わたしは美依子(びいこ)

島崎町

第1話

 ひさしぶりの学校だからふるえた。足がガクガクしてる。

 玄関に入って靴箱の前に立つと、たくさんの靴がならんでる。

 ひとつずつ名前を読んでいくと、あった。


高田瑛子たかだ えいこ


瑛子えいこちゃん!」

 いきなり声がした。ふり返るとニコニコ顔の女の子がわたしを見ている。

「一ヶ月ぶりだねー! 心配したんだよ、だいじょうぶだった?」

「う、うん……」

「それ、事故のケガ?」

 わたしの左腕、手首とひじの間には赤黒いアザがある。

「うん」

 わたしの返事を聞いて、女の子は悲しそうに顔をゆがませた。

「でも、瑛子ちゃんがもどってきてくれて、うれしい!」

 たぶんこの子は「くるみ」という子だ。

 わたしたちは上靴に履き替え、階段をのぼり二階の廊下を歩いた。


 六年一組。高田瑛子にとっては一ヶ月ぶりの教室だ。

 わたしが入ると、ざわついていた教室が急に静かになった。みんながじっと、わたしを見ている。

 どうしよう、やっぱり失敗だったんだ。

「瑛子ちゃん、今日から学校通えるんだって!」

 くるみがそう言うと、わっとみんな飛びあがった。わたしのまわりに集まって、口々に「おめでとー!」とか「よかったねー!」とか言ってくる。

 うれしい。こんなに気持ちになったのは初めてだ。みんなに注目されて、クラスの中心で明るいスポットライトを浴びる。最高の人生だ。



 授業がはじまってからもわたしはチヤホヤされた。担任の山崎先生は、

「一ヶ月休んでたんだからな。ゆっくりやっていこうな」

 って、やさしく言ってくれた。若くてかっこいい先生にこんなことを言われるなんて。

 先生の授業はつづいてる。

「いいかー、光りがあれば影もあるんだぞー。そして光りが強いほど、影は濃くなっていくんだぞー」



 休み時間になるたびに、わたしのまわりに人が集まった。みんな、わたしの話を聞きたいんだ。だけど悲しい事故については直接聞かない。それとなく遠回しだ。

 わたしの両親の死。交通事故でふたりとも死んでしまった。それから、転落事故。

「瑛子ちゃん、二階の窓から落ちたんでしょ? だいじょうぶだった?」

 くるみがズケズケ聞いてきた。

「花壇の上だったんだ。花があったから助かったの。もし横にずれてたら花壇のレンガにあたって……」

「じゃあ腕だけあたったの?」

 みんながわたしの左腕のアザを見る。

「かわいそー」「治るの?」

 うれしい。みんなわたしに同情してくれる。

「ところで双子の美依子びいこちゃんはどうしてるの?」

 話をぶった切って、くるみが聞いてきた。

 よけいなことを。

「美依子はね……まだ部屋にこもりっきりなの」


 終業のチャイムが鳴った。学校を出ると、

「瑛子ちゃん!」くるみだ。わたしの顔を見つめてくる。「ねえ、今日、変だったよ」

「そう?」

「うん。太陽と」

 くるみはそこまで言ってやめた。

「え?」

「太陽と」

「なに?」

「ねえ、もしかしてあなた……」

 まずい。わたしは走って逃げた。



 家につくと、中は暗かった。

 階段をあがって二階に行くと、ドアが二つならんでる。左が瑛子えいこ、右が美依子びいこの部屋。

 わたしは美依子のドアを開けた。

 カーテンが閉められ、暗い部屋の中、窓ぎわのベッドに美依子が寝ている。

 だけどこれは美依子じゃない。本当は瑛子だ。

 そう、わたしが美依子。ずっと部屋にこもっていた美依子だ。


 二ヶ月前、両親が交通事故で死んでしまい、わたしたち双子だけが残された。祖父がわたしたちを引き取ろうとしたけれど、一ヶ月前、もうひとつの事故が起きた。

 瑛子が部屋から転落した。

 ドサッという物音を聞いて窓の外を見ると、瑛子が花壇の上にたおれてた。きっと花壇のレンガに左腕があたったんだろう、赤黒いアザができていた。

 わたしは奇跡だと思った。

 わたしのアザとそっくりだ。

 わたしたち双子を見分ける手段は、わたしだけにあるアザだった。わたしはそのアザがコンプレックスで部屋にずっとこもってた。

 そのアザが瑛子にもできてる!


 転落した瑛子は事故のショックなのか、ほとんどしゃべらなくなった。一日中ぼーっとしたまま。意識はあるので介護が必要というわけではなく、祖父も様子を見に来るけれど、瑛子の世話はわたしがやった。

 一ヶ月間、瑛子といっしょにいて、わたしはこの計画を思いついた。

 入れ替わり。

 わたしが瑛子になって学校に行く。人気があって将来が明るい瑛子になる。もう美依子の人生は嫌だ。一日中ひきこもって暮らすのはやめにしたい。

 瑛子をわたしの部屋に寝かせ、わたしは瑛子の部屋に移った。瑛子の服を着て、自分で髪を切り、瑛子とおなじ髪型にした。

 役に立ったのは瑛子の日記だった。机の上に出しっ放しだった日記を手にしたとき、横にあったナゾの鉄の棒がゴロンと音をたててビクッとしたけれど、中を開いて読むと、瑛子のすべてが書いてあった。

 瑛子は自分のことや友達のことを細かく書いていたので、半分読むだけでも瑛子になれる気がした。

 そうして今日、わたしは瑛子になった。

 明日も明後日も、これから何年も何十年も、わたしは瑛子として生きるんだ。

 ただ、ちょっと失敗もあった。

 学校の帰りにくるみが言った言葉「太陽と」。これの意味がわからない。

 わたしは瑛子の日記の後半を読んでみた。

「【くるみとの合い言葉】秘密のことをしゃべりたいときは『太陽と』って言う。『月と』って返せばなんでも言える」

 これだ。くるみは秘密のなにかを言いたかったんだ。

 でも、なにを?



 翌日、明るい気持ちで学校に行った。もう緊張はない。

「くるみ!」

 玄関にいたくるみに声をかけて、さらに言った。

「太陽と」

「月と」

 くるみが返してきた。やった!

「よかったあ。昨日、瑛子じゃないみたいだったからさー」

「ごめんね。それでなに? 秘密のことって」

 くるみが顔をくもらせて、まわりを確認した。だれもいない。

「やばいよ、あれ、バレたよ」

「え? なに?」

「なにって学校の金、ぬすんだこと」

「は?」

「は? じゃないよ。あと校長のスマホ、あれどうしたの? 学校の裏サイトにデータ流したあと、処分した?」

「処分……?」

「あと、五年生へのいじめ。親がなんか訴えるって言ってるらしいよ」

「いじめ? だれが?」

「瑛子がやったんでしょ。ま、わたしもちょっとは加わったけどさあ」

 急に目の前が真っ暗になった。

 くるみが言った。

「やばいよね、私たちもう終わりかもしれないよ」



 わたしが入ると、ざわついていた教室が急に静かになった。みんながじっと、わたしを見ている。

 教室に山崎先生が入ってきた。

「高田瑛子、廊下に来なさい」

 そう言って廊下に消えた。

 教室中がいっせいにざわざわ言いはじめた。

 どうしてわたしは呼ばれてるの? わたしはなにもやってないのに。

 廊下には、山崎先生だけじゃなく、黒いスーツを着た知らない大人がいた。

「ちょっと、来てもらおうかな」

 黒いスーツの男が腕をのばしてきた瞬間、わたしは走りだした。

 階段をかけおり、玄関から外に出た。

 こんなことになるなんて、絶対ありえない。

 わたしはなにもしてないのに、どうして?

 どうして!



 家にかけこんで階段をあがる。

 あれ?

 美依子の部屋から物音が聞こえる。

 ドン、ドンとなにかをたたく、にぶい音だ。

 瑛子が起きてる?

 なにをしてるの?

 ドアを開けると、目の前にわたしがいた。

 おなじ髪型、おなじ白いワンピースを着たわたしが、左腕を鉄の棒でたたいてる。

「おかえり、早かったね」

 ちがう、これはわたしじゃない、瑛子だ。なにをしてるの?

「ああこれ? アザが薄くなってきたから」

「元気、なの?」

「うん元気。ぼーっとしてるフリやめて太陽の光あびてる。ははは!」

「フリ?」

「うん、演技」

「瑛子! 学校でなにしてたの? 全部バレちゃったんだよ!」

「あ、やっぱり。じゃあ作戦成功ねー」

「作戦?」

「そう。いろいろバレそうだから、やばいなーって。瑛子の人生終わりそうだったから、私、瑛子やめて美依子になることにしたの」

「ダメだよ!」

「ダメだよって、あなたもう瑛子じゃない。っていうか自分からなったんでしょ、瑛子あげるー」

 瑛子は机の上にあった日記を押しつけてきた。

「いらない!」

 わたしは汚れたもののように払い落とした。

「ひどいことやってるなんて日記に書いてなかったよ!」

「書くわけないじゃん、あなたに読ませる用の日記なんだから」

「え?」

「これ読んで私になれる気がしたでしょ? 瑛子の人生になってみたいなーって思ったでしょ?」

 目の前にいるこの人が怖くなった。強い光には濃い影ができる、そう言ってたのはだれだっけ? 人気者で明るい光のあたる瑛子、その濃くて黒い影を、わたしはいま見ている。そうして、わたしは瑛子の影の部分を背負わされようとしている。

「いやだああ!」

「さけんだってむだよ、瑛子」

「瑛子じゃない!」

「あなたは瑛子、私は美――」

 その瞬間、わたしは瑛子に突進した。強く体当たりして、勢いよく窓まで押して、わたしたちふたりは、窓をつき破り、外へ落ちた。


 *


 教師と警察官が到着したとき、窓ガラスが割れる音がして、ドサリとにぶい音が響いた。

 窓の下にかけ寄ると、花壇のレンガの上に、折り重なってふたりの少女がたおれていた。下になった少女はレンガに頭を打ち、ピクリともしなかった。上の少女にはケガはないようで、ゆっくりと立ちあがった。

 ふたりの少女はおなじ顔、おなじ服、おなじ髪型で、左腕に赤黒いアザがあった。

「きみは、どっちなんだ?」

 教師にも違いはわからなかった。

 そのとき、太陽が雲間から顔を出し、少女の顔を照らした。半分が明るくかがやき、もう半分が暗い闇だった。

 少女は言った。

「わたしは美依子びいこ

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