創作寝物語

@chauchau

第1話


「…………よしっと」


「おはようございます」


「おっとぉ? あぁ、君か。おはようございます」


 太陽が顔を出すどころか、沈み始める時間帯でも僕らの挨拶は変わらない。サークル活動で身についた癖はきっとこれからも抜けることはない。

 スマフォを覗き込んでいた顔が優しく微笑んだのを確認して、彼女の隣に座る許可を得る。勝手に座ればいいだろうと笑うのはいつだって僕で、待ち続けるのも結局は僕だ。


「声を掛けてくれても良かったんだよ」


「真剣に返信されていたので」


「まあね」


「彼氏さんですか」


「だった人」


「……うわぁ」


 見せてもらった画面に残る文言に思わず漏れた音。先輩の指が画面をスクロールすればするほどに漏れた音に実感が宿っていく。


「今度の方もなかなかですね」


「お褒めに授かり光栄です」


「狙ってます?」


「君はどう見る?」


 質問に質問で返すことすら許してしまうのは先輩の笑顔が成せる技。僕ではこうはいきません。先輩の男運の悪さはサークルのなかでも有名な話だ。酒の席ですら飲む気を失わせると評判の歴代の彼氏さんにこの度また一人歴史が刻まれることになる。


「先輩はもっとまともな方とお付き合いするべきかと」


「なかなか居ないね」


「いまこの辺りに居る人間を捕まえるだけで達成できるかと」


「たとえば君とか」


「三回告白しました」


「三回断りました」


「四回目をご所望ですか」


「あいにく手持ちがなくてね」


「ツケにしておきますよ」


「それはお買い得だ」


「水、取ってきますね」


「ありがとう」


 恋に恋する大学生のなかで、美人がいればモテないはずもない。サークルの男たちがこぞって名乗りをあげて誰ひとりとして勝ち得ない先輩の隣を今なお狙うのは、僕か、それとも事情を知らない一年生くらい。後者は半年もすれば諦めるので、十二月も間近なこの時期では僕だけだ。


「屑な男性とばかりお付き合いする理由を聞いてもいいですか」


「たまたま、偶然、想定外とはまさにこのこと」


「三回告白しまして」


「そうだね」


「三回断られました」


「そうだね」


「理由ぐらい聞きたいじゃないですか」


「そうだねぇ」


 コップに口を付ける。

 潤されていく先輩の喉の動きを目で追って、すとんと視線が腹へと落ちていく。


「安心するからね」


「安心」


 飲み込みにくい言葉を咀嚼する。噛んで砕いて、それでも飲み込めない僕を見て微笑む先輩は少しだけ意地悪だ。


「自分より下がいると思うと、安心するだろう」


「……ああ」


 ようやく飲み込めた言葉は、苦くて固い。それでもすとんと腹へと落ちていく。


「つまりは、僕も屑になればいいんですね」


「それは……悲しい話だ」


「こちらの台詞かと」


 僕が笑えば先輩も笑う。

 苦い後味を、僕は水で流し込んだ。


 ※※※


「という過去があったというのはどうでしょう」


「ふぅん」


 小さな間取りのワンルーム。借り物であろうとも、これが僕にとっては自分の城で、ベッドに寝転び見上げるのは見慣れた天井。そして、愛しい彼女。


「純粋だった青年は、愛しい先輩と付き合うために自分を変える努力をしたわけだ」


「そして、屑になった」


「あったかもしれない話」


「なかったかもしれない話」


「寝物語にしては上等だろう」


「浮気を繰り返す言い訳にしては上等かもね」


「それはよかった。それで? 君はどんな判断を下すんだい」


 見慣れた天井。愛しい彼女。


「わたしが下すのは、手に持ったこれかな」


 彼女は握りしめた包丁を。


「それは悲しい話だ」


「こっちの台詞」


 水に流すこともできない鉄の味が、口いっぱいに広がった。

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