第53話 裏帳簿

 翌日、丘頭警部から、對田社長が帳簿について話がしたいと言ってきたと、一心に電話が入った。

丘頭警部に迎えに来てもらって一緒に對田建設に向かう。

年末も近いこの季節は空気が乾燥し唇もかさつく、一心がリップクリームをポケットから取り出して塗る。

「あらぁ、一心って意外なところで気を使うのねぇ」

「静が五月蠅くってね……」

「あ~そ」丘頭警部がにたりと微笑む。

道すがらあちこちにクリスマスの飾りが目立つ。

「警部、もうクリスマスが近いんだなぁ」

仕事に追われまったく意識していなかったし、ここ数年は子供も成人し特に何もしないので気にもかけていなかった。

「そうねぇ、私ら全然関係ないけどね……」

そういう丘頭警部の横顔が少し寂しそうに見えた。

 ――警部は独身だからなぁ……暇なら家に呼ぶんだけど、今年も無理そうだ……

 

 応接室で待っていると社長が相当量の書類を二人の秘書に持たせて姿を現した。

「ご足労頂いて恐縮です」

社長は先日とは違って腰が低い。

「実は、誘拐犯に渡した帳簿はわたしの手元に戻っております」

社長は忸怩とした思いを言葉の端々に覗かせて書類の山を指し示す。

「三千万円は被害者の身代金とこの帳簿の受取代金でした。嘘を言ってました。申しわけありません」

社長は深々と頭を下げた。

「どうして話そうと思ったのかしら?」

丘頭警部が問う。

「帳簿の中を石塚経理部長に調べさせましたところ、間違いなく不正に決算が行われていて一昨年度でおよそ五億円の未計上が認められました。

それを専務の息子さんの正二郎さんに見つかってしまって、告発するとまで言われました。

それで事情を話して、金額を確定し修正申告をするつもりだと言って納得して貰ったんです。

代わりに正二郎君にはそれがきちんと行われているのか見守っていて欲しいと言いました。

 来週には所轄税務署へ行く予定ですので、……それでお願いなんですが、我社の不始末を公表しないで頂けないでしょうか?」

對田社長は苦しそうな表情で深々と頭を下げた。

「ははは、社長さんがそうすると言うのであれば待ちましょう。私どもの告発準備はあと一週間は掛かりますので、その前に修正申告されたのであれば手出しは出来なくなりますから……」

その答えを聞いた對田社長は涙を潤ませ頭を何度も下げた。

「ところで、常務が横領したお金についてはどうするおつもりですか?」

再び丘頭警部が問う。

「それは同時に告発して返還を請求します。ただ、相続人に話をしていますので、返還の意志を確認出来たら告発はせずに様子をみます」

「そうですか。警察の協力はいらないですか?」

「はい、いまのところ……万一、相続人が返還を拒否するようなことがあればお願いするかもしれません」

「社長さん、それともう一点、帳簿の日付は一昨年度までのものなんですが昨年度と今年度はどうなってるんでしょうか?」

一心も疑問に思っていたことを丘頭警部が訊いてくれた。

「えぇ、私も気になって調べたんですが、ディスクロした財務表は過去から今年度まで時系列的に辻褄があってるので裏帳簿は間違いなくあると思われますが、残念ながらわたしのところには届いていません。かといってそれを今から作るのは不可能に近い……その辺もそのまま正直に国税に伝えることにして、同時に裏帳簿を探したいと思っています」

「ん~、それで国税が良いというとは思えませんがね。私は命じる立場ではないので強制はできませんが、難しくても正しい帳簿を作る必要があると思いますよ。すぐには出せないとしても期限を切って国税に説明しないと査察に入られて面倒なことになるんじゃないかな……そんな気がします」

腕組みをして少し考えてから丘頭警部がそう言った。

「はぁ、……ちょっと時間を貰ってその線で動きますわ」

對田社長は難問を押し付けられたとでも言わんばかりに眉間に刻まれた皺を一層深くして少し俯き加減に同意した。

「その方が良いと俺も思うなぁ」一心も口を出せる立場ではないが警部の意見に賛成した。

 

「社長さん、もう一点、贈収賄についてはどうお考えで?」

一心はもう一つの疑問に話を向けた。

「写真を見ました。あれじゃぁ言訳できませんな……専務には責任取って貰いますよ。その後組織的な問題点の改善策を講じてからわたし自身の処分をします。ただ、トップスリーがいきなり抜けると会社が危ういから、非常勤の役員としてわたしは残ろうかと今の所考えてはいますがね……」

専務の所業に対しては厳しい眼差しをし口を一文字に結んで固い決意を表している。

「そうですか」

一心にはそれ以上言う言葉が無かった。

「そっちも捜査は始めていて、専務にも別途事情を訊きたいと考えています。ただ、写真には某国会議員も写っていることもあって検察庁の特捜部が捜査に当たるかもしれません。そうなれば私たちより厳しい捜査になると思いますよ」

と、丘頭警部が付け足した。

 

 

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