第4話 審問:1

 目隠しと耳栓を誰かが一気に外したような感覚と共にリョウの意識は彼の元へ帰ってきた。胸に乗って平手打ちを繰り返していたガズンは意識が戻った事に気が付き、安堵のため息を漏らしながら立ち上がる。自分がどこに居て、何が起きているのかを思い出すのに数秒かかったが、リョウが上体を起して座り終える頃にはここまでの流れを再認識できた。ガズンに立たせてもらいながら思考を整理しようとする。ここは異世界。自分はダエモンと呼ばれる、他の世界から召喚された存在。召喚された目的は分からないが報告書なるものがある以上は何か意図があったはずだ。生殺与奪の権利は向こうにある。自分の身の振り方次第で待遇は変わるらしい。叫びたくなる衝動を抑えながらリョウは必死に考える。「受け入れろ、これらを事実として受け入れて冷静に対処しろ」と。


 感情と思考が渦巻き、カオスが支配するリョウの心情とは裏腹に、アマネウスと名乗った審問官は落ち着いていた。


「審問の途中で気を失うダエモンはそう珍しくない。取り乱して喚き続ける輩よりは良いと私は思っている。中には意識が戻ってから黙り込んでしまう奴もいるがね。さて」


 アマネウスは羽ペンを構えた。


「続きだ。お前の名はトドリオ、齢21で職業は郵便局員、と言ったか?それで間違いないな?」


 自分の名前がこんなに歪められるのは初めての経験だったので、リョウは一瞬どう答えるか悩んだ。視界の隅で棒を持ち直すガズンが見えたので慌てて答える。


「トウドウが名字でリョウが名前です。年齢と職業はそれで合ってます」

「ふむ。聞き取りにくいな。よし、お前の名はリオとする。今後はそれを名乗れ」


 いきなり名前を変えられたリョウは口を開けて抗議しようとしたが、右手に持った棒で左掌を軽く叩きながら「何か言って見ろ」とばかりに自分を睨んでいるガズンの存在が口を閉ざさせた。幸い、リオも聞きようによってはリョウと大差ない。これまでの扱いを考えれば、リオと呼ばれて反応しなかったらまた殴られそうだから早めに慣れるべきだろうと彼は考えた。


 リョウの言ったことを書き留めたアマネウスは手を止めて考え込む素振りを見せていた。


「郵便局員、か。いや、言わんとする事は何となく分かるが具体的にどのような職業なのかを説明せよ」


 何か期待を込めたような眼差しがリョウに向けられていた。


「ああ、ええと、俺は集配営業課で配達員をやっていました。自動二輪で郵便物を配るのが仕事でした。郵便課や窓口業務には詳しくないです」


 リョウがそう答えるとアマネウスは何かに納得したように小さく頷いた。


「郵便とは手紙や書簡、人から人への言伝を書き記したものだな?なるほど、ふむ。自動二輪はちょっと想像つかないが、これは今のところ一番近いかも知れんな。ふむ」


 一人でブツブツ呟きながら書き込みを再開するアマネウス。それを見ながらリョウは殴られた跡からじわじわと痛みが広がるのを感じていた。獄中で枯らした声がもうほぼ元に戻っているのは助かるが、縛られて少しマヒしてきた腕を捩って血流を何とかしようとする。頭の痛みも引いてきた。代わりに頬が痛いがこれも直ぐに治るだろう。流石に空腹を覚えてきている事と打撲以外に特に体に大きな問題は無いようだ。頭の中はぐちゃぐちゃだが、少しずつ整理すればきっと大丈夫、そう自分に言い聞かせてリョウはアマネウスに意識を戻す。


 ペンの羽を口に当てて何か考え込んでいたアマネウスはリョウの方をちらりと見てから再び頷いて机上の書類の束をまとめ始めた。


「あの、質問って以上でしょうか?」


 あまりに呆気なく終わろうとする審問に戸惑って思わず口走るリョウ。言い終わってからガズンを思い出して体を強張らせたが意外にも殴られることは無かった。ガズン本人も予期していなかった終わりに驚いて横でキョトンとしていた。


「ん?そうだ、これだけだ」


 リョウの方を見ずにアマネウスが答える。


「もちろん、報告書の項目はこれだけではない。だが、私くらいの経験を持つと聞かなくても分かるのだよ。分かり切った事を聞いて時間を無駄にするよりも、昼食を食べる方が遥かに有意義な時間の使い方だとは思わないかね?」


 机の下にでも置いてあったのか、書類の束を手提げ鞄のような物に詰めてアマネウスは立ち上がって奥の扉へと歩いて行った。扉を開けて部屋の外に出ると振り返って手招きする。


「ガズン、先に食堂へ走って私の分の食事を温めて私の部屋に持ってくるように言え。自分の分を食べるのはそれからだ。私はこのダエモンを他の居る部屋に入れてから戻る」

「へい、しかし、2等級審問官様お一人でお大丈夫なんですかい?」


 リョウを扉の方に押しやりながらガズンは怪訝そうにアマネウスに尋ねた。


「この泥喰いが暴れたら2等級審問官様は……」

「良い。このダエモンは暴れない。それと、サランサを見かけたら部屋の蝋燭を消すように伝えろ。今日はもう使わない」


 扉の外で待っていたアマネウスはガズンが「ヘイ」と返事をして走り出したのを確認し、リョウに再度ついてくるよう手招きをして、廊下をガズンが走っていったのとは反対方向に歩き始めた。結構な大股である。リョウが遅れまいと小走りで追いついたのを横目で確認して言葉を続ける。


「暴れる者は審問の最中にそうするし、お前は分かっているだろう?暴れても何も得は無い、むしろ、私を傷つけたら自分が処分されるという事を?何より、腕を縛られているお前は私を押し倒すことくらいしか出来はしない」


 頷きながらリョウは思った。この男の言う通りだ。暴れたい衝動は確かにあるし、全てが理不尽過ぎて平静を装うのも大変だが理性では分かっている。感情のままに行動して良い時じゃない。もっと自分の立場が明確になってからでも遅くは無い。ダエモンだと言われただけではやはり分からない。今はとにかく情報を集めるべきで、このアマネウスと言う審問官は聞けば答えてくれることもあるだろう。


 突如アマネウスがリョウの肩を掴んで顔の前に鞄を握っている拳を近づけた。


「人間に何か聞かれたら返事をしろ、良いな?」

「は、はい」


 直ぐに返事をしてもアマネウスは肩を掴んだ手を放さず、嘘を探すかのようにリョウの目を暫く覗き込んでいた。自分の目は純真無垢な子供のそれである、そう精一杯イメージしながらリョウはアマネウスが満足するのをじっと待った。心模様は目に出るとどこかで聞いたことがあったので内側で暴れている感情を表に出すまいと必死である。


 三文芝居が通じたのか、アマネウスの目が節穴だったのか、リョウの肩を離すと彼は再び歩き始めた。少しカーブの懸かっている廊下にはアマネウスの靴音と裸足でペチペチと歩くリョウの足音、アマネウスの着ているローブに手にした鞄が擦れる音が響き、早くも見慣れてきた松明の炎の揺らめきが時たま左右の石畳の壁に扉を浮かび上がらせていた。他のダエモンとやらが居ると言う部屋までどれくらいの時間がかかるのか分からないが、今のうちにもっと報告書の事を聞こうとリョウは思った。明らかに途中で切り上げられた審問。本来聞かれるはずだった事の中に何か有益な情報があるかも知れない。


「あの、アマネウスさ……」

「2等級審問官様、だ」

「はい、2等級審問官様。先ほどは聞かなくても分かると仰っていましたが、どのような項目があるのでしょうか?」


 リョウの方を見やってアマネウスは答えるべきか、無視するべきかと悩むような素振りを見せたが、答えても害は無いと判断したらしく、口を開いた。


「ダエモンは実に様々である。低級のダエモンと言えど、何か有益なスキル、技術、情報を持っていないか。持っているのならその詳細を聞き出すのも私のような審問官の仕事だ。だが、言っただろう?経験から分かるのだよ。お前が知っているのは精々自分の運んだ、自分の世界の要人たちのくだらないやり取りの中身。持っている技術と言えばここには存在しない自動二輪とか言っていた物の扱い方。スキルはあっても敵方に取られないための書簡の捨て方と、凶報を届けた際に首を刎ねられないための立ち回りが良いところ。若い伝令などその程度だ」


 アマネウスは急に歩を止めると、慌てて立ち止まるリョウに向き直った。


「私は間違っているかね?」

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