天童鏡と怪奇な物語

温井オンド

第1話 ひとりかくれんぼ

 今日も何一つ良いアイデアが思い浮かばない。来る日も来る日も机に向かって天からの思召しが来るのを私は待っているのだ。誰かが言っていたな、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」と。否、私はそうは思わぬ。才能は才能だ。生まれ持った生来の力だ。私は間違いなく才能がある。努力などせずとも必ず素晴らしいホラー小説を書くことができるのさ。


 天童鏡てんどうかがみは、無精髭をポリポリとかきながら、ベッド横の丸机前に胡座をかいてA4の真っ新な紙と睨めっこしていた。彼の髪は顎下ほどまで伸び、艶のないチリチリとした不衛生なものに見える。おまけに天然パーマのおかげで不自然にボリュームが出る。しかし、風呂に入らないわけではない。


 風が窓を叩き、無の空間を苛立てる。外吹く冷たい風が夏と冬の間の心地よさを告げるはずが、今日は慌ただしい。特にこれといった家具のない殺風景な部屋がより一層、孤独と焦燥を煽る。打って変わって部屋の住人は、外の風とそれによって顔色を変える部屋の空間に靡かれずただただ鎮座していた。


 天井の照明が机などの家具を影にした。その影が次第に形を変えて、髪の長い人間の形に変化した。まるで女性のような影がゆらゆらと怪しげに揺れる。


「またか」


 天童鏡はただその影の動きを観察した。しかし、輪郭が人間のようであるだけで、何をしているかは見当もつかなかった。もっと刺激的で悍ましいことは起きまいかと、悩ましげに口を強く結んだ。


 とうとう耐えかねて、スッと立ち上がると丸机の周りをぐるぐると回り始めた。歩幅短くタッタッと騒がしくした。何度も何度も真顔で周回して疲れたのかベッドに腰掛けた。ふとテレビ横にある横長のデジタル時計に目をやると、時刻はAM2:00を示していた。


「おお、草木も眠る丑満どき。」


 天童鏡は口と目を大きく開いてニンマリと笑みを浮かべた。


「そうだ、やってみよう。」


 天童鏡は絵に描いたように片手をグーにしてもう片方の手のひらで餅ついた。閃きを衝動のままに、また慌ただしく部屋の中を駆け回り必要な道具を丸机の上に広げた。用意されたものは、ウサギのぬいぐるみ、米、爪切り、針、赤い糸、包丁。ウサギのぬいぐるみは、作業服のオーバーオールを着て、笑う口元に血がついていた。天童鏡のお気に入りゲームのマスコットだ。


「おまえの名前は、お清だ。」


 天童鏡は迷いもせずウサギの人形を指さして名前を言った。そしてぬいぐるみの腹をハサミで切ってワタを全て出し、米と爪切りで切った自分の爪を入れた。この後、切った腹を赤い糸で縫い合わせるのだが、天童鏡は指先不器用でぽろぽろと固い米粒を溢しながらなんとか縫い合わせた。余った糸を首元に巻きつけて、蝶々結びをした。ぬいぐるみの脇腹を両手で持って顔より高いところへ持ってゆき、ぬいぐるみを凝視した。


「たのむぞお清。」


 デジタル時計はAM2:55。隠れ場所は押入れ。特に押入れに荷物は入っていない。この家に引っ越して二日目の夜だった。天童鏡は押入れを開いて、その虚無の空間をぼんやりと眺めた。



 天童鏡がこの家に引っ越した経緯は友人からの紹介であった。小説の内容に困っていた天童鏡に友人が「このに住んだら心霊現象を体験して良いアイデアが浮かぶんじゃね。」と紹介した。話を聞いた直後天童鏡はすぐに賃貸契約を結んだ。ひどく安い家賃であったから、天童鏡は後転倒立をして驚いた。


 大家は、何度も確認した。


「この部屋は曰くつきだよ。噂を聞いたことはあるかい?」


「あります、だから住むんです。」


「うーん、あまり煽ることはしたくないが、ニュースになるくらいの事件が起きたからね。前住んでた人は一週間もせずでていったし。それにこの部屋の隣に住む人も変わりもんでね。」


「寧ろ有難い。さあ、もうなにも言わず契約を結びましょうぞ。」


「私としては住んでくれる人がいるのは願ったり叶ったりなんだけどえねえ。」


 天童鏡がこの部屋に住み始めた初日と二日目の今まで、特に何も心霊現象が起こることはなかった。強いて言うなれば、幼少期から幾度となく目にしたという現象が生じるだけだ。期待に期待を募らせていただけに残念極まりないと丸机の前で胡座をかいていたのだ。そして三日目に当たる深夜の今、ひとりかくれんぼをすることにした。



 天童鏡はそんなこんなの出来事をぼんやりと押入れの闇を眺めて思い出していた。


 「そういえば。」


 と冷蔵庫を開いて、解読不可能な文字が書いてある御札のようなものを取り出した。昨日の夜、コンビニから帰宅してる途中に、すれ違った老婆にもらったものだった。達筆な文字と赤の紋章が記された御札をズボンのポケットに忍ばせて準備に戻った。



 時刻は午前三時を回った。天童鏡は丸机からぬいぐるみを持ち上げた。


「最初の鬼はお清だからな、最初の鬼はお清だからな、最初の鬼はお清だからな。」


 部屋の中、ただ同じ言葉を3回繰り返す声のみ聞こえる。浴室へと向かい、水を張った浴槽にぬいぐるみを入れた。部屋の電気を全て消して回る。家は完全に暗闇に包まれた。暗闇は天童鏡の歩く音を誇張した。床を踏みしめる音が一層強くなるようであった。奪われた視覚が回復してきたところで、丸机の前に座り目を瞑る。


「1、2、3、4…」


 と10数えた。包丁を手に取り、ギーギーと床が鳴るのを暗闇で鋭敏になった耳に聞かせながら、浴室へ向かった。浴室の扉を開き、


「お清見つけた。」


 と浴槽の中に沈む、仄かに輪郭が見えるぬいぐるみを指さして、淡々とした口調で言った。明かりは無いのではっきりと見えないが、ぬいぐるみの口元が笑っていたのが、元からなのかどうか定かではなかった。そして口元の血が滲んで浴槽の水に溶け、赤黒く染まっている気もした。


 天童鏡は心音が弾むのを感じた。浴槽の中から恐る恐るぬいぐるみを取り出した。ぬいぐるみの大きく開いた目はまるで真夜中の海のようで、今にも飲み込まれそうであった。ぬいぐるみの濡れた肌を感じながら暫くぼーっと見ていたら、その大きな目が瞬きをしたような気がしてつい、「おっ」と声を出した。我に返って、続きの行動に移った。


「さてさて心苦しいが…次はお清が鬼だからね」


 と言って手に持っていた包丁をぬいぐるみの腹を勢い良く刺した。そしてぬいぐるみを浴槽にいれてすぐに隠れ場所に決めた押入れの中に隠れた。


「さあ、何かおきろ。」


 天童鏡は小声で鼓舞するように言った。高まった鼓動と張り詰めた緊張感とは裏腹に、狭い押入れの居心地の悪さに顔を顰めた。丸く蹲った体勢で身じろぎしながら長い時間耐えることができそうな形は無いかと、横向きになったり手足を伸ばしたりした。勢い余って押入れの襖に体をぶつけた。襖の紙がダンっと鳴ってすぐにまた空気が静まり返った。天童鏡は痛みを感じて声をあげそうになるが我慢した。目を見開いて閑散とした雰囲気をごくりと生唾を飲んでじっとした。数秒たってぶつけた手首のあたりを確認した。ステンレスの腕時計が傷ついていないか気になったが、暗くてよく見えなかった。そのついでに時刻を確認した、時計の針はもうすぐ三時四十四分を指し示そうと秒針が12の位置を回った。


ジリリリリリン…


 突然、電話が部屋の中に鳴り響いた。


ジリリリリリン…


 電話は繰り返し鳴り響く。暗闇をつんざく高くて芯のある音で鳴る。


「おや、これはまさか。」


  天童鏡は心拍数が増加するのを強く感じた。そしてニヤリと笑った。


ジリリリリリン…


「しかし、これはなぜ。」


 考えるように首を傾げた。うーん、と鼻を鳴らしながら思い出す。この部屋には固定電話はない。そして二つ折りの携帯は世にも奇妙な物語のテーマソングで着メロを設定している。


ジリリリ、カチャッ…


ネエ、イマスグ、キテ、


 電話をとる軽い音が聞こえた後、か細く震えた女性の声が玄関を入って直ぐのキッチン部屋の方から聞こえた。天童鏡は、凍りついた空気に身震いした。一人暮らしであるし、引っ越してから誰も家に入れていない。全く身に覚えのない女性の声と固定電話(その音は黒電話の呼び出し音のような)の音。もしやこのボロアパートに盗人でも入ったかと一度考えたが、それにしても声とその内容が些か不気味であった。今この押入れからに出てはいけないと肌が逆立って教えていた。


ガチャン


 厚みのあるこの家の鉄製の玄関が開く音がした。家の鍵を閉めた記憶があるから、誰かが内側から鍵を開けなくては玄関が開くはずはない。家の中に誰かいる。


ネエ、ドウシテ、ナンデヨ、


 女性が啜り泣いて声を絞り出している。


ワタシノコト、スキッテ、ナンドモイッタノニ、モウ、ユルサナイ、


 一歩一歩床を殴るように歩く音がした。その後キッチンの方からシャキンと鋭い音が聞こえた。


シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、


 喉の詰まったような濁声で何度も唱えられた。またもバタバタと足音が聞こえた。不規則に床が鳴っていた。何かが壁をぶつかったり、複数人の足音が入り乱れていた。そして天童鏡のいる押入れがある居室にその音が近づいてきた。壁に思い切り体がぶつかる音と、女性の低い震えた声が襖越しに聞こえる。まるでこの壁の一枚奥で人間がもつれ合っているようであった。


ドン


 何かが床に激しくぶつかる音。恐らく何かが倒れたのだろうか。


ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ


 ザクっという鈍い音がするたびに「ユルサナイ」と聞こえる。


 しばらくして突然、空間に天童鏡だけが取り残されたかのように静けさが襲った。天童鏡は押入れの外の様子が気になって仕方がない。震える手でそっと襖を数センチほど開けて目を隙間に流し入れた。


 天童鏡はその光景に急いで口元を両手で押さえた。その時誤って手が襖に当たってしまった。目の前に見える光景に声を出してしまいそうになって咄嗟に口を押さえたにも関わらず音を立ててしまった。流石の彼も内心、「しまった」と思った。


ダレカ、ソコニ、イルノ、


 血走った目が襖を睨んだ。血が吹き出た人間らしき陰の上から女性が立ち上がって、ふらふらしながらこちら側に近寄ってくる。その足取りは異様にゆったりとしていた。片足に体重をかけてよろめきながら歩いてこちらへ向かってくる。女性の手には赤い鮮血がびっしりと染み付いた銀色の包丁が見える。


トン、トン、トン、トン


 この窮地を打開する策はないかと思索を巡らせているうちにゆっくりとこちらに向かってくる。天童鏡は体を襖の隙間の死界へと逃した。


トン、トン、


 足音が止んだ。天童鏡の目前にまた静けさが暗闇に戻った。押入れの中はまるで広い空間であるかのようであった。目の前のふすまなどなくただただ広い空間であるように。天童鏡は目を閉じて胎内の赤子のような姿勢で時間が過ぎるのを待った。一分ほど経った。どちらにせよずっとこの押入れに入っているわけにはいかない。あの女性がいないか確認しなくてはいけない。天童鏡は頭を少しずつづらして隙間の方へ動かした。目を閉じていたから闇しか見えなかった。だんだんと暗順応してゆく視覚に一つの希望をこめていた。もうすでの小説のネタにするには十分だ。次第に隙間の先が見え始めた。何か、薄茶色に澱んだものが見える。赤い色の管がいくつも貼り巡っていた。天童鏡はより接近した、すると黒い点が見えた。そしてすぐにそれが何か察した。血眼の中、黒目が機敏に、痙攣するように、蠢いていた。


「うわ」


 天童鏡は体をびくつかせて声をあげた。


ダレダ、アノオンナ、マダイキテタノカ、


 天童鏡は必死で襖を押さえた。オンナは恐ろしく強い力で開けようとする。震える指先に無理やり力をこめて抵抗した。


ガタン、


 襖が開いてしまった。あらわになったオンナはひどく痩せ細っていた。ニヤニヤとひくつかせた口角に、血がこびり付いていた。ワンピースは固まり始めた血が赤黒く変色していた。


 天童鏡は半分諦めていた。手と足を折りたたみ死んだ昆虫のような体勢になっていた。しかし、顔は満面の笑みを浮かべていた。


ソッカ、モウ、バラバラ、ダカラ、イキテルハズ、ナイヤ、


 オンナはしばらく押入れの中を目をカッと見開いてこちらを右往左往見ていた。そして先ほどの低い震えた声ではなく、最初の電話を出たばかりのか細い声でオンナは言った。そして襖をパタンと閉めた。


ワタシモ、イクカラ、



 オンナは人間だったものを引きずっていった。はーはーと深い息を吐きながら前進した。運んで、浴室へ向かった。空の浴槽にぴくりとも動かぬ物体を入れて、それに跨った。


アノオンナト、フタリキリニ、サセナイ、


 そう言って、オンナは包丁を自らの喉元突きつけた。両手を包丁の柄の底辺につけて躊躇う様子もなく刺し込んだ。黄色く変色した浴室の壁に、鮮やかな血が雨のように降った。



 天童鏡はしばらく放心状態であったが、気を取り直した。その間、彼は笑みを止めることは無かった。襖の隙間から見えていた見知らぬカーペットと横たわった人間らしきものはもうない。滞った空気は相変わらず冷たいままであったが、そっと胸を撫で下ろす。そろそろひとりかくれんぼを終えようと思い、押入れの中を手探りで探る。


「まずい、塩水をここに持ってくるのを忘れた。」


 ひとりかくれんぼを終わらせる際、塩水を口に含んでぬいぐるみの元に行かなくてはいけない。


たーたーた、たーーたたー


 携帯のアラームが鳴った。毎朝5時に鳴るようにアラームをかけていた。


「もうそんな時間か。ん、これまたまずい。」


 次の瞬間、


ダンダンダンダンダンダンダン


 玄関の方から激しい音がした。


ユルサナイ、ワタシヲ、オイダスナンテ、ユルサナイ、


 金切り声のように甲高い、およそ人間とはいえぬオンナの咽び、泣き叫び声が聞こえてきた。


ダンダンダンダン


 玄関を叩く音と女の喚き声が絶え間なく聞こえる。


「さすがにまずい。」


 天童鏡は先ほどから「まずいまずい」とばかり言って、焦る様子もなく考え込んだ。この儀式を終わらせるために必要な塩水が無い。また、この儀式は2時間以内に終わらせなくてはいけない。3時から始めてすでに5時のアラームが鳴っている。2時間は当然に超過している。


シャリ、シャリ


 米粒が落ちる音がする。あのぬいぐるみが鬼として天童鏡を探しにきているのだろう。あの猟奇的なオンナがぬいぐるみに憑依しているのではないかと考えた。天童鏡も目を曇らせて額に冷や汗を浮かべた。この一連の流れで焦燥の臨界点は遠に超えていた。焦ることにも慣れてしまっていたが、だからと言って手立てがない。天童鏡はふいにズボンのポケットに手を入れた。


「そういえば」


 ポケットの中で感じるザラザラとした感触で思い出した。老婆にもらったお札だ。皺のついた一枚の御札を取り出して天童鏡は意を決して押入れから飛び出た。


ドンドンドンドン、イマスグイレロ


 浴室へ向かっている途中も、あの声と音は止まない。流石に焦りを滲ませて駆けた。浴室へ入ると、浴槽の中の水が勝手に抜けていた。浴槽を覗き込むとぬいぐるみが見当たらない。周りを見渡す。洗面台に目が止まった。洗面台はどす黒い血がためられていた。ぬいぐるみは黒い血の中に浸っていた。よく見るとぬいぐるみの首元に包丁が刺さっていた。その首元から間欠的にどす黒い血が流れ、ぶくぶくと増幅して洗面台から漏れ落ちていた。


カチャ


 玄関の方から鍵の開く音がした。このままではあの悍ましい目をしたオンナに殺されてしまう。押入れから見えたあの鋭利な包丁の鈍い光と返り血を浴びたオンナの笑みを思い出した。


 天童鏡は間髪入れずに次のように言ってお札をぬいぐるみに貼り付けた。


「私の勝ちだ、お清。」


・・・・


 音は全て止んだ。静まり返った部屋に、ただ一人の男とお札の貼り付けられたぬいぐるみのみ。洗面台の黒い血の池も嘘のように消えていた。玄関を確認したが、鍵は閉まっていた。


 天童鏡は体全身に鳥肌が立つのを感じた。ひどく興奮して、


「うおっしゃー」


 と声をあげた。



 その後、ぬいぐるみは記念に透明な観賞用の箱の中に入れて居室に飾ったのだった。

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