第4話 まさかのお誘い



「……いや、つらっっっ!!」


 久保田さんがのけぞって叫んだ。隣のテーブルの人が不思議そうにこちらを見たので、慌てる。


「久保田さん、リアクションが大きいです!」


「いやだって辛すぎるでしょ、なんっだそれ!! 死ねばいい、二人とも死ねばいい!」


「物騒すぎませんか」


「私がそのサークル内にいたら、ぼっこぼこにしてやったのに……! ああ、でも違うか、下手に騒ぐと伊織ちゃんの立場が悪くなるんだよね。伊織ちゃんはとにかく平穏に過ごしたいって思ってたんだから」


「そうなんです。一緒に怒ってくれるメンバーもいましたけど、どうか何も言わないで、とお願いしたのは私の方なんです」


「そりゃあ、大事にしたくない気持ちはわかるけどさあ」


 目を吊り上げ、本気で怒ってくれる久保田さんに、つい笑ってしまった。こんなに共感してくれるのは、私としては嬉しい。


「しょうがないです、恋愛は自由ですからね。ただ、同じサークル内の子だったっていうのと、しっかりしてるところが好き、と言っていたのに、真逆の子に乗り換えられたのはショックでした」


「それで、恋愛に消極的なのね」


 久保田さんが真剣な顔で尋ねる。私は頷いてからあげを頬張った。


「ここの職場に来て、私の真面目過ぎるところをみんなが評価してくれるから、だいぶ救われました。でも恋愛ってなるとまた別で……」


「深そうね、これは」


 はあと久保田さんはため息をつきながらお水を飲む。だがすぐに、ずいっと私に顔を寄せた。


「でも、三田さんはどう見ても伊織ちゃんが好きだよ。みんなそう思ってる。過去の傷は辛いと思うけど、新しい恋も必要だと思うな。……いや、これは伊織ちゃんじゃなくて、三田さんに頑張ってもらわなきゃだ。こんなにいい子なんだから、過去の呪縛から救ってやってほしい!! なんなら私が付き合ってあげたい!!」


 力強く言ってくれる久保田さんに、また笑ってしまった。なんていい人なんだろう。


 サークルでのことは、正直トラウマになっている。あの一年間は辛かった。二人の仲がよさそうな様子を見るのも、周りから腫物を扱うような態度を取られるのも、何もかも。あの場所は自分にとってとても大切なもので、居場所だったというのに。


 もう二度と恋はしたくない、そう思っていたのに、私はまた恋をした。


 三田さんはいつだって優しい。とびきりイケメン、というわけじゃないけど、一緒にいると表情が緩んでしまうような、そんな明るさがある。丁寧に仕事を教えてくれて、今でも私を気にかけてくれたり、励ましたりしてくれる。


 彼も私のことを好きだ、というのは久保田さん以外からも言われたことがあるから、自分では複雑な気持ちになる。


 こんな自分が、あの三田さんに選ばれるとは思ってない。でも周りから言われると、奇跡が起きたんじゃないかと信じてしまう自分もいる。単純だな、懲りないやつだ。


 でも、三田さんが笑顔で話しかけてくれると、やっぱり彼の特別になりたいと願ってしまう。恋はこりごりだと思っていたのに。


 




 仕事が終わり、荷物をまとめて部署を出た。今日も忙しかったなあ、でも大きなミスもなく一日を終えれた。そう胸を撫でおろしながら、長い廊下を歩いていると、背後から声がした。


「岩坂!」


 振り返ると、三田さんが私を追いかけていたので驚く。昼間に久保田さんと話した内容が脳裏によみがえり、一人でどきどきしてしまう。


「三田さん、お疲れ様です!」


 私に駆け寄ってきた三田さんは、白い歯を出してにこりと笑った。その手には荷物などはなかったので、まだ帰宅するつもりはないらしい。何か用があるようだ。


 慌てて言った。


「何かありましたか? 私が作った資料に不備など」


「あー全然そんなんじゃないから。仕事の話じゃなくて……あの、もし空いてたらでいいんだけど、来週の日曜日って空いてる? 無理かな」


 どこか恥ずかしそうに言ってきた彼に、つい固まってしまう。来週の、日曜日?


「あ、空いてます!」


「よかった。俺いつも岩坂にはお世話になってるから、食事でもごちそうしようかと」


「いいんですか? 私こそお世話になってるのに」


「いいよ、俺の方が一応先輩なんだし。それと……聞いてもらいたいこともあって」


 うるさいほどに胸が鳴る。心臓が飛び出してしまいそうだった。手が震えてしまう。


「だ、大丈夫です。よろしくお願いします」


「じゃあ、また詳細は連絡する」


「は、はい!」


「おつかれ」


 私に小さく手を振ると、三田さんは元来た道を戻っていった。その後ろ姿をじっと見つめながら、今起きた現実に頭が付いていかない自分を落ち着ける。


 来週の日曜日……。


……私の、誕生日だ。


 この年になると、誕生日当日は暇をしていることは多い。その前後で友達が祝ってくれたり、実家から祝いの電話があったりするが、平日は普通に一人で過ごしている。しかし今年は日曜日。会社が休みの日の誕生日は、そう多くない。


 まさか、三田さんから誘いが来るなんて。


「どうしよう、深く考えないほうが」


「みーたーぞ!」


 突然、そんな嬉しそうな声が聞こえてきた。近くの自動販売機の影から出てきたのは、久保田さんだった。彼女は片手にコーヒーを持ったまま、私に表情を緩めながら近寄ってくる。


「ちょっと! ほら、言ったじゃん、上手く行きそう!」


「そ、そんな」


「来週の日曜日って、伊織ちゃんの誕生日じゃん! 特別じゃないわけがない!」


「三田さんは知らないのかも」


「去年、私が食堂で奢ってあげたのを見て聞いてきたじゃん! 『今日誕生日なんだ?』って。三田さんきっと覚えてるよ!」


 興奮したように久保田さんが言ってくる。もし覚えてくれてたとして、私を誘ったのだとしたら、これほどうれしいことはない。


 そしてやはり、変な期待もしてしまう。聞いてもらいたいことって、なんだろう?


 ドキドキがおさまらない胸を押さえていると、隣で嬉しそうに彼女が一人で言う。


「よかったよかったー、伊織ちゃんのトラウマもこれで克服できるよ。幸せになってね! 絶対告白されるから! もしされなかったら、自分から言っちゃえ!」


「私がですか?」


「誕生日当日にデートに誘ってくる男が、告白されたとして断るわけないじゃん! 勇気を出せば、幸せはすぐそこかもよ」


 勇気を出せば……。その言葉がすとんと胸に落ちる。


 もし本当に幸せになれるなら、勇気も出してみたい。ただ、怖くてならない。そんなつもりはなかったと、特別なんかじゃなかったといわれたら、私はこれからどうすればいいのだろう。


 でも動かないことには何も始まらない、というのも理解していた。


 もし三田さんが、私の誕生日を覚えてくれていたとしたら――頑張ってみようかな。そう思えた。

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