左手の力

 階段を駆けあがると、俺は剣を手に建物の入口を崩そうとする化け物に対峙した。


 それはまさに、死骸蜘蛛 という呼び名にふさわしいおぞましい化け物であった。

 

 『 ニクウウウ! クワセロオオオ! ホネヲォォ! ニクイイイイイイイ! 』


 鋭い骨が密集したような脚が建物の壁をザクザクと崩し、その巨体を強引に獰猛にねじ込もうとしてくる。


 その時、隙間から鋭い尖脚が俺に向けて突き出された。


 反射的に左腕から電撃のような反応が生じ、俺は無意識のうちにその尖脚を剣で斬り飛ばしてした。


 天井に突き刺さった脚先が、ジュウウという音を立てぼろぼろと崩れ落ちていく。


 この反応、もしかしたら?


 俺は左手から生じた生命の奔流とも言えるエネルギーの流れを自覚していた。


 それは全身を循環し、全身を刺激し、全身からそのエネルギーが漲っていくの感じる。


 左手だけの力ではない。

 左手が起因したことで生じた俺の生命力、いや、これが気なのか!?


 あの娘を治療することになった力は、邪妖種という存在に対し有効、弱点と成りうるのではないか?


 【 放て 放つのだ 気を 己の意志で 悪意あるモノを打ち砕け 発勁はっけい なり 】


 俺は壁に剣を突き刺すと、両の掌を合わせ、気を練り上げる。


 みるみる収束したその力は、弾けんばかりに迸る。


 「放て発勁! 破っ!」


 仄かに暖色の光を帯び収束した気の塊が、壁の穴から身をねじ込もうとして蠢く死骸蜘蛛に撃ち込まれた。


 『 ギャアアアアアアア! イダアアアアアアイイ! グルジイイイ! ガッハ…… 』


 頭部に命中した発勁は、一瞬で全身に広がりぼこぼことした巨大な無数の水泡のようにふくれ上がると、数秒経ってからしぼむように土塊になっていく。


 もはや断末魔の悲鳴もなく、ただ枯死するかのように萎み、土塊となって崩れていく。


 「ふぅ……」


 「す、すごい! Aランクのプリーストだってこんなマネできないよ! 君は一体何者なの!?」


 

 しばらくは小麦色エルフの美貌に見惚れないように意識をしっかり保ちつつ、彼女の質問攻めにどう対応しようか悩んでいたところ、唐突に甲高い声で驚きの声をあげる。


「ねえ君のあの力は何? あ、冒険者だったら人のスキルとかは詮索しないのが暗黙の了解になってるけどさ、邪妖種に対してのあれはちょっと訊かざるを得ないと思うんだ」


 フィオは表情が豊かな子だった。思ったことが顔に出るタイプのようで、頭に?が浮かんでいるのが見えるようだ。


 「えっと隠すつもりはないんだけどさ、この辺の大きい町に転移者の集合ポイントというかそういうのを担当してる役所なんかあるかな? 話が通ってるはずなんだけど」


 フィオの頭に?がさらに増えた。


「てんいしゃ? 何それ?」


 「え? しらないの?」


「しらない」


 これは困った。俺だけ辺境の地に飛ばされたので情報が届いていないということなのだろうか?


 「そうだな、じゃあ近くの人が暮らしている町とかへ連れていってもらえないだろうか」


「ああそれならいいよ。一緒に帰ろう、命の恩人だもんね、本当にありがとう」


 ふっと胸の奥が軽く、そして張り詰めていた感情がほぐれた気がした。


 なぜだろうと思い、すぐ理解できた。こんな天真爛漫な笑顔を見たのは、妹の真由と二人で暮らしていた時ぐらいなもの。


 死骸蜘蛛がもう完全に土塊になったことを確認した俺とフィオは、土を蹴り崩しながら外へと抜け出ることにする。


 改めて見てみると、フィオは煽情的な姿をしている。革製のニーハイブーツに白いブリーツスカートがついた革製鎧。

 胸元が見えるようになっているのは、おそらく通気をよくするためだろう。


 胸は大きいほうでは、むしろ控え目ではあるがこういうことの経験がない俺には刺激が強い。


 「ふぅ! やっぱり外は気持ちいいね」

 俺もほっと安堵していたところに、いきなり呼びかける声が背中から浴びせられた。


 「フィオ、無事だったか!」

 「デイゼル!? よかったみんなも無事なんだね」

 

 そこにはフィオの仲間らしい冒険者風の男女が6名ほど。

 大木の陰に隠れながらこちらをうかがっていた。

 

 「フィオ、死骸蜘蛛はどうした? 諦めて逃げていったのか?」

 リーダーらしい中年の男はレザーアーマーに金属プレートが数か所ついたような防具を身に着けており、腰には長剣を下げている。


 「ああ、死骸蜘蛛ならそこ」


 フィオはあっけらかんと、土塊となった死骸蜘蛛の残骸を指さした。


「え? あれが? ちょ、ちょっと、ええ?」

「フィオ? 間違いじゃないのか? 見たところ土は汚染されてないように見えるが」


 「ああそれはね多分、このレイジが倒したからだよ。ボクもね、死骸蜘蛛のトゲをくらっちゃったんだ」


 このフィオの発言に対する皆の落胆ぶりは、見ていて気の毒になるほどではあった。

 「でもほら! もうちくっと刺された跡しか残ってないでしょ? レイジがね、治してくれたんだ」


「そ、そうだったのか! よかった、よかったよフィオ!」

 仲間たちが集まり、魔法使い風の女性冒険者たちが感極まってフィオに抱き着いている。

 

 そうか俺は、いや阿修羅王の力が誰かを助けさせてくれたのか。


 ここは勘違いしてはだめだ。俺の力ではない。守ってくれている阿修羅王の左腕がもたらした気功術の力だ。


 「いや俺はただ力を借りただけで」

「大地の浄化も、あなた、いえレイジさんがやったんですか?」


 「すいません、ちょっとそういう話が分からなくて」


 ここでフィオが思い出したように皆へ問いかけた。

「ねえねえ、レイジはね てんいしゃ っていう人を探してるみたいなんだけど、みんな知らない? 聞いたことない?」


 僅かに期待したものの、皆の反応はぽかーんとしたものだった。


 てんいしゃ というワードに関して、初めて耳にした反応にしか思えない。

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