第23話 見方を変えて
エディにプイッと顔を背けられたロキースは、衝撃を受けてションボリとしていた。
丸い耳はぺショリと伏せられ、蜂蜜色の目が悲しげにエディを見つめる。
「俺に抱っこされるのは、そんなに嫌か……?」
熱くなった顔を冷やそうと躍起になっていたエディの耳に、ロキースの低い声が届く。
慌てて顔を上げたエディは、見上げた先の情けない美形の顔に、やっちまったという表情を浮かべた。
「嫌ではないけれど……でも、人前でやることでは、ないような?」
手のひらを頰に押し当てたまま、エディは言った。
ロスティがどうかは知らないが、ディンビエではあまりそういったことはしない。
少なくとも、兄夫婦は彼女の前でそのようなことをしたことはないし、両親だってそうだ。
しどろもどろで弁解するエディに、ジョージの唇が意地悪げにニンマリと笑みを浮かべる。
悪戯をしかける前の猫のような目に、エディは嫌な予感しかしない。
本能的に逃げようとしたエディ。だがしかし、ジョージは素早くこう告げた。
「そうだ。では、こうしましょう。あなた方は、アポ無しでやってきて私の貴重な休日を台無しにしてくれた。そんな私への誠意として、エディさんにはロキースに抱っこしてもらいましょう。これなら、私の仕事が捗り、尚且つ罰にもなる。ああ、なんて名案なのでしょうか」
とんでもないことを言い出したジョージに、エディはアワアワと唇を震わせた。
そんな彼の膝の上では、ニューシャが小さな手でパチパチと拍手している。
エディはジョージの小さなお姫様に「裏切り者」と言いたくなった。だが、もともと彼女はエディの味方でもなんでもない。
(ぐぬぬ……ここでジョージ様の機嫌を損ねるわけにはいかない。休日を潰してしまったのは確かに僕たちのせいなわけだし。抱っこくらいで誠意になるのならば、安いものじゃないか⁉︎ 安いよね? そうだと言ってよ、僕! だってさ、ほら、用件はまだ一つも言えてないからね⁉︎)
(いやいやいや。待ってよ、僕。抱っこだよ? しかも、人前で。前はさ、二人きりだったし、ソファの背もたれ越しだったよ? まだ二回目なのに、こんな情緒も何もない場面でやっちゃっていいわけ?)
混乱するあまり、内なるエディは分裂した。
彼女の脳内では、二人になったエディがあれこれ主張している。
(いや、二回目だからだよ! 一回目より貴重さはないでしょ?)
(何言ってるの⁉︎ 一回目も二回目も大事に決まってる! キスだって、ファースト、セカンド、サードって大事にするんだから!)
(え、そうなの?)
(そうなんです!)
あうあうと困惑しているエディに、ニューシャは心底不思議そうである。大きな目でパチパチと瞬きを繰り返す。
聞いていた感じだと、彼女の両親は実に仲睦まじいらしい。
それが日常ならば、ちょっとした触れ合いでさえドギマギして呼吸を荒げるエディは、さぞ不思議に映るだろう。
「どうしておねえさんは、だっこするだけなのにたいへんそうなの? ほんとうは、いや?」
「ニューシャ。世の中にはね、嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉があるのですよ」
「へぇ。じゃあ、おねえさんはたいへんそうにみえるけれど、ほんとうはうれしいってこと?」
「そうですね。少なくとも、私にはそう見えます」
「まじゅうのこいをおうえんするおじさまがいうのだから、きっとそうね!」
キャッキャと会話するジョージとニューシャに、エディは頭をガンガン殴られているような気持ちになった。
(容赦がなさ過ぎる……!)
そうでなくとも、自業自得の妄想とロキースの色気で大打撃を受けていたのに、更なる追撃が加わって、もう残りの力なんて残っていない。
「うぅぅ……」
クラクラと目眩がしそうだった。
額を押さえて目を閉じるエディを、ロキースが心配そうに見つめている。
エディは諦めたようにハァとため息を吐くと、「失礼」とかたい口調で言ってロキースの膝の上に乗った。
その顔は羞恥に赤く染まり、目は死んだ魚のようにどこを見ているのか分からない。
もちろん、わざとそうしている。美形の顔を間近で見るなんて、どうなってしまうのかエディにだって分からないのだ。
(最悪、心臓が止まるかもしれない……!)
声だけで強烈なのである。キスできそうなくらい間近で、あの綺麗な顔を拝んだら即死しかねない。
お茶会を繰り返して友人の距離は平気になったが、エディにそれ以上の耐性はまだないのである。
それになにより、今のエディはいつもと違って何だかおかしいのだ。どこが、とは明確に言えないのがもどかしいが、とにかく何かがおかしい。
ロキースのことを考えるだけで胸がドキドキ、目がウルウル、頭の中はモヤモヤ。こんな症状は、今まで感じたことがない。帰ったら、この症状についてミハウと相談した方が良いかもしれない。
そんなことを考えながら、エディはなるべく距離を取るように、ロキースの太腿の上を横向きで座った。
「ほら、座りましたよ! これで良いのでしょう⁉︎」
ロキースの筋肉質な太腿の上は、安定感抜群だ。
エディが倒れないように、そっと腰に手を回してくるロキースに、彼女はガキンと体を緊張させる。なるべく手に触れないよう、エディは必死になって姿勢を保った。
「はい、それで結構です。さて、だいぶ話が逸れてしまいましたが……一体、どのようなご用件だったのでしょうか?」
散々な目に遭ったが、これでようやく当初の目的が果たせる。
エディは恥ずかしさを押し込めて、ヴィリニュスの鍵のこと、それから鍵の行方について話した。
「──というわけで、ヴィリニュスの鍵は、現在、ロスティ側の魔の森の中を移動中なんです。ですから、鍵を奪還するために、僕が立ち入る許可を得たい。どうか、お願いします」
エディの説明に、ジョージは「ふむ」と考え込むように顎に手を置く。
理知的な眼鏡の奥で、意地悪そうな目がキランと輝いたのは見間違いだろうか。
(いや、見間違いなんかじゃない。きっと、何か言われるに決まってる!)
アポ無し訪問の対価が公開抱っこなのだ。
まだ数回しか会っていないが、彼の性格があまり良いとは言えないことは分かる。
(一体、何を対価に要求されるのだろう……)
緊張に、喉が乾く。エディの喉が、ゴクリと鳴った。
身構えるエディに、ジョージはククッと笑う。
悪人のような笑みに、エディはピャッと体を震わせた。
そんなエディを見たロキースが、威嚇するようにジョージを睨む。
ジョージは軽く肩を竦めると、それから胡散臭いくらい爽やかな笑みを浮かべた。品行方正な騎士のように。
「なるほど。では、その鍵さえ手に入れることが出来れば、あなたは前向きにロキースとの今後を考えてくれる、というわけですね?」
エディが森守であるヴィリニュス家の者だと、ジョージは既に知っている。
(おかげで話の理解が早くて助かるな)
勝手に調べられたのは癪だが、先に悪いことをしたのはエディの方なので文句は言えない。
(一番悪いのはリディアですけどね!)
おそらく、エディが多忙な理由も知っているのだろう。
その理由さえ解消すれば、彼女がヴィリニュス家に固執する理由はなくなり、普通の女の子のように──そう、リディアとルーシスのように上手くいくと思っているに違いない。
「まぁ、そういうことにならなくもない……ですかね?」
確かに、間違いではない。
エディは鍵のことが無くてもロキースとの今後を前向きに考えることに決めていたが、黙っておいた。
取引は、優位に立っていた方が良い。ジョージが食わせ者ならば、尚更に。
しばらくして、ジョージは「良いでしょう」と言った。
「そうですね……
ジョージの提案に、エディはあからさまに落胆の色を見せた。
だって、本当は今すぐにでも片付けたい。
ヴィリニュスの鍵さえあれば、トルトルニアの人々は怯えながら暮らすことがなくなるのだ。
どんなにエディたちヴィリニュス家の人々が頑張っても、防護柵の扉が開いているか閉まっているかでは全然違う。
一刻も早く村人たちに安寧を、とエディは願ってやまないのである。
そんなエディを見て、つられたようにロキースも情けない表情になる。
どうにかならないのか、とロキースに責めるような目で見られても、ジョージにだってどうにもならないことはある。
「ロキース」
諦めてくださいと言外に含ませて、ジョージは彼の名前を呼んだ。
「すみません、力不足で。前にも言いましたが、私の地位はそんなに高くない。国からは、獣人に関わることはある程度自由にして良いと言われていますが、それでも、限界はあります。魔の森にただ入るだけならば、一週間もあれば許可は得られます。ですが、鍵を魔獣が所持していたら? もしかしたら、捕獲するだけでは済まないかもしれない。ロスティは魔獣を大切にしています。いつか獣人になるかもしれませんから。殺さなくてはいけなくなった場合、あなたはどうするのですか? 私は最悪の場合も含めて、国に許可を取らなくてはならない。だから、一月かかると言っているのです」
そこまで考えていなかったエディは、ジョージの言い分に何も言い返せなかった。
(もしも魔獣がヴィリニュスの鍵を持っていたら、仕留めれば良いと思ってた……でも、そうだよね。もしかしたらその魔獣も、ロキースみたいに誰かに恋をして獣人になるかもしれない。そうしたら僕は、今まで、ロキースみたいになるかもしれなかった魔獣たちを殺していたってこと……⁉︎)
そこまで思い至って、エディは震えた。
もしかしたらエディは、恋する健気な魔獣を殺したのではないか。
そう思ったら、堪らなく怖くなった。
肩を落とすエディの頭を、ロキースが慰めるように撫でる。
優しい温もりが、今は罪悪感で苦しい。
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