れたことになっても痛くはない。


……ただ、なぜか少し寂しいだけ。


 ずっと好きだった三田さんへの失恋は自分にとってショックが大きいもので、でも思った以上にダメージを受けていないのは、透哉さんのおかげだ。この二週間、彼の恋人役をするにあたって色々忙しくて、失恋に浸る時間がなかった。多分、彼も気を遣ってそうしてくれていた。


 彼には感謝してもしきれない。


「口に合わなかった?」


 はっと顔を上げる。考え事をしながら食事を取っていた。透哉さんが心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「すっごく美味しいです! 麺がもちもちしてますね。ピザも凄く美味しい!」


「よかった」


 とりあえず今は食事に集中しなくちゃ、と思い、料理を味わう。どの料理も本当においしくて、自然と顔が緩んでしまった。楽しい会話をしながら食べる料理は特別そう感じる。あっという間にぺろりと完食してしまった。


 空になったお皿を、店員さんが持って行ってくれる。すっきりしたテーブルで食後の紅茶を飲みながら、私はほっと息をついた。


「美味しかったです! これから買い物って、何か買いたいものがあるんですか?」


「仕事用の鞄とか、色々見たいなと思ってて。伊織はなんかある?」


「なんでしょう……ぶらぶらっと見て、ほしい物があったら買おうかな、ぐらいかなあ」


 そんな会話をしている時、ふとテーブル横に誰かが立ったことに気が付いた。顔を上げてみると、にっこりと笑った女性の店員さんがいる。そして彼女は、私の前にプレートを置いた。


「え……?」


 ケーキとアイスクリーム、それからフルーツが乗ったプレートは可愛らしく飾られており、チョコレートで『HappyBirthday』と描かれていた。


「お誕生日おめでとうございます」


 店員さんがそう言ってくれたあと、去っていく。何が起こったか分からず、私はきょとんとして透哉さんを見た。彼は微笑んだまま、言う。


「だいぶ遅れたけど」


「え……? こ、これわざわざ? そんな、私当日もケーキをおごってもらって」


「さすがに公園でプラスチックのフォークで食べただけじゃな、と思って。まあ、これもそんな大したものじゃないから、食べて」


 彼の目が優しい、と思った。本当に私の誕生日を祝ってくれているのがひしひしと伝わってくる。大したものじゃないわけがない、わざわざ私のために用意してくれていたのだ。


 三田さんと出かける約束を交わした後、私はこっそりこういう場面を想像していた。三田さんが私の誕生日を知ってくれていて、何かの形で祝ってくれたら……そんな幸せな映像を思い浮かべては一人舞い上がっていた。結局は叶わず、彼とは会えなかったわけだが。


 自分が夢見ていたことを、今透哉さんがしてくれている。なぜだろう、とても胸が苦しい。相手が三田さんだったら……なんてこれっぽっちも思わない、ただ目の前の人の優しい視線に、幸福感でいっぱいになっているのだ。


 満たされてる。透哉さんが祝ってくれたことで、自分の心が温かい。


「ありがとうございます……本当に、嬉しいです」


「いや、全然大したことしてないけど」


「そんなことないです。あの誕生日の日、すごく悲しくてショックだったけど、それを忘れてしまうくらい今嬉しいです。あの時、透哉さんに会えてよかった……」


 正直にそういうと、彼は一瞬言葉に詰まったような顔をになった。だがすぐに咳ばらいをして、にやりと笑って見せる。


「よし、これからプレゼントを買いに行こう」


「そんな! 十分です、これ以上してもらうわけには」


「何か仕事中でも使えるものがいい。関係が良好だと周りにアピールするきっかけになる」


「な、なるほど……」


「食べたらさっそく買いに行こう」


 にこりと笑ってくれた彼に再度お礼を言い、私はおずおずとケーキを頬張った。甘くてなめらかで、これまでの人生で食べたどんなスイーツより美味しいと思えた。


 誰かに誕生日を祝ってもらうことは、初めてじゃない。家族だって、友達だって、元カレだって祝ってくれた。


 でもそんな誰よりも、透哉さんからのおめでとうは、凄く優しい響きに聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る