第12話 香風亭

昼休みが終わり、女生徒たちはギョッとすることになった。


・・・四時限目の授業のあと、涙ぐんでいる花岳寺清美を連れて羅城門三日月が教室を出て行ったと思えば、今度はその二人が仲良く腕を組んで教室へ帰ってきたのだ。

それも、花岳寺の方が羅城門の腕にしがみつくように。

二人は頭を寄せ、めっちゃ仲良さそうに帰って来た。

クラスメートたちは、清美の表情がパァッと明るくなっていることに驚いた。

ほぼ無表情だった昨日までの清美とは、まるで別人かと見間違えるほどに輝く笑顔を三日月に向けている。

いつも見にくそうに眉根を寄せていた両眼からは暗い影が綺麗サッパリ消え去って、キラキラとした光を瞳が放っている。

ウフフ、ウフフと微笑み合いながら、

「キュッポーン」

「みーちゃーん」

などと甘い声で呼び合っているのも、鳥肌物の奇妙さだ。

一体なにがあったのかはクラスメートたちは知るよしもないが、頬を赤らめ、清美が三日月を見る眼はまさに憧れに満ちた恋する乙女のものだった・・・


授業が再開した。

5時限目も6時限目の授業も清美は積極的に発言した。

その明るい表情もさることながら、いつもと違う彼女のハキハキとした受け答えに教師も驚いていた。


そして放課後・・・清美にもうひとつ良い事が起きた。

今まで話したことなんてなかった数人のクラスメートが話しかけてきたのだ。

朝のホームルームで三日月が放った批判の矢に当てられて、痛みを感じたらしい。

いままで清美一人に面倒な仕事を押し付けてしまっていたことを謝罪し、これからは積極的に手伝うことを約束してくれた。

清美は感激して、泣いてしまった。

その様子を三日月は嬉しそうに眺めていた。


泣いたり笑ったり忙しかった清美の一日も終わろうととしていた。

そして三日月と清美が、仲良く連れ立って下校しようと教室を出た時だった。

校内放送が流れた。


ピンポンパンポーーーン・・・

「2年生の羅城門三日月さん、いらっしゃいましたら香風亭こうふうていまでお越し下さい。生徒会長の藤原院京子さんがお待ちです・・繰り返します。2年生の羅城門三日月さん、香風亭までお越し下さい・・・」


三日月と清美は眼を合わせた。

「香風亭・・・ってどこだっけ、キュッポン? 」

「えっとですね、校舎の東側の林の中に平屋建ての別館があるんですよ。そこに生徒会長の京子さんが・・えっと、昨日の・・風紀委員長の藤原院都子さんのお姉様がお住まいになっていらっしゃってて・・」

「え・・学校内に住んでるの? 」

「はい。一緒に参りましょうか、ご案内しますよ」

「ありがとう、助かるよキュッポン! 」

「どういたしまして、みーちゃん! 」

そう言うと、また清美の方から三日月の腕を取り、二人で階段を降りていった。

(いきなり藤原院京子か・・ワル目立ちが過ぎたかな。そりゃあ妹の方から話は出るよね。まぁ、いいけどさ)

三日月は、ふふんと不敵に鼻を鳴らした。


太陽が傾きかけている。

校舎の東の林を抜けると、小さな池があった。

柳が植えられた池のほとりに、イギリス風の木造のコテージがたたずんでいる。

香風亭と名付けられた建物である。

建材の黒木が乾き、建物全体がびた薄い白色に覆われている。

リフォームしてあると清美から聞いているが、スレートの屋根も、玄関のドアも建築当時のままに見える。

ガラス窓の木枠もそのまま使われており、所有者の愛着が感じられるようだ。

このような古びた洋風建築は、いまでも軽井沢の別荘群に見られる。

設計者はおそらく西洋人であろうか。

当時の藤原院家の家主は、風光明媚なこの地の丘の上にセンスの良い建物を残した。

今でも子孫の京子がその余慶にあずかり、ここで寝食している。


ちなみに校舎内には通常の生徒会室もあり、各委員たちを集めての通常の会議などはそこで行われているが、こちらの香風亭はいわば第二の生徒会室と言ってよく、生徒会長の藤原院京子が個人的に話しをしたい時にその一室が開かれる。


池にはモネが睡蓮のキャンバスに描いたような小さな太鼓橋がかけられていた。

洒落しゃれている。

二人は橋を渡ると、香風亭の二段の木製の階段をのぼりデッキに上がった。

清美が玄関のチャイムを押した。

「こんにちは。花岳寺清美です。羅城門三日月さんをお連れいたしました。よろしくお願いいたします」

清美は少し緊張している様子だ。

すると、玄関扉の内側から声がした。

「あら、清美さんも一緒なのね。待って下さいまし。今お迎えいたしますね」

すると、キュイッキュイッと玄関の内鍵を開ける音が聞こえ、扉が外側に開いた。

扉を開けたのは、亭主の藤原院京子だった。

清美の横にいた三日月と真正面から対面する形になった。

「あ、京子さ・・いえ、生徒会長。こちらが羅城門三日月さんです」

清美が三日月を紹介すると、三日月も続いて慇懃いんぎんに挨拶をした。

「初めまして。羅城門三日月と申します。昨日北海道から転入いたしました。以後よろしくお願い申し上げます。本日はお招き頂きまして、光栄に存じます」


ほ・・・

京子は驚いた。しっかりとした生徒ではないか。

なにがあったのか言わないが、都子があまりに悪しざまに害虫の如く言いつのるものだから、どんな不躾ぶしつけな者が来るのかと、ある意味楽しみにしていたのだが・・・


それがどっこい驚くほどの美少女である。

風になびく長い髪はキラキラと光の粒を纏っている。

そして何よりも彼女の美しい涼やかな眼にきつけられた。

そのため、京子の挨拶が2テンポほど遅れた。

「こちらこそ、ご挨拶を差し上げます。羅城門さん、当学院へようこそ。私は藤原院京子と申します。生徒会長を務めさせて頂いております。以後よろしくお願い申し上げます」

京子も丁重に頭を下げた。

三日月はニヤけて思った。


あああ、いいなぁ・・・さすがは藤原院家のお嬢様ね。

頭も良さそうだし、なによりも美少女だよなぁ・・・

胸はキュッポンほどではないにしても、張りが良さそうだし・・

足もスラッと伸びて綺麗だし・・スポーツでもやっていたのかなァ・・ぬふふ・・


三日月は京子の体を舐めるように観察すると、鼻を膨らませてピスピスッと鳴らした。美少女を見た時のいつもの悪い生理現象が出た。


「あ・・そっか、清美さんは学級委員でいらっしゃるから、羅城門さんをご案内下さったんですのね。放課後までわずらわせてしまって申し訳ないわ」

「私も学級委員になったんですけど、不案内なもので。私たちもう仲良しですから甘えちゃいました」

三日月が、清美の指に自分の指を絡めて笑う。

清美も嬉しそうに指を絡めるのを、京子はちらりと見た。

「昨日転入していらっしゃったばかりで、お二人はもう仲良しなんですの? 」

京子が紅潮している清美の表情を見て訊ねた。

こんなに血色良く見えるのは初めてだったのだ。

それが照れているばかりではないように感じるのは気のせいか?

「私たち、もうあだ名で呼び合ってます。私がみーちゃんで、花岳寺さんがキュッポンです」

「うふふ、なんですのそれ」

思わず笑ってしまった京子。

「さ、お上がりになってくださいな。清美さんもご一緒して頂けますわよね。ささ、こちらへどうぞ」

京子が促すと、「失礼いたします」と頭を下げてから三日月と清美が玄関に入った。

玄関では靴を脱いで、黒い板の廊下へ上がってスリッパで奥へ進む。


この建物は外見はイギリス風のコテージだが、内部の構造は和風であった。

建築は昭和初期のものと思われる。

洋邸に伝統的な和風テイストを折衷させたスタイルは、この時期の上流階級に流行した。いまも田園調布の高級住宅地にこのスタイルの旧邸が残っている。

玄関からの廊下を右に折れると、ふすまがあった。

その部屋は、廊下より一段・・15cmほど高くに襖の入口があった。

部屋の床面も同じだろう。なにか特別な部屋だろうか。

「さ、お入りになって」

京子がその襖を開けて入室をうながす。

三日月と清美が中をのぞいた。

「あっ・・」

清美が緊張した声を出して、少し身をこわばらせた。

部屋は茶室であった。

簡素だが、土壁のひなびた藁色わらいろが郷愁を漂わせている。

大部分の日本人の心に溶け込む色合いだろう。

三日月が感心したような声を上げた。

「なんて素敵なお茶室ですこと・・! お邪魔してもよろしいかしら」

「はい、どうぞお席へ」

京子が屈託なく微笑んで入室を促す。

三日月は廊下にスリッパを脱ぎ、きちんとそれを一分いちぶの乱れなく整えた。

そして両脚を屈し、両手の指を畳に揃えて、スッと頭を下げて一礼した。

「失礼いたします」

気持ちの良い所作だった。

無論、清美も三日月と同じように膝を屈して一礼して入室した。


部屋は四畳半の茶室になっていた。

部屋の中心に小さな囲炉裏いろりしつらえてあった。

囲炉裏にはすでに炭火が点じてあり、かなえには大きめの茶釜が載せてある。用意は整っているようだ。

そして亭主側の隅には、京子の妹・都子が正座して三日月と清美を迎えた。

三日月たちは亭主席とは囲炉裏を挟んで反対側の客席にならんで正座した。

清美は入口近く、三日月が奥である。

都子の視線が、三日月たちの視線と交差した。

「清美がなんで羅城門と一緒なのよ?」

「私たち、付き合うことになったので」

あけすけに三日月が言うと、真っ赤になった清美が口をアワアワさせた。

「つ・・付き合うとかそんなんじゃ・・お・・女の子同士なんだしもごもご・・」

声が小さくなっていく。

「・・・妙なことしてるんじゃないでしょうね?」

都子がじとーーーー・・とした目で不審そうに二人を見る。

「そう言えば、今日は風紀委員長さんが亭主を務めて下さるのかしら? 」

三日月が都子に話を振る。

「いいえ、亭主は姉さ・・生徒会長よ。いま奥で用意しているから待ってなさいな。私はいわば助手を兼ねてここにいるの。あなたにきたい事もあってね。それより正座は大丈夫かしら。痛いなら座布団を持ってくるけど」

都子の口調はトゲがある。

「いいえ、大丈夫よ。それより左肩の調子はいかがかしら。朝ぐらいに、なにか変化はなかったかしら? 」

「・・・・!!? 」

都子は驚いて声を呑んだ。

三日月の口の端がニヤリと歪んでいる。


・・やはり、昨日の体育倉庫でのマッサージで左肩が治ったの・・・?

ううん、そんなことあるわけないわ。あれは、夢よ。

羅城門は私をからかって喜んでるだけよ・・・


眉根を寄せて、なにやら考え込んでしまった都子。

それとは対照的なしたり顔の三日月。

「本当は毎日するといいんだけどねぇ」

「するって、なにをよ」

「ふふふ、分かっているくせに」

そう言うと、三日月は両手の指先をマッサージでしたように、グニグニと動かした。

それを見て、カッと頬が赤くなる都子。思わず目をらした。

その様子を見て、三日月は思った。


・・・あの恥ずかしがりようから察するに、まだ昨日のことはお姉さんには話してないみたいね。とすると、私が呼ばれた理由はなんなのかしら。

まぁ・・だいたい察しは付くけれどね・・・この茶会もこのコの提案かな。


三日月の観察眼は冴えていた。

彼女の推理の如く、この茶会は都子の発案によるものだった。

アバズレ女の羅城門など、おそらく茶の作法なんて知らないだろう・・

恥をかかせて笑ってやろう・・という都子の下卑な作戦だった。

にもかかわらず、三日月がしずまるように落ち着いているのは都子には意外であった。


都子は目をらしたままだった。

逸らした先に、清美の顔が見えた。

都子は、清美の眼鏡に違和感を覚えた。

「あれ、清美っていくつも眼鏡持ってたんだっけ? 」

「え? 」

「いつもかけてるのとは、なんか違ってると思ってさ。新しいの買ったんだ?」

いま清美がかけているのは昨夜三日月が買ってプレゼントしたもので、度の入っていない伊達眼鏡である。

清美のいつもの眼鏡は特注品だったので、よく似ているとはいえ、三日月の選んだものはほんの少しの違いがあるのである。

その違いに気がついた都子は、さすがに幼なじみだ。

あるいは、風紀委員長を務められるだけの鋭い観察眼とも言える。

すると、清美が頬を赤らめて言った。

「それは・・みーちゃんが・・」

「みーちゃん? 」

「私、眼が治ったんですよ! 昨日、みーちゃんに・・羅城門さんにいっぱいいっぱいマッサージをしてもらって・・・そしたら、今日のお昼前の授業中に・・突然、眼が普通に見えるようになって・・もう眼鏡はしなくてもいいんですよっ!! これは度の入っていない伊達眼鏡で・・みーちゃんがプレゼントしてくれて・・眼鏡が世界一似合うから、このままかけていて欲しいって言ってくれて・・私・・本当に嬉しくて・・嬉しくて・・ううっ・・うううっ・・」

清美が泣き始めてしまった。

よしよし、と三日月が頭を撫でてやる。

「ないわ・・あのひどい近眼が一日で治るなんてありえないわよ!? 」

都子は信じようとしない。

ならば、と清美は伊達眼鏡を外して都子に渡した。

都子はその眼鏡を自分の目の高さまで持っていくと、レンズに眼を近づけて確認する。

・・・たしかに、度は入っていないようだ。

「本当なんです。裸眼でも都子さんの顔がよく見えます。なんならその掛け軸の文字だって・・両人対酌りょうにんたいしゃくすれば、山花開く・・一杯一杯また一杯・・あ、それ李白りはくの詩ですね」

「ホ・・・ホントに・・・見えてるんだ・・」

「はいっ、みーちゃんのおかげなんです! 」

茶室であることも忘れたかのように、清美は三日月の腕にしがみつく。

本当に幸せそうな笑顔をしている。

都子は、いつも暗い表情をしている清美しか知らない。

「そ・・そっか・・よかったわね」

都子は、とても嬉しい反面どんな顔をすればいいのかわからなかった。

「はいっ、ありがとうございます! 」

清美の声も弾んでいる。

都子は、なにかキツネにでもかされているんじゃないかと戸惑った。


「失礼いたします」

奥から京子の声がすると、亭主席横の襖が静かに開いた。

セーラー服から和服に着替えた京子が、正座し床に手を付いて一礼している。

頭を上げると、そのままスッと茶室に入った。

そして今度は三日月と清美に向かって、同じように膝を据えて一礼した。

「本日亭主を務めさせて頂きます。藤原院京子です。粗忽そこつ点前てまえを披露しますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

そして、また一礼。

「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」

三日月と清美も畳に手を付いてうやうやしく一礼した。

京子が亭主の座に着いた。


・・・・・

外から、池のほとりの林のウグイスの鳴き声が聞こえてくる。

それ以外に何も響かない静かな茶室の空間。

たまに、池を渡る風の音がする。

会話も、ない。

チン・・チン・・コポコポ・・・

小さくて高い金属音が、囲炉裏からゆっくりと鳴る。

お湯が沸いたよ、と茶釜の蓋がしらせている。

すると京子は、横に置いておいた持ち込んだ木箱を手前に置いた。

(あっ・・!)

都子はその木箱を見て、声を上げそうになった。

箱書きの文字に見覚えがあった。

たしかなら、京子が最も大切にしている最高級の茶碗が中に入っているはずだった。

京子は蝶結びの平らな箱紐はこひもを外して木蓋を開けると、中から美しい錦織にしきおり布袋ぬのぶくろを取り出した。

そして袋の中から姿を現したのは、白い大振りの茶碗だった。

「ほぉ・・・」

それを一目見た三日月が、感嘆の息を漏らした。

そして言わずにはいられなかった。


「見事な鬼萩おにはぎ! その豪壮な作り・・・十一代目と見ました。さすがは藤原院家・・ただただお見事です」


藤原院京子のまぶたが、ぴくりと動いた。








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