第4話 『お願い』します、今度は…間違いじゃありません

 しばし放心していると、目隠しのタオルがはずされた。

 しかし、これで終わりではない。

 本番は、これからである。


「はい、おつかれさま」

 長身美形の人妻は、そう言って手を取り、僕を立たせてくれる。


 酩酊感はますます強くなってきて、足元が少しふらつくほどだ。視界もなんとなくぼんやりする。……活性剤の影響だというのはわかるが、いくらなんでもこの薬は強すぎるのではないか……?


「転ばないように気を付けてね。」

 そう言いながらまた手を引かれ、今度は施術ブースに案内される。

 ブースはカーテンで空間を一坪ほどに狭く区切っただけのもので、4つならんでいる。中には背もたれの無い丸椅子が置いてあるだけだ。促されるまま、僕は椅子に座る。


「はーい、じゃあ施術始めますね~。」


 席に着いた僕の背中側から、柔らかい声が聞こえる。たぶんあの、最初に付き添いをしてくれていた人妻だろう。しかし、もう誰が誰だかわからなくなるほど意識が朦朧としている。

 すっ、と肩に手をおかれると、背中全体に柔らかな感触が広がる。そのまま腕を肩から首に回してきた。


「じゃあ、こっちも始めるね……」


 長身の人妻と思われる声が正面からする。視線を向けると、僕の脚の間に膝立ちの姿勢で密着してきた。彼女の方はお腹から胸の方に乳房を押し付け、腕は背中に回してくる。前後からの柔らかい抱擁に挟まれ、ますます意識が薄れていくように感じる。感じるのは温かさ、そして…とくん、とくん、とくん、という三人分の鼓動、──瞬間。


 ────ぐわっ


 天地が逆さまになったかのような浮遊感が身体を突き抜けて急速に意識が持ち上げられる。


 身体の重さが消え、内部に溜まっていた沈殿物のような疲れが一気に洗い流されたような、清々しさを感じると共に、じわっと湧いてくる渇望感。椅子に座っているのに、寝台に寝そべっているような安楽さが身体を包んでいる。依然、脱力感はあるものの、酔いのような不安定さは無くなっている。全身に柔らかな感触が改めて感じられて、思わず吐息がこぼれた。


「んぅ、…ぅふ」

 ゆっくり息を吐き、そっと目を開けると、ブースの外にまだ9人の人妻が待ち構えているのが見える。視線に気づいた正面の美形の人妻が、


「……気になる?カーテン、閉めようか…?」

 小声で聞いてきた。他に患者はおらず、開けたままでも構わないのだろうが、大人数に見られながらというのは、さすがに少し恥ずかしい。

「はい、すみません……」

 そう小声で返すと、彼女は頷く。


 しかし、閉めようとしたところで別の人妻が入ってきた。この新たな人妻は、僕の右腕を持ち上げると、胸に抱え込むようにして肌を密着させる。すぐ後に、もう一人の人妻が入ってきて、カーテンがようやく閉められた。今度は左腕を同じように胸に抱えて密着させる。胸と背中と両腕、四人の人妻が装着されている状態だ。


 視線を気にする必要がなくなったので、落ち着いて身体の感触に集中することができた。

 今や全身は、寝台ではなく柔らかく温かい液体に浮かんでいるような包まれ感を味わっていた。不純物を排出し空になった身体に、快楽と活力が少しづつ注ぎ込まれているような、そんな幸せな感覚だ。


 ──ずっと味わっていたいところだったが、不意に背中の感覚が消失した。次いで胸と両腕も……。


 もう少し、この余韻を味わっていたかったが、次の段階のようだ。夢から覚めたくないときのような、後ろ髪引かれる思いでゆっくり目を開けると、背中は別な人妻に入れ替わっていた。今度は、後頭部から頬の方まで巨大な乳房で包まれるように密着してくる。さらに別な人妻に入れ替わって今度は両足に絡み付くように密着する人妻が二人……。


 入れ替わりに次々と入ってくるが、人妻たちはみんな優しい。言葉少なに気遣いができている。柔らかい体型、ふっくらとした顔立ち。人妻たちは、かわる替わる身体に触れてくる。

 撫でたり擦ったり、自分の身体を密着させたり、全身で「癒して」くれているのだ。


 ──30分ほどの施術を終えると、あの最初の付き添いの人妻がブースに入ってきた。


「施術は、これでおしまいですよ。」

 そう言ってカーテンを閉める。


 さっきは気づかなかったが、施術中は髪を纏めて上げていたようだ。薬で酩酊していた先程までとは違い、施術後の今は意識もはっきりしているため、彼女の仔細も確認できる。そんな「普通」に戻った感覚なのに、視界に入るのは、例の冗談のような施術服……、否応なく大きな胸に眼が行き、また心がざわめいた。


「気分は、どうですか?」

 彼女は、そう聞いてくる。


 これだけの充実感はそうそうあるものではなく、悪いはずがなかった。

「とても良いです、ありがとうございます」

 と、礼も添えた。

 平凡な感想しかでてこないことが少々、申し訳なかった。


「良かった♪」

 それでも嬉しそうな表情を浮かべてくれた。


 しばし視線が絡み合う。


 ブースには二人きり。


 僕は……、本能的に今しかないと察する。


 小声で問いかけた。


「……もしよかったら…」



 今度は言い間違いではない、本心からそう伝える。

「『お願い』できますか…?」



 一瞬、間があり、彼女は驚いたような表情をする、当然だ。


 その顔がぱっと嬉しそうに変わる。

 しかし、それでも……、


 恥ずかしそうにはにかみながら、決して嫌そうではなく、……でも、やんわりと彼女は断った。


 そして、照れを隠すように、

「ちょっと、……失礼しますね」

 そう言って、僕の両の手を握り、なにかを確認し始めたようだ。


 ───とても、残念ではあるが、断られても食い下がらないのが『お頼み』の作法だ。


 しかしその2、3秒後、彼女の表情から柔らかさが消え真剣な顔になる。

 ちょっと小首をかしげるような仕草もした。そして、屈んで身体を寄せる。立った状態では聞き取れない心音でも聴くように、僕の両手それぞれを握ったまま。恐らくこれも「触診」なのだろう。目を閉じて、じーっと耳をすませているようだ。


 しばしの沈黙の後、不意に立ち上がって手をそっと離す。そして、僕に柔らかい表情を見せると、カーテンを開けて出ていってしまった。


 どうしたのだろう?


 不思議に思っていると、すぐにまたカーテンが開いて、今度はあの長身美形の人妻が入ってきた。

 美形の人妻は、さっとカーテンを閉めると、屈んで身体を寄せ、すぐ先程と同じように僕の両の手それぞれを握り、そして目を閉じる。しばしそうしていた後、今度は握ったまま僕の左手を彼女自身の頬に当てた。これも触診の技法なのだろうか?


 やがて……、彼女はぱっと目を開けると、僕をまっすぐに見て、外に聞こえないように話し始めた。


「……もしかすると、ちゃんと疲れが抜けてないかもしれないの、……大丈夫だとは思うけど。もし、違和感とか変な感じしたら、またここにきてね、必ずよ?」


 なるほど、どうやらこれは癒しの仕上り確認だったようだ。今のところ、なんの不都合も感じないが、癒し職人さんにとっては不本意な出来だったのだろうか。それにしても珍しい対応だ。


「わかりました、その時は」

「うん」


 優しい笑顔、凛とした瞳。


 先の彼女とはまた違った、雰囲気の好ましさ。


 節操が無いと思いつつも、気持ちが抑えられない。

 手は握られたままだ。



「『お願い』…したら、いけませんか…?」



 彼女だけにやっと聞こえるくらいの囁くような声で。

 瞳の奥を見つめる。


 彼女はきょとんとしている。

 その後、吹き出すような笑顔をして、顔を伏せて。

 困ったな~というような笑顔をして、


「……本気?」

 と聞く。


「はい」

 まっすぐに見つめて答える。


 少し間を置いて、爽やかな笑顔を浮かべて


 ……突然、顔をぐっと寄せて彼女は僕の頬に自分の頬をぎゅっと押し付けてきた。

 そして、すっくとたちあがる。


 どこか、切なそうな雰囲気が一瞬見てとれた。


 そして、彼女は──、

 なぜか少し大きめの、外の人妻たちにも聞こえるくらいの声で、


「ごめんね~、いまそういうことしてないんだ~。」

 と、つとめて軽く、断りの言葉を言った──。


 それでもずっと、手を握ったままで。


 …………………


 服を着替えて、改めて人妻たちにお礼を言い、湯場を後にする。

 受付で料金をミールで支払い、診療所の外に出た。

 僕は、一つ大きく伸びをして、日が少し傾き始めた空を見上げる。


 体調はすっかり良くなった。

 しかし、癒されはしても内側に少しの燻りを感じる。

 医者が言っていた、「癒し」と「それ」とは補給されるものが別だと。普段は「お頼み」でばかり鋭気を養っていた反動だろうか。それとも、……二人とも断られた縁の無さに一抹の寂しさを感じているのだろうか。


 この地方の女性は、性的なことに開放的だ。いや、逆に性的という概念が薄いのかもしれない。あるいは、ここまでが、ここからが、という性的な境界というものが存在しないような、そんな感覚だ。

 しかし、不思議な、貞節にも似た節度のようなものも同時に存在している。ここまでしておいて貞節もなにもないように思えるが、一線まではなかなか越えさせてくれない。


 ─────


 我々──、ドルイド族と呼ばれる一族は、社会概念をこれまでと大きく変え、

 親と子、性としがらみ、家族と血族、そういった軛を解き放ち、新たな時代に踏み出した。


 ──全ては戦争に向かう、そんな空気がそうさせているようにも感じる。

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