殺人

 何度目だろう。

 こうして母の内縁の夫である男に殴られ蹴られ、僅かなバイト代すら奪われてしまったのは。

 「おいてめえ、反抗したら妹を殴ってもいいんだからなぁ!」


 ……抵抗できずにいた。

 

 母と妹と自分の三人で暮らしていた時は幸せだった。

 働く母を支えるため、妹の真由と一緒に家事をこなし、中学から新聞配達のバイトをし家計を支えてきた。


 だが、そんな母に近寄った男が奴だった。瀬島正義。

 正義とはよく言ったものだと、この世の不条理を俺は呪った。


 内縁の夫として入り込んだ奴は、亡くなった父の遺産があると踏んだがそれがないと分かるとすぐにDVの化身となった。


 母は俺と妹を守るため痣だらけになり、ある日通勤中に自転車で転倒し疲労がたたってそのまま帰らぬ人となった。

 

 身寄りのない俺たちは母を火葬にはできたが、墓もなく葬儀すら上げられなかった。

 瀬島は、そこからガラの悪い仲間たちとよくアパートの一室に入り浸るようになる。


 出ていけと怒鳴ったが、居合わせた仲間と共に袋叩きにあい数日動けなくなった。


 「てめえ、次痛い目見るのは妹になるぞ」


 この脅し文句に屈し、俺は抵抗できずにいた。


 母がなんとしても行きなさいと言ってくれた高校では、毎日アザを増やしてくる俺に対して、担任はおろか、同級生ですら声をかけてこなかった。


 そうだろうこんな面倒な奴に関わりたくないよな。


 でも、妹だけが救い、俺が生きている意味だった。

 妹は頭がよく成績も優秀、なんとか大学まで俺が行かせてやりたいと思っていたが、とうとうあの日が、来てしまった。


 バイトのシフト調整ミスで、その日の仕事がなくなったため帰って家事を片付けようと思いアパートのドアノブに手をかけたとき、聞こえてきてしまった。


 「おい、あの妹の件はどうなった?」

「ああ、知り合いのヤクザがそういうスナッフムービーだかを撮る奴を手配してくれるってよ。見た目はいいからかなりの額で売れるって話だぜ」


 「そりゃあいい、こういうの時のために手をあげないでやったんだ。あれが帰ってきたらうまいもん食わせるとか行って連れだしてやろうぜ」


 「んじゃあの兄貴はどうすんだよ。きっとつっかかってくるぞ」

「ああ、あいつか、めんどくせえな、3人いるからぶっ殺しちまうか」


 「え~? 死体の処理とかめんどくさくないか?」

「自殺ってことにすりゃいいだろ。ここは天下の神奈川県警様の管轄だろ? 不審死の一つや二つうまく処理してくれんだろ」


 「ちがいねえ、まあ妹も凌辱しながら体をバラされるんだからすぐに会えるさ」


 仲間が二人、買い出しやら女のところへ一時行くなどの動きあった後、妹の帰宅まで30分ほどの隙間ができたことを俺は好機と考えた。


 万が一の時のため、外の洗濯機の裏に隠しておいた包丁を引き抜くと、静かに部屋へ侵入する。


 奴はビールを飲んで酔っ払っており、不貞腐れたような姿勢でスマホをいじりつつ文句を垂れていた。


 妹を。

 あの元気でいつも俺のことを心配してくれた優しい真由。

 あの子だけは妹だけは、幸せにしてやるんだ。


 「レイジ、真由ちゃんのこと、お願いね」


 母の言葉に何度も響く。


 だから迷いはなかった。妹をレイプして殺し撮影するなど外道、鬼畜、悪魔の所業だ。これを防ぐためならば、俺はどうなってもいい。


 妹を守れるなら。


 何度もシュミレートした背後からの急所への一撃。

 あまりにもイメージ通りにいったことで、逆に焦りが生れたほどだった。


「あ? ああああああ!? ああ、いででえええええええええ! があああああああ!」


 背後から、重要な動脈を断つ一撃に、瀬島は最初は誰に刺されたのかも分からないほどに叫び、苦痛でのたうち回っていたが、10秒も経たないうちに動きが緩慢となり口から血を吐いて仰向けに倒れたまま動かなくなっていく。


 「で、でめえええ、ぐぞがああ ごっは」


  瀬島が動かなくなるまで、俺はただ睨みつけながら立っていた。

 血の滴る包丁を手に。


 奴がこと切れて安堵したとき、俺は背後の気配に振り返るとそこには連れの男がポケットから折り畳みナイフを取り出しながら迫ってきていた。


 瀬島に気を取られすぎて気付かなかった!? 

 その時にはもうなんとか身をくねらせて避けようとしたつもりだったが、左の二の腕に深々と刺さりその痛みに思わず呻きの声が出る。


 「てめえええええええ! なにしんてだごらああああ!」

 後で思い返せば、こうやって威嚇してくれたおかげで大きな隙ができたのだろう。


 俺は持った包丁をそいつの喉元へ突き刺した。

 その感触手応えから包丁から手を離し、思わず床へ転がる。


 「ごっごはっごぼごぼっ」


 喉を押さえて、溢れる血を押さえようとするも、運よく頸動脈を傷付けることができたのか噴水のように吹き出す血が部屋を赤く染め上げていく。


 十数秒、じたばたした連れだった男は、瀬島に覆いかぶさるようにして息絶えた。


 だが俺も左手の出血がひどく、感覚がなくなってきている。


 も、もう一人、そうだもう一人いるんだ。奴をやらないと…… もう一人は田中といったはず。

 小太りで禿げあがっていて、さらに姑息で常に周囲の顔色をうかがっているような奴。

 俺は左手を止血し、帰ってくるであろう田中の気配を探った。

 

 今度はミスしない、真由を守るためならばどんな罪だって背負う。

 

 荒い息を吐きながら俺が待っていると、奴は鼻歌を唄いながら帰ってきた。

 「おーい、レイプ撮影の機材が揃ったって連絡きたぞ~」


 その発言が俺の感情を爆発させた。「うあああああああああああ!」


 ドアを開けた直後に奴の腹部へ包丁を突きたてた。

 「ぎゃあああああああああ! い、いでええええええええ!」


 勢い余って玄関で揉みあいになってしまう。

 田中は「クソがアアアアアア! いでえええええ!」と叫びつつも、まだじたばたと暴れている。


 しまった。怒りで急所を外してしまったのか。


 ここで瀬島が俺をボコすときに使っている金属バットが壁にかけてあるのが見える。

 これで!

 そう判断したのが良かったのか、それとも愚行だったのか。


 たしかに俺は田中の頭部を変形するほどに打ちのめし、殺害することに成功した。


 だが俺もまた痛みで叫び声をあげてしまった。

 田中が苦し紛れに振り回した左手に握られていたペンが、俺の右目に突き刺さっていた。

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