Scheat

朝霧逸希

慈愛のこもった真心

2015/ 6/22 15:34

From:明菜あきな

To:佑友ゆうと

[件名]貴方へ

 貴方が私にギターを弾いてくれたのを今でも覚えてるよ。そう簡単に忘れるわけがないし、忘れられる訳がないいい思い出。コードをアンプに繋ぐあの感覚が好きだったから私もギターを始めたの。まったく、貴方に振り回されていたよね。笑っちゃう。

 左手で車のハンドルを握り、右手で煙草に火をつける、その姿を目を瞑ると直ぐに、目の前に貴方がいるみたいで、あのとき貴方が吸っていた煙草の匂いを今でも覚えてる。

 貴方が車の中でかけていた音楽は、自分は別に好きでもなかったくせに私に合わせてくれたっけな。実は私もそんなに好きじゃなかったんだけどね。

 ちゃんと、貴方は私のことが好きだったんだね。煙草を吸いたいといった私に、やめるように言ってくれたのも。ダサいから、似合わないからって言っていたけど貴方は結局私を心配してくれていたんだよね。本当はロックよりも恋愛ソングのほうが好きだったくせに強がってロックなんて聞いちゃって。アコースティックギターの音色のほうが貴方の好みだったのにエレキギター、それも十五万円もするような高いギターを買ってたっけ。

 私には何が好きで自分を偽っているのか分からなかったし、結構な値段したから喧嘩したよね。でも、あれは完全に貴方が悪いと思うんだよね。いや、本当に。

 あなたはいつまで経っても『そういうの』が下手だったね。私が下手だって言ったら負けず嫌いなあなたはめちゃくちゃに調べていた。正直私は冗談のつもりで言ったんだよ?でも果てたことは殆どなかったかな。色々試してくれるようになってからは本当に嬉しかった。

 残念だったこともあるけど楽しい思い出もいっぱいあるよ?

 初めてまともなデートをしてくれたときは普通のカップルみたいで良かったな。ファミレスで背伸びしてブラックコーヒーを飲んでいるのは、格好いいっていうか意識しちゃっているのが可愛かったよ。

 私が少しでも露出の多い服装をしたときはバレバレなのに隠しながらいやらしい目で見ていたっけ。いつまで経っても童貞みたいなのはしたないよ?まあ、アタシはそんな貴方が好きだったんだけどさ。

 もし私が死にそうになったら、薔薇の花をもってきてね?薔薇の花に囲まれて死にたいから。

 死んだときはさ、お墓なんて菊の花ばかりで味気なくて可愛くないじゃん?絶対赤い薔薇がいい。厨二病なのは構わないけれど彼岸花なんて供えやがったらぶん殴りに行くから。貴方が死んだときには覚悟していてよね。

 私がピアスを開けたとき、貴方も開けるんだって言ったけれど結局できなかったね。まあ、小心者で甲斐性なしの貴方に出来るだなんて一ミリも思っていなかったけど。それでもちょっとは嬉しかったんだよ?私に少しでも近付こうとしてくれたの、私はちゃんと気付いてた。

 何時も、私は貴方のことをからかっていたけれど、年下なのに頑張って背伸びしちゃってる貴方が可愛かったから、どうしても悪戯したくなるの。私はずっと、貴方のことが好きだよ。今までも、これからも、ずっと。



───────────

END

 



 妻からの最期のメールは俺に届いたけれど、別れの言葉を言うことは叶わなかった。肺癌を患った妻は最後の最後まで僕に寄り添ってくれていた。俺は、彼女になにかできたのだろうか、毎日、自問自答を繰り返している。娘が生まれて三ヶ月も経たないうちに肺癌、骨肉腫が発覚した。

ゆきがいるから、この先もお金はかかるし。私なんかよりこの子のために取っておかないとね」

 妻は治療を拒否した。娘のためにと治療を拒否した。どこまでも、そこはかとなく優しい人だった。奇跡的というべきか、癌が発覚してから五年ほど彼女に意識があったけれど、最期の一ヶ月半は寝たきりだった。

 十月中旬、金木犀が香り始めた季節、彼女が好きな香りに包まれながら彼女は息を引き取った。棺にはメールもとい遺書の通りに、棺を薔薇の花で満たし、焼いた。

俺の誕生日の、ちょうど一ヶ月前だ。


 暫くは酷いものだった。娘を母に預けて毎日酒に溺れる日々。父としての意識なんてあの日、棺と一緒に焼いてしまったのか、なんて考える事がある。思考する度に心臓を突き刺す痛みは確かに自分の胸に残っている。

 口腔内に煙を溜めて、肺に煙をぶち込む。

 喉への刺激と、ヤニクラ。

 食事するよりも多く、深く行ったのが喫煙だった。煙草を吸っていると、冷静になって自分を俯瞰出来たから、毎日続けていられた。

「ごめんな、雪。俺がこんなじゃ、駄目だよなあ、本当に、ごめんな。」

 雪は、娘は自分の両親に預けている。こんな上辺だけの言葉ですら娘に届く事はないけれど、ただ一人で煙に巻かれながらぽつりと呟く。

 今まで一度だって、聞かせたことは無い。そして、これからも。俺は俺を隠して生きていく。明菜に言われた。

「私の前では素の貴方が見たい」

 俺は、自分を隠した。

 厨二病で、酒が好きで、煙草も吸う。

 そんな自分を本当の自分であると自分すら錯覚するくらいに自分が自分であることを拒否して生きてきた。

 彼女が死んで、葬儀等々が終わったあたりから酷い頭痛に苛まれるようになってきた。市販薬の乱用のせいもあったのだろう。身体が重くだるい。

 行き場無いこの感情は湧き上がることに終りが見えない。何をすべきかなんてわからない。今の俺の姿を雪が見たらどうなるだろう。

 明日は雪の誕生日だ。何かしらを買って、また、雪の前では父親を演じよう。

“本物”の父親になれる日はいつやってくるのだろうか。

 雪に、“お父さん”と抵抗無く呼ばれる事は出来るのだろうか。

 明菜が居ない世界で生きていけるのだろうか。

 テーブルの上に置いてある煙草に手を伸ばし、安物のライターで火をつける。






 私が五歳の時にお母さんは死んで、そこからお父さんは変わってしまった。今はおばあちゃんと住んでいて、お父さんは一ヶ月に二、三回会うくらい。残念だけど、もっとお父さんに会いたいけれど、お父さんは仕事で忙しいらしい。

 お父さんは私と会うときいつも心がここにないみたいで、でも、優しい。たばこの匂いが少しするけれど、そんなところも私のお父さんって感じがして好きだ。

 成績は中の上、運動能力は上の中、人間関係良好。私の、お父さんへの口癖だ。お父さんは運動ができなかったから、そこはお母さん似だな、って言ってくれると、あんまり覚えていないお母さんに会えたような気分になるから、その言葉が好き。

 お父さんの事は嫌いじゃない。むしろ、私はおばあちゃんよりも好きで、好きなのに会えない。お父さんの仕事が落ち着いたら一緒に暮らしたいのだけれど、なんだか怖くてその事が言えない。明日は私の誕生日だから、お父さんもおばあちゃんの家に来て、みんなでパーティをするからそこで話をしよう。

 金木犀の香りが心地好い。鼻からすっと入り込んで、花の香りを残して抜ける。


「明日、楽しみだな」


 ぽつりと呟いた言葉に友達が反応した。


「何が楽しみなの?」


「明日は私の誕生日だから、久しぶりに父さんに会えるんだ」


「そうなの!?なんで今の今まで教えてくれなかったのー!?」


「え?何を?」


「た・ん・じょ・う・び!」


「だって、聞かれなかったから…」


「今からお店行こ!プレゼント買ったげる!」


「え、いいよ。私、朝日あさひの誕生日に何も買ってあげられてないじゃん」


「そんなことはいいの!雪が誕生日ならお祝いするの!それに、雪も私にお菓子とか買ってくれたじゃん!それのお返しだよー!!」


「まあ…そう言ってくれるなら」


「そしたら、れっつごー!!」

 私よりも浮かれている朝日を見ると顔が緩んでしまう。本当に明日が楽しみになってきた。お父さんは、私が一緒に住みたいと話しても私のことを嫌わないでくれるかな。






 車を走らせて三十分ほどで自宅から俺の実家に着く。若干、明菜の実家寄りの場所に家を借りているが、大した差ではない。

明菜と選んだ黒のオートマ車。オートマ限定免許しか持っていなかった明菜でも乗れる車を、と選んだ思い出だ。

車の中には麻の葉を模した芳香剤が3つほど掛かっていて、それも煙草の匂いを誤魔化すため。香りは明菜が一番好きだと言っていた香りで、俺の一番のお気に入りだった。だが、明菜が選んだにしては珍しいチョイスで、明菜の好みにはずれている気がした。俺は昔からこの香りの芳香剤を使っていたが、明菜はそのことを知らなかった頃の話だ。

煙草に依存し始めた自覚があるのは明菜が死んでしまった後で、明菜が死ぬ前迄はすぐに辞められるものであると考えていたが、今になって思い返してみれば明菜が診断を受けてから若干ではあるが着実に、少しずつ本数が増えていった気がする。今では一日二箱前後ではあるが、前は一日に一箱吸うか吸わないか。十五〜二十本程度だった為、やはり俺の体は行場を無くしたなにかの矛先を煙草に向けている。行き場のない愛か、はたまた他への嫉妬か、恨みか、哀しみか。定かではないこのなにかの感情をどこにぶつけることが許されるのか。それとも発散する事自体が許されざることなのか。最愛のひとを失った俺に遺されたのは妻の遺品と一人の娘。俺はちゃんと雪を愛せているのだろうか。不器用だとか、そういったことは言い訳でしか無い。愛せているか、否か。その二択の答えが何よりも知りたい。きっと、雪は俺に一切の好感なんて抱いていないのだろうな。当たり前だ、何一つとして父らしいことはしていないし、雪に会いに行くこともなく明菜の墓に入り浸る。

仕事も、給料の殆どは使うこと無く、食事は母からの仕送り、電気ガス水道もほとんど使うことがない。使っているとしたら煙草代くらいか。

ふと通帳を見ると想像していたよりも遥かに巨額の貯金があった。雪のために使ってほしいと二人で貯めていたもので、俺は無意識のうちに、かつ忘れること無く振り込み続けていた。これなら、雪と二人で暮らしてみるのもアリかもしれないな。

自然と、口角が上がっているのがわかったと同時に、涙がこぼれ落ちてきた。明菜の写真を見ても明菜かどうかわからないほどに、眼の前がぼやけている。俺は雪のことをちゃんと愛せているのかもしれない、そう思えた。明日、いきなりではあるが少し話を出してみよう。明菜との娘なのだから、明菜がいなくなった以上俺が育てる他無いのだから。


否。俺が、育てたい。






「よく来たね、最近も忙しかったんだろう?」


母が俺に問いかけてきた。


「まあ、ぼちぼちだな。最近は落ち着いたから雪にもちゃんと会えるようになると思うよ」


実際それなりに仕事は忙しいが、大手と言えるレーベル会社に勤めているため金だけであればある程度は入ってくる。それこそ最近は煙草以外に金を使うこともないし、宝の持ち腐れだったが。


「あら、そう。だったらそろそろ雪ちゃんと暮らしたら?雪ちゃんもあなたのことが大好きなんだって毎日話してくれるのよ?」


その話が出ることは覚悟していた。当たり前だ、俺も雪と暮らそう、その考えを持ったがゆえに此処に来ているのだから。


「ああ、そのことなんだけど…」


「父さん!」


ちょうど帰ってきた雪が俺を目掛けて猛スピードで直進してくる。それを見た俺はなんだかいつもと雪の顔の見え方が大きく違う気がした。


「ぐえっ!」


雪の頭が鳩尾みぞおちに突き刺さり、嗚咽の混じったような声が出る。


「雪…元気なのはいい事だが、父上の鳩尾を仕留めに来るのは辞めようか……」


「父さん、久しぶり!」


にこやかに笑うその無邪気な、純粋な顔に腹部の痛みは癒されてしまう。


「あぁ、久しぶり」


手土産に買ってきた父母への酒、其れに合う肴を父母に手渡し、雪に連れられて取り敢えず父母宅へと入る。正直、雪に会うためとはいえ自ら進んで父母に会いたいわけではなく、寧ろ会わなくても良い状況を、環境を築き上げたいところではあるのだが、雪のことでも世話になっているし、そんな話切り出せるわけもない。無論、雪のことに関しては感謝してもしきれないと感じているが、は消え失せることもなく今も残っている。


「まぁ、なんだ。座れ」


親子だというのにこれでもかとぎこちない会話を父とする。こういった会話を父とする度に俺たちは本当に親子なのかと疑うほどに、ぎこちない。


「最近、仕事の調子はどうなんだ?」


「それなりだよ。ある程度大きい会社ってのもあって金にも困ってない。寧ろ物欲の類が殆どない俺は金が余るよ」


「そうか、仕事ばかりじゃなく、雪ちゃんの相手もしてやれよ」


父は俺に諭すようにそう言ったが、俺の考えに変わりはない。

家を出る前、車に乗っている最中、そして、雪に面と向かって会った後である今も俺の考えにゆらぎはなく、その考えを俺の両親、雪の前で始めて口にした。


「雪と、暮らそうと思う」


雪の顔が見れなかった。父らしいことを今の今までできていなかったのに何を今更。そう言われてしまう気がしたから。


「いいんじゃないか?」


父は俺の考えに賛同してくれた。昔から、父はどこか近寄り難いような厳格さが在ったが、真っ向から意見を受け止め、鼻からへし折るタイプの人間ではなかったし、結果的に俺の味方には父がついていた。


「今更、そういう事したって遅いでしょう」


母は常に否定的な人間で、俺のことを肯定したのは数えるほどしか無いだろう。思えば喧嘩の火種を作ったのは俺でも、その火種を大きな炎へと成長させる、いわば着火剤のような役割だったのが俺の母だった。俺が音楽関係の仕事に就きたいといったときですら変な偏見で物事を語り、大学三年の夏から今でもよく思われていない。


「母さんは黙ってろ、この話に必要なのはアンタの偏見にまみれた考えじゃなく、雪の意思だ」


少しばかり頭に血が上ってしまった。無意識下、眉間にシワが寄っているのが鏡を見なくても容易に理解できる。


「アンタねぇ!!」


焚きつけられた母が怒鳴りつける。その嫌に甲高い声を聞くたびにはらわたが煮えくり返り、血反吐を吐き出しそうになる。


「私、父さんと住めるの?」


頭のネジが幾らか吹き飛んだ大人を前にして雪が口を開いた。


「雪がそれでも構わないのであれば」


「私、父さんとずっと一緒に暮らしたいって思ってたよ。でも、父さんの仕事は忙しいし、迷惑にならない?」


身の丈にあっていない返答が来た、そう思ってしまった。俺がそうさせてしまったのだが、小学五年生の脳にしては妙に大人びている。最近の小学生というものは俺が生きた時代とは違ってを必要以上に嫌悪しているのだろうか。無論、多少背伸びするような奴はいたがここまで大人から見ても大人びていると感じる事は無かった筈だ。


「迷惑なんて、俺も雪と暮らしたいんだから迷惑になるわけ無いだろう?」


否。

俺の一言に安堵と高揚を顕にする。

こういった精神の成長は、やはり時間が掛かるようで、未だ子どもらしい所が残っている事に俺も何故か安堵した。


「じゃあ、一緒に部屋を見に行こう。雪の部屋もある、少し大きな部屋」


「うん!」


雪は目を輝かせ、大きく頷いた。




───────────


あの日から一ヶ月程して、幾度重なる雪との話し合いの末、現在は雪との暮らしを始める為に物件の内覧を進めていた。雪ももう小学五年生ということもあり、雪の部屋を確保する事にした。雪としては自分の部屋はいいとの事だったが、遠慮されていてはたまったもんじゃないし、自室も持たずだとなかなかプライベート空間の確保というものも難しいだろう。


「コチラの物件ですと、駅近ですし商店街も徒歩五分程度のところに…」


本日三件目で面倒臭くなったのか、胡散臭い眼鏡に七三男が長々と物件のプレゼンテーションを始めた。


「ここら辺の物件にしてはなかなか綺麗なんじゃないか?まぁ出来てから間も無いマンションだからこんなもんか…」


独り言を呟きながら一人、部屋を見ていた。


「綺麗だねー」


独り言を聞いていたのか、それに返答するように雪が答えた。


「ああ、この部屋、気に入ったか?」


「うん!おばあちゃんちはちょっと遠くなっちゃうけど私は好きだよ。見て、窓の外の景色、私ここ好き!」


何気ない町並み、どこでも見られるような風景。見覚えすらも感じるような日常の中に溶け込みすぎたと言えるほどの何の変哲もない景色だった。

明菜も同じような景色を好んでいた。何故かは分からないが、やはり雪は明菜の娘であるのだ、そう感じた。


「この部屋にします」


気付いたら俺はそう口にしていた。この景色が何故か雪との生活に色を付けてくれる気がしたからだろう。最愛の人は帰ってこないが、最愛の人との娘。

最愛の娘との最愛のひととき。

これからの生活は希望に満ちていると直感した。


人の一生とは残酷だ。それ故に愛しく、切なく、美しいのだ。俺の命は何時燃え尽き、果ててしまうのかは解らない。だが、俺はこの命の灯火が消え、煙が無くなる其の一瞬まで雪を護り続ける。

窓の景色を見ながら明菜の顔を思い浮かべ、雪の横顔を見つめながらにそう誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Scheat 朝霧逸希 @AsAgili_ItUkI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画