第9話 おめでとう
振り返ってみると、柚木さんが立っていたので驚く。会社以外で会ったのは初めてのことだ。当然彼は私服で、それがとても新鮮に思えた。黒いジャケットに、ジーンズを履いている。やはり、目立つ人だなあと思った。
「柚木さん!」
「やっぱり。普段とイメージが違うから、別人かと思った」
言われて、めかしこんだのが急に恥ずかしくなる。私はどうしていいのかわからず俯く。
「俺この近くに住んでて、たまたま通りかかったから。ケーキ買いに来たわけじゃないんだけど、岩坂さんを見つけてつい」
「え、そうなんですか……じゃあ、近所だったんですね? 今まで会わなかったけど」
「みたいだね」
私たちが話していると、店員がこちらに声を掛けた。
「こちらの三点でお間違えないでしょうか?」
箱に入った三個のケーキを見せてくれる。私は中身を確認し、返事を返した。すると柚木さんが小さな声で言った。
「そういえば、誕生日だったね」
「えっ?」
驚いて隣を見上げる。だってまさか、あの柚木さんが私の誕生日を知っているなんて思わなったから。
彼はすぐに私の疑問をくみ取った。
「去年、久保田さんがでかい声で言ってたから。『誕生日知らなかったから、今日のランチはおごる』とかなんとか」
「あ、ああ、そっか……そうですね」
なるほど、三田さんも久保田さんのおかげで誕生日を知っていた。彼女のおかげで、やけに私の誕生日が知れ渡っているようだ。
柚木さんがポツリと言った。
「でも、自分で自分のケーキ買わなくても、頼めばよかったのに」
「……頼む相手もいないので」
私が答えると、不思議そうにこちらを見てきた。そして目を丸くして言う。
「三田は?」
柚木さんがそんなことを言ったのが何だか意外だった。彼は噂話などには興味ない、そんなイメージを勝手に抱いていたからだ。柚木さんも、私と三田さんの関係を勘違いしていたのか。
迷った挙句、正直に言った。
「食事をごちそうしてもらう予定だったんですけど、用事が出来たみたいで」
「うそだろ?」
驚きの声に、何と答えていいか分からない。困って頬を掻いていると、店員がケーキを包み終え、会計を促した。
「こちらでお会計をお願いいたします」
「あ、はい!」
レジの前に移動し、カバンから財布を取り出した時、すっと隣からカードが置かれた。見てみると、柚木さんがカードを差し出していたのだ。
「誕生日のケーキぐらい買う」
「そんな! 申し訳ないです!」
「いいから」
押し切られ、私はついに折れた。お言葉に甘え、財布をしまう。まさかこんなところで、柚木さんにケーキのプレゼントをもらうなんて思っていなかった。会社でばれたら、みんなに羨ましがられそう。
柚木さんは私に訊いた。
「三個も食うの?」
「えっと……食べられるかどうかわからないけど、買っちゃって……」
「ふーん。すみません、フォーク二つ、つけてください」
店員にそう言って、柚木さんは袋を受け取る。そしてすぐに外へ出ていったので、私は慌てて追った。柚木さんに追いつくと、お礼を言う。
「ありがとうございました、柚木さん」
「予定無くなって暇になったんでしょ? ちょっと付き合ってよ」
「えっ、ちょ、どこに行くんですか!」
私の返事も聞かずに歩き出した彼を、また必死に追う羽目になる。彼はまっすぐどこかへ向かって歩いているようだ。
「柚木さん、どこに行くんですか?」
「三個のうち一個ちょうだい」
「え、別にいいですけど、柚木さんがお金払ってくれたんだし」
「よし、じゃあ食おう」
ケーキ屋があった通りから一本裏道へ入ると、近くに公園があった。ブランコと滑り台、それから砂場があるごく普通の公園で、隅にはベンチがいくつかある。数人子供たちが遊んでいたが、母親らしき人たちが帰るよう促していた。
柚木さんは一つのベンチに腰掛けると、私に座るよう言ったので従う。袋の中から箱を取り出している。
「え、ここで食べるんですか?」
「他に食う場所ないもん。それとも俺の家でも来る?」
「い、行きませんよ!?」
「だよね」
特に笑いもせず淡々と凄いセリフを言ってきたので、自分の声がひっくり返ってしまった。そりゃ、柚木さんの家に行ったとしても何も起こらないだろうということは重々分かっている。絶食系であることは勿論、そうじゃなかったとしても、こんな素敵な人が私なんかをどうこうするはずがない。
それでも、柚木さんの家に行くと思っただけで緊張してしまう。
彼は箱のふたをあけ、私に見せた。
「どれがいい? 俺はどれでもいいから」
「じゃ、じゃあショートケーキで」
「俺はこっちのチョコ貰ってもいい?」
「はい、どうぞ!」
そっとケーキを取り出し、私の手のひらにそれを乗せる。ここにはお皿なんて物がないので、こうするしかないのだ。こんな食べ方をしたのは初めてのことで、少し笑ってしまう。
柚木さんがフィルムをはがしながら言う。
「笑う元気があるならいいことだ」
「すみません、だって柚木さんも、まさか公園のベンチで、手に乗せてケーキを食べるだなんて、意外な姿すぎて」
「事情を知ってたら、もっとちゃんとしたところでご馳走したのに。岩坂さんにはいつも世話になってる」
「とんでもないです!」
慌てて首を振ると、それを見た柚木さんがふ、と表情を緩めた。そして、柔らかい表情で言う。
「誕生日おめでとう」
その一言を聞いただけで、泣きそうになった。今日は人から直接そのセリフを言われることはないんだと思っていた。一人でケーキをやけ食いするはずだったのに、こうして祝えてもらえて嬉しい。
「……ありがとうございます。一人で終わるかと思ってた誕生日、こうやってお祝いしてもらえて嬉しいです」
私はそう返事を返し、プラスチックのフォークで生クリームをすくって食べた。甘い味と滑らかな舌触りに微笑む。
三田さんだって、何か事情があったに違いない。一人で盛り上がって期待してしまったけれど、いい大人なんだから、泣くのはもうやめよう。明日、仕事で三田さんに会って謝られたら、大丈夫ですよって笑って言えるように。
「三田のドタキャンはない」
隣の柚木さんが、チョコレートケーキを食べながらそう言ったので、私は笑って言う。
「体調不良になったのかもしれません。何かあったんですよ」
「せっかくこんなに着飾ったのにね」
「勝手にやっただけです。誕生日に祝おうとしてくれただけでありがたいです。柚木さんも、急にこんなことになってごめんなさい。でもすごく嬉しいです!」
私が頭を下げると、彼はまたわずかに微笑んだ。柚木さんは笑うとぐっと雰囲気が柔らかくなる。
二人でたわいない会話を交わしながらケーキを食べていく。ショートケーキを食べきってしまったところで、私は柚木さんに提案した。
「残りのタルト、半分こしませんか」
「いや、元々三個食べる予定だったのが、俺がひとつ貰って減ったわけだし、タルトは岩坂さんが食べて」
「でも柚木さんが買ってくれたケーキです」
「誕生日なんだから当たり前でしょう」
「だって一人で食べるなんて」
二人でそう言いあっていると、ぶるっと寒気を覚えてくしゃみした。いつの間にか日が沈んで、一気に気温が下がっていたのだ。近くのコンビニに行くだけの予定だったので、上着を持ってきていない。
それを見た柚木さんが、自分が羽織っていたジャケットを脱いで私に渡してくる。
「薄着じゃん、貸す」
「え!? だ、大丈夫です! 柚木さんの服を借りるとか、私女性社員たちに殺される未来しか見えないし」
「何を言ってるの? 誕生日に風邪なんか引いたら最悪だろ。明日返してくれればいいから」
ずいっと差し出されるので、おずおずと受け取った。信じられない、柚木さんの上着を借りるだなんて? いやでも、彼は元々気遣いが出来る人だし、特別な行為ではないのだ。
お言葉に甘えてそれを羽織る。自分にはかなり大きい。男の人に上着を借りた経験なんて一度もない。かなりドキドキしてしまった。
「ていうか、もう寒いしこのタルトは持って帰ったら。家でゆっくり食べなよ」
「で、でも」
「もう暗くなるしね。誕生日おめでとう」
再度そう言って祝ってくれた柚木さんに、私は深々と頭を下げた。一人ぼっちでさみしくて泣いてたけど、これで心がずいぶん軽くなった。私の様子を見て気遣ってくれたのだろう。仕事だけじゃなくて、こういうことも出来るから、彼はエースなのだ。
「本当に、ありがとうございました。ご馳走様です」
「うん。また明日からよろしく」
そう言った柚木さんと二人で微笑みあい、私たちは別れてお互い帰宅した。
コンビニスイーツが売り切れていたことに感謝する。絶望だった誕生日が、ずっとずっと輝くものになれた。
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