第2話 お風呂屋さんですか?いいえ、診療所です

 「……あぁ、ほらやっぱり…。思ったよりずっと足りないわ。」


 ああ…、そうか。

 この人は「癒し手」なのか。


人妻は、僕を車の外へ促した。

「歩ける……? 無理しないでね。」


 そう言いながら、僕を支えて車から下ろしてくれた。

 なんとか支えられなくても歩けそうだが、まるで自分の足ではないようだ。

 おどろくほど、身体が重い……。


 気付かずに飛んでいたら気を失って墜落していたかもしれない。


 ……これは、むしろガス欠に感謝だな。


 そんなことを思いながら、とりあえず車の窓を閉めて鍵を掛ける。盗まれて困るようなものは入っていないが、念のためだ。

 人妻は僕の手を引いて、牧草地の脇に停めてあった小さな運搬車に案内してくれた。


「乗って下さい、送りますから」

 そう言われ、僕は車に乗る。


 そういえばこの車は、さっき着陸前に上空から見えた対向車だ。わざわざ、引き返してきたのだろうか?


 車が走り出したので、彼女にその事を尋ねてみた。

 すると、少し食いつきぎみに──


「──もうね、車が見えるずっ…と前から、へ~んな感じがしてたんですよ! 明らかに具合悪そうな人の気配があるのに、見回しても近くに誰もいなくて。そしたら前からのが見えて!」


 そこまで話して、ふふふっと、少し笑った。


「もしかして……かしら??って思ったんです。それで、車を停めて見てたら、そのまま牧草畑に落っこちちゃって!」


 そんな風に見えてたのか、……そこそこ、きれいに着陸したつもりだったのだが。


「──それで慌てて戻ってきたんですよ~」

 人妻はそう言った。


 僕は、すみません、と返すと、

「い~え~、無事でよかったですよぉ」

人妻は楽しそうに、そう答えた。


 そこまで話して、そういえば──、と思い付く。


「あの牧草地、どなたの土地か、わかりますか?」

 と尋ねてみる。すると、

「あ、あそこは農管の牧草畑です。心配しなくても大丈夫ですよ~」

 と、明快に答えがかえってきた。


 助かった。

 旧農管公社の土地なら、僕の所属する自警団と飛行舟組合の持ち物だ。後日、出勤したときにでも報告をいれておけば、問題にもならないだろう。後でガスをもって行って、車をどかせばこの件はおしまいだ。


 目下の心配ごとが無くなったので、改めて現状を振り返る。


 車は村の中心に向かって走っている。

 僕の家は村の外れの方なので、途中で道案内しないといけないだろう。

 程無くして、ちょうどいい分かれ道が見えてきた。そこを左に曲がれば、僕の家のある方へ向かうことができる。


「あ、そこを左にお願いします」

 そう言ったが、返事は無く分岐点を素通りしてしまう。


「……あ、すみません。さっきのところを……」

 そこまで言うと、


「──診療所に行きますね」


 人妻は柔らかく、しかし力強く答えた。

 診療所……、施術をしてくれるということか。


「……家で、寝て休みますよ」

 僕は一応、遠慮してみたが、

「2、3日じゃ戻らないと思いますよ、きっと」

 前を見て運転しながら、人妻は答えた。


「最近、特に多いんです。飛びすぎて……、飛ばしすぎて倒れちゃう人」


 先ほどまでの明るさとは、どこか違う。お役目としての言葉の重みを感じた。


「さすがに、飛びながら気絶しちゃう人は今まで見たことありませんけど……」


 そこまで言って、彼女はちらりとこちらを見て、再び視線を前に戻し……そしてそっと僕の手を握ってくる。


 「癒し手」は、触れることで相手の状態を感じとることができると聞く。今も、ただ触れているのではなく、触診をしているのだろう。


「あなたの感じだと、きっと……気絶するまで気付かないような気がします」


「……」

 否定、できない。


 先ほどは偶然気付けたのだが、また同じ幸運があるとは限らない。ひとつ間違えたら、墜落事故を起こしていたかもしれないのだ。


 しばしの沈黙の間、考えを巡らす。


 ……癒してもらえば治るのだ。普通に考えれば、悩むことではないだろう。

 もちろん理由はあるが、単に人が多いところへ出向くのが苦痛で、診療所通いができていないだけだ。

 体調が仕事に影響するのは問題だ。が、それ以上に空を飛べないというのはもっと問題だ。


 ──ここは、行くべきだろう。

 僕は、彼女の厚意にあずかることにする。


「……すみません、お願いしてもいいですか?」


 そう言って──しまった、と思ったが……もう遅い。


「あら? それって『お頼み』かしら~♪」

 愉快そうに笑われてしまった。この聞き方だと、そう思われても仕方がないだろう。


 目的を告げずに、ただ「お願い」するということ。

 これは、この村やこの地方での隠語なのだ。

 もっとも、ほぼ全員が知っている事なので隠して使うことはできない。

 そして、最近は隠す必要さえ無くなっている。


 ──魅入られる男が、あまりにも多いためだ。


 笑ってごまかしたが、この人だったら本当に「頼んで」みたい……。

 僕は、そう思った。


 …………………


 その後、車内で簡単な問診を受けたりしながら走りつづけ、ほどなくして診療所に着いた。


 車を降りて歩いていく人妻について行き、診療所の入り口をくぐる。

 先に入った人妻が、受付に要件を伝えていたので、面倒な手続きはいらないようだ。僕たちはそのまま中に入っていく。


 ここへは滅多に来ることはないが、僕が「飛ばし屋」である事も伝えてあるのだろう。


 すぐに診察室へ通された。


 診療所といっても、建物の構造は公衆浴場とほぼ同じ作りだ。

 この村では、問診以外の大抵の治療は、入浴と蒸し風呂サウナで済ます。

 お風呂は万能だ。どんな症状も大抵は入浴で良くなる。


 元々、心身頑強なる、我が一族。

 日々の暮らしで患うことは、さほど多くは無い。

 あとは注射。これは、治療のためではなく予防のためだ。


 ……………


 入口をカーテンで仕切られた一室に通される。


 書類と器具の乗った机の前に、体格のいい女性がいる。この村で唯一の医術の専門家だ。医者と呼んではいるが、正式な医者ではない。最近では、治療は全て女の仕事だ。男は診られるだけになった。現状、村には正式な医者はいない。みんな村の女に診てもらうのが常だ。


 正式な医者は、優先的に戦争に行く事になる。

 男はいずれ皆、戦争に向かうのだ。医者も、他の者も。


 全ては、戦争に向かう経過でしかない──。


 その事を強く意識させられる。

 飛ぶことも、……悲しいことだが、戦争に使われる技術のひとつだ


 医者の女性が、僕の後ろに声をかける。

「あんたが見つけてきたの~?」

 後ろには、僕を連れてきてくれたあの人妻が付き添いで立っている。

 すると人妻は、

「はい、さっき牧草畑で拾ってきました」

 そう答え、はははっと、二人で大笑いしている


 書類を一枚、机の上に出してから、医者の女は端末を手渡して来る。

 僕はそれを受け取って、自分の個人端末とリンクさせる。すると壁のモニターに、大きく僕の名前や住所が表示される。


「間違いない?」

 医者が聞いてくる。本人確認だ。

 僕は、はいと答える。

 すると続けて、過去の通院記録などの診療履歴が表示される。


 うん、と言って医者は早速、僕の両手をそれぞれの手で握って触診を開始する。


「ん~……」と静かに唸った後、しばらくじっと考えてから……やがて、にやーっと笑う。

 そして、後ろの人妻に、

「大当たり、大物だよ」

 と、うれしそうに声をかける。


 大物、とはなんだろう?

 そう思っていると、


「容量が大きい、ってことだよ」

 と医者がおかしそうに教えてくれた。しかし、僕にはいまいち意味がわからなかった。


「アンタ、あんまりここ来てないね? 前回来たのは……去年かい?」

 医者が、診療履歴を見ながら聞いてくる。

 僕は、はい、と答えた。


 医者は、時々手の握り方を変えたり「あー…」とか「う~ん…」とか交えたりしながら、いくつか質問をしてくる。


「どのくらいの頻度で「癒し」を受けてる? ここ以外でもいいから」


 僕は、少し考えて、


「年に……5~6回くらいですかね。2ヶ月に1回くらいの頻度で……」


 そう答えるや否や、背後の人妻から

「それだけですか……?!」

と、驚いた声が上がる。


 医者は少々、渋い顔で…

「少なすぎ。どんなに少なくても最低1ヶ月に1~2回は受けなさい」

 そう言ってから、端末に何やら書き込み始める。書きながら、毎週受けるのが普通なんだから、と付け加えた。


 僕が、人の多いところが……駄目で、

 と、ぼそぼそと言うと、

「あ~、……そうか」

 医者は診療記録に目を落として頷いた。

「こればかりは、しょうがないか。「体質」だからね……」


 医者は、僕を見ながらそう答えた。

 気持ちや性格ではなく、と医者は言った。


 つまり、単に好き嫌いや、得意苦手の問題ではなく、何らかの身体要素が反応して不調をきたしている、ということだ。克服すべき苦手ではなく、身体要素として付き合っていく類いのものだということを、自分の中で再確認する。


「でも、頑張って……もう少しは増やした方がいいね。家の近くにも湯場はあるだろう?」

 医者が聞いてくる。


 確かに3箇所くらいはある。

 しかし近所だから当然近所の人間がよく出入りしているのだ。そのせいで、なかなかその機会に恵まれない。

 我慢して相席をしても、身体の不調の方が勝ってしまい、全く癒された感じが無いのだ。早朝や深夜、運良く癒し手がいるタイミングに恵まれたときにやってもらう事がある程度である。

 ……そんな感じだから年に5~6回といっても、頻度も間隔もバラバラだった。


「身体保つのかい? アンタ飛ばし屋でも、そこそこ上の方だろう?」


 そう、聞かれたので僕は、

「あ……、一応、イバタさんの次です」


 そう答えると医者は、ぎょっとした。

 顔は見えないが、たぶん後ろの人妻も同じ反応だろう。


 おそらく、そこまで上の人間とはさすがに思っていなかったのだろう。人付き合いの苦手な僕は、目立った役職にも就かず公の成果も挙げていない。この村の挙げた飛行士の成果のほぼ全てに、何らかの形で関わってはいるが、評価を受けるのは他の立ち回りの上手い人たちであることが多いからだ。


 だが、目立つことを避けている僕は、それでいいと思っている。


 イバタの次、というのは地方の自警団の上位組織である軍によって集計管理されている、飛行時間、飛行回数、飛行質量を総合してポイント化したものを多い順で並べたものだ。僕は、イバタさんの次にランクされている。

 このポイントは、一般には公表されることはないが、飛ばし屋稼業の男たちは何よりもこの実績を重んずる。たとえそれが肩書きや名誉に執着するような人間であっても、空を飛ぶ男たちにとっては例外無く、理屈ではなく実感としてこの実績は重いのだ。

 それほどに、この空を飛ぶ技術は世に影響力を持つ。


 ──哀しいのは、それさえも戦争へ向かう過程、という現実があることだ。


「あ、あー……。こりゃ、なんか考えないといけないね…?」

 と医者。

「貸切りの時間とか、作りましょうか…?」

 と後ろで意見をのべる人妻の声。


 僕は、余計なことを言ったかもしれない、と少し後悔する。


 一般人は、わかりやすい勲章がなければ飛行実績の価値などわからないと思っていたのだが、イバタの次、というのが図らずも大勲章として作用してしまったようだ。今、目の前の医者は、存在を知らなかったとはいえ、博物館級の物品を雨晒しにしていた様な焦りと罪悪感を感じているのかもしれない。


 しかし、僕のためにそこまでさせるのは本意ではない。


「あ、あのー……、大丈夫ですよ。癒しは少ないですけど「お頼み」は月に1~2回してもらえてますから……」


 僕がそう言うと、今度は医者がぶふっと吹き出し、そしてむせた。


「……何?!アンタ、そっちは大丈夫なの?」


 僕は、少し恥ずかしくなったが、うつむいてうなずき肯定する。

 すると医者は、ガハハと笑って、


「まあ……、それなら死ぬことはないか。……でもね、それで補給できるモノは、あれ…厳密に言うと別だから。だから、ちゃんと癒しも受けないとダメだよ?」


 そう言って、医者はメガネを直しながら、また端末に何か書き足していく。

 そして、カーテン越しにある部屋の奥に向かって大きめの声で呼び掛けていた。


「注射、用意してちょうだ~い、活性剤ね!……あと、肺炎予防もかな」


 はーい、という返事が奥から返ってきた。


「あんたは湯場の方の支度しなさい、たぶんあんたが一番合うと思うから。」

 と、これは後ろに立っている人妻に向かって。


「はい、じゃあ着替えてきますね。」

 そう言って、人妻はカーテンをくぐり退出して行った。


 肺炎予防……?


 ──飛行舟乗りにとって、肺は大事だ。よって、乗る者には定期的な接種が義務付けられている。しかし、前回の接種から数えてまだ接種時期は来ていないはずだが?


 そう思って、大映しの診療記録を見ていると、医者は、

「アンタ、次いつ来るかわかんないでしょ?今打っといた方がいいよ」

 と言って笑っていた。


 それもそうか。


 ちょうどカーテンを開けて、アルミトレーに注射を乗せた別な人妻が奥から出てきた。


「先生、……AVD活性剤は湯場の方でいいですよね?」

「うん、そうだね。」


 小声でやり取りしている。

 そして、トレーの上の注射器を取りキャップをはずす。

 左肩を消毒で2、3度拭いて手早く注射を済ませた。


「よし、いいよー。外出たら、さっきの子について行って、湯場で施術受けてね」


 僕は立ち上がって、はい、ありがとうございました、と礼を言って頭を下げる。


「いつでもいいから、こまめに来なさいよ?」

 と、笑って送り出してくれた。


 …………………


 カーテンをくぐって、廊下に出る。

 引き戸を空けてロビーに出ると、さっき着替えに行った人妻が、そこで待っていた。

 手にはさっきも見たようなアルミトレーを持っている。そのトレーには、なぜかシリンジが2本乗っていた。

 後ろでは、別な人妻が「次の方ー、どうぞ~」と患者を診察室に案内しているのが聞こえていた。


 目の前の人妻は、さっきの普段着ではなく、だぼっとしたガウンを身に付けている。

 前合わせのガウンは腰紐だけで止めてあり簡単に脱ぎ着ができるものだ。


 この下は……当然のように、ほぼ裸だろう。


「じゃあ、ご案内しますね~」

 そう言って前を歩いていく。


 湯場の前には順番待ちの長椅子が並んでおり、そこには壮年~老人といった感じの男が15人ほど座っていた。中には若い者も2人ほど混じっていた。女も座っているが数は少ない。女性は、年齢層が男より幾分若いようだ。


 待ち合い用の椅子を挟んで左側が入浴治療室、右側が施術浴室。それぞれに男湯と女湯がある、部屋の作りはどこも一緒だ。


 入浴治療室は、いわゆる銭湯とほぼ同じで、待合室の脇には小さなカウンターと料金端末が置いてあり、カウンターにはちゃんと人妻が控えている。

 診療所の入口とは別に、入浴治療客のための入口もあり、診療所側の受付を通らずに直接ここに来ることができるのだ。


「おトイレ、大丈夫ですか~?」

 人妻が聞いてくる。

 僕は、はい、大丈夫です。と答える。


「じゃあ、こちらです。どうぞ~」

 そう言って、施術浴室の女湯に通される。


 それを見ていた待ち合いの男たちが、口々に文句を言い出す。大きな声をあげる者もいた。

 だが、カウンターに控えていた強面の人妻が、

 「文句があるなら、入れないよ」

 と一喝していた。


 もちろん、女湯に通されたことを問題にしているのではない。ここの男たちは、先に来て順番を待っていたのだ。なのに後から来た僕が先に通されている。文句のひとつも言いたくなるだろう。


 僕が、人の多いところを避ける理由の一つがこれだった。


 この村では、飛ぶことに優れたものが優遇されている。この順番待ちのような些細な事から、収入、物品購入の優先権、昇進などあげればきりがない。飛ばし屋のもたらす、多くの利益を鑑みればある程度は認められるべきだろう。


 しかし、この優遇は日を追う毎に大きくなり、現状では過剰とも思える優遇が為されることもある。欲が深く面の皮の厚い人間なら喜んで受け入れるだろうが、僕にとっては苦痛でしかなかった。


 そして、もし僕と彼らの立場が逆だったら?


 ……僕も、きっと同じように不満を持つだろう。彼らの不満は、至極当然なのだ。

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