第21話 おでかけ



 その後、私は自分の家に帰宅したが、彼の家から徒歩十五分ほどで着く距離だった。


 家に帰ってシャワーを浴び、昨晩の自分の失態に再度頭を抱えつつも、今まであんなに酔ったことがなかったので、よっぽど楽しくなって飲んでしまったんだろうなあと思う。


 今後はあんな失敗はしないぞと意気込みつつ、来週出かけることで頭がいっぱいになっていた。彼とどこに出かけるというのだろう。


 一体どうしてこんな展開になっているのか理解は追いついていないが、別にいいと思っている。一人ぼっちで悲しかった誕生日当日、彼のおかげで少しいい日に変わった。失恋した後もフォローしてくれて私の居場所を作ってくれ、そのあとも落ち込む暇がないくらい色々気にかけてくれた。


 ああもしかして、まだ私の失恋を気にしているのかも。それを励ますために、彼はああやって私を外に連れ出してくれるのだ。






 月曜が訪れ、また仕事が始まる。


 先週は色々と騒がしかったけれど、仕事面で信頼されているのだと透哉さんに教わってから、さらに気合が入っている。その信頼を失いたくない。これまで以上に打ち込もう、と心に決めていた。


 外回りを一通り終え、夕方近くになり会社で仕事をこなしているとき、資料室にほしい物があり席を立ったところ、背後から同僚の声がした。

 

「あ、岩坂さん、資料室いくー?」


「はい」


「丁度良かった、森さんに見せてあげてくれない? まだいったことないんだよねえ」


 その発言にぴたりと一瞬止まってしまう。ちらりと視線を動かすと、森さんがにこりと笑って私を見ていた。


 彼女はまだ入って間もない新人なので、とりあえず今は指導係について仕事の流れを把握している段階だ。色々な経験をさせてあげなくてはならない。資料室の使用はさほど頻度が高くないが、いずれは使う日が来るだろうから、見ておくのは大事なことだろう。


 私は周りに気付かれないように一度深呼吸をして、しっかりと返事を返した。


「分かりました。じゃあ森さん、こっちに来てください」


「はーい」


 彼女が隣に来たのを見て、私は歩き出す。ただ淡々と説明をした。


「通ったことはあると思うけど……廊下を出て一番奥にあるのが資料室です。とりあえず今日はどんな場所かとか、どんなものが置いてあるかぐらいを把握できればいいと思う。ここ最近の物は電子化されているものも多いけど、古い物はまだまだ紙のまま保存されているから」


 二人で廊下を歩いていく。一番奥の扉を開けると、紙の香りがむっと鼻を突いた。一面に並んだ資料たちと、コピー機、それから机や椅子などもおいてある。


 とりあえずざっと資料の探し方を説明してみる。森さんは時折適当な相槌を打つくらいで、メモなどは取る様子がなかった。


 五分くらいかけて説明をし終わる。あとは自分の仕事をする予定なので、森さんには戻ってもらおうかと思った。


「簡単だけど説明はこんな感じで……実際使うときにまた詳しく教えてもらえばいいと思うから。じゃあ先に戻」


「岩坂先輩って、さすがですねーしっかり者! サークルの時も言われてましたけど、しっかりしてますねー」


 森さんが明るい声で言ったので、どう答えていいか分からず困る。しっかりしすぎるが故、私は振られてあなたに彼氏が乗り換えたのですが。


「あ、ありがとう。でも森さんこそちゃんといろんな人に話を聞けるし」


「てゆーか柚木さんと付き合ってるとか嘘ですよね?」


 突然ぶっこんできたので驚いた。一瞬たじろいでしまうが、ここでぼろを出すわけにはいかないので、私は何とか表情を作って返事をする。


「嘘じゃないよ?」


「えーだって、岩坂先輩、三田さんを好きでしたよね?」


 どきりと心臓が鳴った。急に発せられた彼女の言葉に、すぐに言葉が出てこない。


 いろんな考えがぐるぐると回った。どうして知ってるんだろう、知ってて三田さんと付き合ってることを個別に報告してきたの、なんで今更そんな指摘をするの、透哉さんがあれだけ考えて演技を重ねたのに。


 小さな声が口から漏れる。


「え……なんで」


「だって、基弘と三田さんって似てますよねー。あと先輩、顔に出やすいから気を付けた方がいいいですよ」


 基弘。それは私がサークルの時に付き合っていた彼氏の名前だった。森さんとはとっくに別れたという、彼の名前。久々に聞いたその名に、つい戸惑い固まってしまった。


「三田さんを好きで、でも誕生日に彼にドタキャンされて、なのにその日に柚木さんと付き合うとか嘘ですよね? そもそも、柚木さんが岩坂先輩を好きって」


 ありえなくないですか。森さんは口には出さなかったが、そう言いたげだった。


 そりゃありえないよ。あんな凄い人が、私を好きだなんて。


 それでも、彼がここまで協力してくれた嘘を、私が台無しになんで出来るはずがないじゃない。


「基弘も三田さんも、なんでか私と少し話しただけで、可愛いーって言ってくれるんですよ。先輩の何がいけなかったんでしょうね?」


 口角を上げて、私の顔を覗き込む。言い返したいのに、何も言葉が出てこなかった。

 

 そんな私を見て、どこか勝ち誇ったような顔でなお続ける。


「まあ、先輩はしっかり者キャラだしー? 私とは全然タイプが違いますよね! それは凄いと本当に思います、私は絶対真似できないし。でも、嘘をつくのは真面目でしっかり者の先輩とイメージ違うからやめた方がいいと思うんですよ。私は心配してるんです! だってあの柚木さんの彼女役なんて、岩坂先輩には無理ですもん」


 彼女の言葉がぐるぐると頭の中を回る。森さんとはタイプが違う、私はしっかり者、柚木さんの彼女役なんて無理……


 目の前が真っ白になりかけたところで、ふと自分の頭に浮かんだのは透哉さんの顔だった。食事をとった時、私に言ってくれた言葉を思い出す。


 森さんにない物を私は持ってる。自信を持てばいい、彼はそうきっぱり言ってくれた。たとえそれが好きな人に振り向いてもらえない自分だとしても、卑下することはない。私の長所はあるはずだ。


 ぐっと拳を握り、森さんをしっかり見た。


「嘘なんかじゃない。森さんは確かに、私にない物をいっぱい持ってて羨ましく思うこともある。でも、私と森さんは違う人間だから、羨んでもしょうがないって最近分かった。だから、何を言われてももう落ち込まない。私には私のいいところがあるって、透哉さんも言ってくれたから」



 きっぱり私が言うと、森さんは意外そうに目を丸くした。そして明らかにむっとしたように口をきつく結ぶ。


 私はそんな彼女から目を離し言う。


「説明は以上です。あとは帰って大丈夫。指導係の人に声かけてね」


 仕事に戻る私の背中をしばらくじっと見ていた森さんだが、しばらくすると資料室から出て言った。それにほっとして息を吐くと、手が震えていることに気が付いた。


 あんな風に言ったのは初めてだったから、自分でも思った以上に緊張してたみたいだ。小さく笑う。


 実際の所、私が好きな人はみんな森さんを好きになったんだから、彼女から見れば負け惜しみでしかないだろう。でも、しょうがない。私は今出来ることを懸命にやるしかないのだ。 


 たとえ、誰からも選ばれなくても。


 こうして少しでも自信を持って前を向けたのは、彼のおかげ。私をまっすぐ励ましてくれたから、私はほんの少しだけ強くなれた。


「さ、仕事しよう」


 私は自分に言い聞かせるように呟いた。






 めかしこむのは、あの誕生日以来だった。


 どんな服を着ようだとか、髪型はどうしようだとか、私はそんなことで頭がいっぱいだった。


 透哉さんは早い段階から、待ち合わせ時間と場所を指定してくれたので、あの日とは違う。どこに行くかは分からないが、彼と出かけることは間違いないはずだ。


 土曜の昼、私はこの日のために新調したワンピースを身にまとい、緊張で心臓が破裂しそうになりながら、街へと向かった。


 透哉さんを待たせるわけにはいかないので、十分前には着くように待ち合わせ場所に向かったのだが、近づいてみるとすでに彼が立っていたので驚くことになる。


 私服姿を見たのは、あのケーキを食べた日以来だ。シンプルなファッションだが、スタイルがいいし顔もいいので、回りから見ても浮いている気がする。


 声を掛ける前に、自分の格好を見下ろして眉尻を下げた。私、こんな格好で大丈夫なのかな。正直、透哉さんならスウェットでもかっこよく見えるし、釣り合わないと思う。必死におしゃれしてきたつもりだけど、本当に大丈夫なんだろうか……。


 だが今更どうしようもないので、おずおずと彼の近くに歩み寄る。彼はすぐに私に気付いてくれ、目が合うと嬉しそうに顔を綻ばせた。これもまた、仕事中は見ない顔。


「お待たせしました……!」


「いや、早いくらいだから」


「透哉さんが早すぎるんです」


「はは、それは確かに。さて、まずはランチでも行こうか。そのあと、買い物に付き合ってもらえる?」


「もちろんです!」


 私たちが並んで歩き出すと、少し周りから視線を集めていることに気が付いた。ああ、透哉さんに注目しているんだ。もしかして、女連れだとがっかりした人もいるのかもしれない。


 彼は私に歩幅を合わせて歩いてくれた。彼と並んで街中を歩くということが、新鮮でなんだかおかしな気分だ。凄く緊張するし、普段どうやって会話していたのか思い出せない。


 せっかく先週の食事で慣れたと思ったのに。


「今週、伊織、大きな契約決めてきたね」


 名前を呼ばれたことにどきっとする。仕事中は当然苗字呼びなので、響きの違いに反応してしまう。彼が話を振ってくれた内容を一瞬理解できないほどに。


「あ……? あ、なんとか! でも透哉さんはあんなの日常茶飯事って感じですけど」


「まさか。それに俺と伊織じゃ経験年数も違うからね」


「透哉さんは新入社員の頃から違った、って噂聞いたことあります」


「噂だけだよ。俺、研修の時に居眠りして注意されたことあるから」


「え!? 透哉さんがですか?」


 意外すぎて笑ってしまった。自分にも他人にも厳しい、ってイメージなのに。


「伊織はずっと真面目で偉い」


「ま、真面目だけはこの人生頑張ってきたので」


「見ればわかるよ、こういうの性格だから、すぐに培えるものじゃないからね。昔から頑張ってきたから、仕事中もああやってきっちり出来るんだろうなあって」


「でも、プライベートは結構適当ですよ。部屋も散らかってたり」


「え? 意外」


 会話が始まると、案外それはスムーズに続いた。彼が気を遣って色々な話題を振ってくれたからかもしれない。笑顔で会話のキャッチボールが続けば、周りから見るとちゃんと恋人同士に見えるのかな、なんて思った。畏れ多いけど、私は透哉さんの彼女役なのだから、そう見えなくては困る。そのために今日だって時間を作ってもらったんだし。


 透哉さんが連れて行ってくれたのは、イタリアンのお店だった。予約してくれていたようで、名前を告げて中に入って行く。こじんまりとしたお店だが、お洒落で上品で、一目で気に入る。


 一番奥の席に通され座ったところで、私は辺りを見回しながら言う。

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