第14話 ファールス家の屋敷:1

 特に悪夢を見る事もなくリョウが目覚めると丁度朝飯を持ってきてもらった所だった。味はそうでもないが腹いっぱいにはなる野戦食を食べ、一人ずつ用を足しにつれていかれた後はまた腕を縛られて馬車に乗り込まされた。街道に出ればまた振動で喋りにくくなるからリョウとカストールはその前に見張りから聞いた話を全員に伝えた。予想通り、グラハムは好奇心いっぱいにして自分が寝てしまっていたことを悔しがったが、アニータとフィフィは思いのほか無関心だった。二人ともそんな事より水浴びして体を洗いたいそうだ。リョウもそれは思っていた。まだ二日しか経っていないが、汚い衣のせいで体が痒い。気を紛らわすために幌に穴が開いていないかを探し、見つけるとそこに陣取って外の様子をうかがう。そうこうしている内に馬車は街道に乗って再び加速した。


 小さな穴から見える景色はのどかだった。畑、時たま駆け抜ける小さな町、なだらかな丘陵。平和そうで綺麗な世界だ。これで自分が人間扱いさえされたらここも悪くないかもという考えすら浮かぶ。もっとも、人間扱いされたとしても、自由が無ければやはり世界の美しさなど何の慰めにもならないのは分かっている。王都にあるファールス家の屋敷に着いて、少しでも自由になったら即刻脱走の算段を練ろう。カストールが言っていた「ヤベぇやつら」とは裏世界の人間の事に間違いないだろう。一理ある。名家の屋敷なのだ、情報や何かと引き換えに脱走を手伝ってもらえる可能性はきっとある。自分で決めて行動するのになれているリョウは何もできない状況に苛立ちを覚え始めていた。怒ったり、苛立ったり、不安を感じたり。どうにも精神状態が安定しないのにも苛立つ。早く目的地に着いてほしい、護衛役とは違う理由で到着を心待ちにするリョウ。


 馬車は真っすぐに伸びた街道を軽快に駆け抜けてゆく。日も暮れ始めた頃にようやく速度を落として街道を降りた。泥道に揺られる馬車の中からリョウには高くそびえる壁が見えた。王都だ。沈みゆく太陽に照らされた壁はピンク色に輝いている。下で動いている影が人なら壁の高さは20メートルを超えているだろう。壁の後ろにはいくつかの塔も見える。馬車が方向転換して真っすぐに壁に向かい始めたのでそれ以上は見て取れなかった。代わりに視界には他の馬車や荷物を持った人たちが入ってきた。門に向かっているのだろう。長蛇の列にも見えたが自分たちの乗った馬車は止まることなく進んでいく。気が付くと一気に壁の中だった。高さもさることながら、幅も20メートル以上か?衛兵たちの横を抜けて町に入ると一気に喧騒が降りかかる。


 騒めく人混みをかき分けて馬車はどんどん進んでいく。くねくねと曲がる道を行き、また壁の中を抜ける。気が付くと喧騒は止み、静かな住宅街の中を走っていた。更にもう一つの壁を抜けてようやく馬車は止まった。


「降りろ!もたもたするな!」


 号令と共に幌が引き上げられてリョウたちは外に引きずり出された。日が完全に落ちていて、松明の火が描く円の外は真っ暗だった。目の前の小屋にそのまま放り込まれ、待つように言われたリョウたちだったが、ほどなくして使用人らしき者が着替えと晩飯、簡素な毛布を持って現れた。小屋を抜ければ井戸があり、そこで自由に体を洗ったり、水を飲んだりしてよいと言われて女性陣は喜んだ。小屋の中には壁際に無造作に置かれた寝台もあり、ここまでと比べれば破格の待遇だった。当然、自分たちがどうなるのかを口々に尋ねたが、使用人は明朝になればそれぞれに仕事が与えられるとし、いくつかの忠告を残して去っていった。曰く、屋敷から出る事は許されない。小屋の外も、井戸から離れてうろつくと、下手をしたら見回りの兵に殺されるからお勧めはしない、との事だった。


 渡された松明が一本だけだったので順番に水浴びをし、一通り食事も終えると(兵士たちが置いて行った野戦食だった)一同は小屋の真ん中に集まった。


「さて、昨晩にリオとカストールが聞かせてくれた話からすると、我々は名家の屋敷で仕事をさせられるそうな。ダエモンとしてなのか、普通の人間と同様の仕事なのかは分からないがね」

 グラハムが年長者として最初に口を開いた。

「リオ、その辺りは何も聞かなかったんだね?」


 全員の視線が集まる中、リョウは慎重に言葉を選んだ。


「いいえ、見張りは何も言わなかったですね。これは俺の推測になるが、5級や4級のダエモンには特殊な能力があるものの、我々3級には無い。となれば、人間と同じ仕事しかさせられないでしょう。あのアルティーナと言う女の人も領民の代わりが詰まるか務まらないかを気にしていた」

 リョウは自分が地面に転がされていた時に聞いた話と、見張りの言っていた犯罪者説に懐疑的な事を手早く皆に伝えて言葉を続けた。

「全員同じ所で過ごすとは限らないが、俺に提案がある。それぞれが情報収集に努めよう。そしてそれを共有するんだ。牢屋暮らしはまっぴらだし、出来れば生活は改善したい。皆はどう思う?」


 本当は「脱走したいから手伝ってくれ」と言いそうになったリョウだったが、知り合って数日の人はそこまで信用が出来ない。カストールはこちら側でも、グラハムや女性陣は読めない。元が奴隷だったフィフィあたりからすればここが天国に思える暮らしになる可能性だってある。幸い、ここには自分をピンポイントで見張るマーズがいない。だが、誰かがあいつは脱走する気だと漏らせば第2第3のマーズが現れるに決まっている。だから敢えて情報収集だけだとぼかした。見渡すと全員納得したように頷いている。いや、カストールはウィンクを送ってきた。考える事は一緒だ。


「うむ、同意だ。私もこの世界の事は知りたいと思っている。それが皆の助けになればなお良い。では、基本方針はそれで良いかな?」


 グラハムが代表してまとめ上げるとその日はもう寝る事にした。松明の炎を消して小屋が闇に包まれると全員思い思いの寝台に散らばった。リョウは出入り口に近い方を選んだ。風が抜けて少し寒いが、何かあった時に飛び出せる方が良いと思えた。何も起きるはずが無いと分かってはいても。


 リョウは毛布にくるまって中世ヨーロッパに関する知識を思い出そうとしていた。歴史の授業は浅かったし、寝て過ごしたから知っている事の大半はネットからだった。好んで読んだ中世ファンタジーやそれらの批評。不衛生な環境にギルドの存在、封建制度に身分。脱走に役立てる知識は思い出せなかった。指紋やカメラが無いのは見ても分かったが、下級ダエモンが不思議な能力で見張りについていたら?考えられる可能性があり過ぎてリョウは頭が痛くなってきた。ダメだ。考えても仕方ない。全ては明日次第。当面の目標は警戒されない事。情報を集める事。カストールと協力して脱走の算段をつける事。やるべき事が朧気にでも分かると少し力を抜けた。隙間から吹き込んでくる風の音を聞きながらリョウは浅い眠りに落ち、コンビニでティラミスを買う夢を見た。


 ちょうどレジで会計を済まそうかって時に耳障りな声で起こされる。リョウが見上げた先には高価そうな黒い服に身を包んだ初老の男がいた。白いものが混じった長い髪を後ろで結び、顔をしかめながら開かれた扉から小屋の中を覗いている。全員起きたのを確認すると男は高圧的な声で全員が表に出て並ぶよう指示をした。昨晩の使用人とは違う、屋敷の執事か何かなのかなとリョウが勘ぐっているとすぐにその通りだと分かった。


 一列に並ばされたリョウ達は偉大なファールス家に生涯仕える栄誉を賜った事をそこで初めて知らされた。男によればこれは天国に行く事と等しく、誰もが羨むご身分であった。そんな感じの事を樽に蜂蜜を流し込むがごとくリョウ達の耳に男は流し込み続ける。勿論、一すくいのタールを入れるのも忘れない。偉大なファールス家に仕える者としては自分たちが下の下。上の命令は絶対で、反抗は勿論、命令無視も極刑に処すとの事。小屋はこれからの寝泊まりに用いる。何かを所有する事は許されない。全ては神の如く慈悲深いファールス家より貸し付けられているに過ぎず、それをないがしろにしても極刑。とにかく、何をやらかしても極刑。一通りの演説が終わると男は後ろで待機していた複数の兵士たちに合図をした。


 兵士たちはリョウ達に綺麗な細工が施された首輪をはめると男が一人一人の名を呼びあげ始めた。アニータとフィフィが最初に呼ばれて洗濯と掃除に従事するよう命ぜられた。ケステスとグラハムは動物の世話をする雑用に。リョウとカストールは薪割りや荷物持ちにそれぞれ配属となった。


 自分の仕事は終わったとばかりに男が背を向けて立ち去ると、二人一組に分けられたリョウ達にそれぞれ兵士が一人つき、各々の職場となる場所に連れていかれた。

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