蜘蛛の棲む家

黒井咲夜

夜の蜘蛛は親でも殺せ

 街灯のない山道をアクセルをベタ踏みしながら登っていく。長いこと人が立ち入っていない道は雑草や倒木だらけで、それらを踏み越えるたびに車体が大きく揺れる。

 雑草に埋もれた看板に「石と森のまち 絡新婦らくしんふ村」と書かれているのが見えた。かつて石灰岩の採掘とキノコの原木生産で栄えたこの村は、今では住民大量失踪事件の舞台として知られる廃村だ。

 荒れた山道を登り切った山奥にある屋敷――私の実家には、蔵を改築した座敷牢がある。

 座敷牢。精神をわずらった人間や罪人など社会的に表に出すことを避けたい人を閉じ込めるための場所。だけど、私の家の座敷牢に閉じ込められているのはそういった人じゃない。というか、人間ですらない。


「やあ、お嬢さん。今晩はいい夜だねえ」


 ソレは若い男のかたちをしている。暗闇に浮かび上がる真っ赤な唇。冬の星空を固めたような大きな瞳。頭の後ろで結わえられた濡羽色ぬればいろの髪。蔵の中にゆったりと響く明朗めいろうな声。母が大事にしていた写真と全く同じ。私が生まれる前から変わらない、美しい見た目のままだ。


「……私、もうすぐ成人する子どもがいるのよ?もう『お嬢さん』なんて年齢じゃないわ」


「そうかい?オレからすればまだまだお嬢さんなんだが」


 父はソレを「神様」と呼び、ソレが呼び込む富を愛していた。

 母はソレを「彼」と呼び、美しい見た目のソレを愛していた。

 そして私は、ソレを憎んでいる。


「……この家を取り壊すことにしたの。家が建っていると誰も土地を買ってくれないし、骨董品こっとうひん並みに古い建物で維持管理だって楽じゃないもの」


「そりゃあ残念だ。ここにはたくさんの思い出が詰まっているのに……もちろん、キミとの思い出も」


 本当に幸福と富を呼び込むのだとしても、ソレは絶対に神様なんかじゃない。美しい姿も、優しい声も、全部私たち人間を欺くための嘘偽り。


「お母さんも死んだ。この村の人間はもう私だけ。だから……」


 座敷牢の錆びついた錠前をナタで叩き壊す。ゴキンと鈍い音がして、木を組んで作られたおりは拍子はずれなぐらい簡単に開いた。


「あなたを殺すわ。これ以上、犠牲者を増やさないために」


「……いいのかい?今キミが不自由なく暮らせているのは、ひとえにオレのおかげじゃないか」


「黙れ!」


 ソレの頭にナタを振り下ろす――けれども、刃がソレに届くことはなかった。


「やれやれ、女の子がこんな物騒なものを振り回しちゃあいけないよ?」


 天井から垂れた無数の蜘蛛くもの糸が斧を絡めとっている。


「お前は……お父さんたちの仇だ!私の家族を食い殺した、化け物め!」


 よろめいた拍子に、何かを踏み砕いた。きっと、食い殺された人の骨だ。お父さんたちだけじゃない。いなくなった村の人たちもきっとこいつが食い殺したに違いない。


「仇?恩人の間違いじゃあないのか?」


「どの口が……!」


 先程砕いた錠前の破片でソレの目を貫こうとすると、糸が私の右手に巻きついた。


「……墓まで持って行こうと思っていたけれど、キミには話しておこうかな」


 糸はソレの背中――いや、もっと正確に言うと蜘蛛のような下半身から出ていて、蔵中に張り巡らされていた。


「離せ!化け物!!」


「酷い言いようだなあ。小さい頃はこの糸を束ねて仲良くあやとりして遊んでたじゃあないか」


「っ、覚えてないわよそんなこと!」


 ソレが身動きの取れない私に近付いてくる。巨大な蜘蛛の体に人間の上半身がついたその姿にゾワリと鳥肌が立った。


「……オレは、最初はただの神様の使いだったんだ。この村にやってくる悪いものを喰って福を呼び込むのがオレの役目で、ちゃんとしたやしろもあった」


 ソレは黄色と黒で彩られた蜘蛛の脚で地面に落ちている頭蓋骨ずがいこつを拾い上げると、人間の手でボールのように弄び始めた。


「最初は村人たちもオレを神の使いだと崇めもたらされた福に対して感謝していた。しかし、いつからかは忘れたが村人たちは病人、老人、気違い、罪人……そういった奴らを『悪いもの』としてオレの社に置いていくようになった。悪いものならと仕方なくそれを喰っていたら、今度はどこも悪くない人間が供えられるようになってしまった。……この村の人々は、オレに生贄いけにえの対価に幸福をもたらす神であることを強いてきたのさ」


 遠い記憶を辿るように大きな目を細めながら、ソレは頭蓋骨を手で押しつぶす。乾いた音を立てて頭蓋骨が粉々に砕けた。


「年に一度、綺麗きれいに着飾った子どもが生贄としてオレの社に捧げられた。最初のうちは生贄をこっそり逃がしていたけれど、死にかけになってまた戻ってくるからやめた。しばらくすると生贄も溌剌とした子どもから今にも飢え死にしそうな子どもになり、そうしてついには生贄ですらなくなって、人形といっしょに病人や老人、身寄りのない子どもをオレの社に置いていくようになった。誰もオレを敬うことはなく、皆オレが呼び込む福があるのが当たり前だというように振る舞っていたのは悲しかったね」


 天井近くにある明かり取りの窓から月明かりが差し込み、ソレの不気味なほど真っ白な肌を照らしている。


「皆がオレへの感謝を忘れていく中で、村全体で受けていたオレの恩恵おんけいを独り占めしようと社からオレを引き摺り出したヤツがいた。それがキミの爺さんだ。ヤツはオレをこの蔵に閉じ込め、この家に害をなすものを端から喰うように命令した。オレはそれしか喰うものがないから、ずっとここで悪いものを食べ続けていた。されどヤツの欲望は際限なく、ついにはかつて更なる幸福を求めた村人たちがそうしたように生贄を捧げてきた。それがキミの母親さ」


 ソレの真っ黒な瞳がギョロリ、と私の方を向いた。


「……嘘」


 つぶやいた自分の声がいやに遠くに聞こえる。


「嘘じゃあないさ。生贄としてここに放り込まれたあの子は、オレに色々なことを教えてくれた。ヒトの食事、身繕い、遊び、そして……愛」


 ソレは愛おしげに目を細めて座敷牢の隅に視線をやった。そこには古ぼけた着物や遊び道具が、宝物のように仕舞われている。


「あの子がくれた愛は、今まで喰った何よりも甘美で美味かった!だが……俺が悪いものを喰わなくなってしまったために、ヤツらは俺とあの子を引き離した。あまつさえ、子を成さなかった嫁の代わりにあの子に跡継ぎを産ませようと、あの子を手籠てごめにしやがった!」


 ソレの端正たんせいな顔が崩れる。顔の皮膚ひふがズルリと地面に落ち、蜘蛛の複眼があらわになる。


「……おっと、昔はちゃんとヒトの形に成れていたんだがねえ。ままならないものだ」


 ソレの言うことも目の前にいるソレの姿もあまりにも非現実的で、ここに来てからの全てが夢のように思えてきた。


「嘘、だって、お母さん、そんなこと、一度も」


「キミには何も知らずに、幸せに生きてほしかったのだろうさ。……こんな醜い人間しかいないような村なんて、とっとと忘れてしまえば良かったのに」


「っ、村の皆をバカにしないで!」


 そう言ってから、ふと思った。この村の人たちは、どんな人たちだっただろうか?

 ……思い出せない。13歳の時、あの大量失踪事件をきっかけに母と村を出た後のことは思い出せるのに、それ以前のことを詳しく思い出そうとすると頭の中にもやがかかる。唯一思い出せるのは、私に覆い被さり、化け物に頭を砕かれた男性の姿だけ。

 父や家族のことも、この村のことも全て村を出た後に母から聞いたきりだ。それが真実だったのかは、母が亡くなった今、もう誰にもわからない。


「キミは覚えていないようだけども、跡継ぎとなる男児だけを望んでいたヤツらは、産まれたばかりのキミをここに放り込んだんだ。オレが面倒をみていたから死ぬようなことはなかったけれどもあの子は……キミの母親は、毎晩ヤツらの目を盗んでキミに乳をやったり、遊んだりして寂しい思いをさせまいとしていたよ。まあ、結局ヤツらの家に男児は産まれずじまいで、ひとり残らずオレに殺されてしまったがね。……さあ、これでオレの昔話はおしまいだ。殺すなら早く殺してくれ」


 ソレが両手を広げて微笑ほほえむ。これから殺されるというのに、その表情はどこか嬉しそうだ。


「……最後に、ひとつだけ教えて。貴方は……どうして、村の人たちを殺したの?」


 ソレは一瞬大きな目を見開いて、それから悲しそうな顔をして答える。


「ヤツらが、オレの大切なものを傷つけたからさ」


 大切なものとは一体なんだったのだろう。それは人の命を奪い、ひとつの村を地図から消すのに値するものだったのだろうか。


「ああ……オレを殺してくれるのがキミで、本当に良かった」


 満面の笑みを浮かべるソレの首に手をかけて思い切り力を入れると、ペキリと乾いた音を立てて首が折れた。

 あまりにも簡単に折れたものだから、念のために車からライターと着火剤を持ってきてソレに火をつけた。ソレは思ったよりも簡単に燃えたようで、私が車で村を出る頃には座敷牢のある蔵の方角からもうもうと煙が上がっていた。蔵は土壁つちかべで明かり取りの窓以外は隙間がないから村全体に火の手が広がることはないだろう。仮に村が燃えたとしても山火事で片付けられるはずだ。

 さようなら、私の故郷こきょう。もう二度とここに来ることはないだろう。


「……さようなら。オレの、愛しい娘」


 ブレーキを踏みながら山道を下っていると、ふとそんな声が聞こえた。ような気がした。

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蜘蛛の棲む家 黒井咲夜 @kuroisakuya

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