第3話 運命の出会い

「街に行って、蜂蜜酒はちみつしゅを買ってきてちょうだい。アタシのお気に入りのお酒は街の酒屋にしかないから」


 カレンが言い出したワガママに逆らえず、街まで買い物に行く羽目はめになったトール。

 トールは先日、顔に焼きごてを押し付けられて大火傷おおやけどを負った事件で貴族には逆らってはいけないと学習し、まだ焼けただれた顔も治らないうちに街に下りることになった。

 ルイとカレンの屋敷は小高い丘の上に建っており、街の中にも坂がある。トールは屋敷と街の行き帰りに坂を登ったり下ったりも嫌で仕方なく、本当は外に出たくなかった。

 しかし、この日、街に出たところ、思わぬ出会いが彼女を待っていたのである。


「はぁ……」


 カレンの言いつけどおり、蜂蜜酒を売っている酒屋を目指して街に繰り出したトール。

 彼女のため息は、坂を上り下りして疲れたといったものではない。

 まだ顔にはみにく火傷痕やけどあとが残っている。それを街の人々が振り返り、遠巻きに見られていることに、彼女は恥ずかしいやら情けないやらで泣きたくなっていた。

 ルイとカレンの嫌がらせと監視の目から逃れられたのはやっと呼吸ができる心地だと思っていたが、街の人々にも自分は受け入れられていないことに、疎外感そがいかんを覚える。


(カレンのやつ、今に見ていなさいよ……)


 トールはカレンの高飛車たかびしゃな態度を思い出し、腹が立ってドスドスと足に力を入れて石で舗装ほそうされた道を歩いていた。

 ふと、彼女は道の真ん中に黒い毛のかたまりのようなものが落ちているのに気付く。

 歩み寄ってみると、それは黒猫だった。馬車にひかれたのだろう、ケガをして血を流しているようだ。


「大変!」


 トールは黒猫にって、その体を抱きかかえる。猫はぐったりしているが、息はあった。

 街の住人たちはそんなトールと黒猫をやはり遠巻きに見ているだけで、助けるつもりはなさそうだ。


(黒猫が不吉の象徴と言われているからかしら。この世界、昔の西洋っぽいし、そういう迷信が信じられていてもおかしくはない)


 しかし、トールは迷うことなく黒猫を助けることにした。彼女は前世では飼っていなかったが、猫が好きだったのだ。結局、夫の類に反対されて、ペットは飼えなかった。まあ、死ぬときに家を燃やしてしまったから、生き物を飼ってなくてかえって良かったのかもしれない。


 トールはハンカチを黒猫の足に巻いて止血した。そのまま猫を抱えて医者を探しに行こうとしたが、不意に背後から声をかけられた。


「おい、うちの猫をどこに連れて行くんだ?」


 振り返ると、黒い髪の男が立っていた。闇色やみいろの目が、トールの心までのぞこうとしているかのように彼女を見つめている。


「この子、あなたの飼い猫?」


「飼い猫というか、使い魔というか」


「使い魔?」


 聞き慣れない単語に、トールは首をかしげる。

 男は「とにかく、俺と一緒に来てくれ」と背を向けて、トールを導くように歩き出す。ついてこい、ということだろう。彼女は黒猫を抱きかかえたまま、男に従った。

 人通りの少ない路地に入り、日当たりの良い場所にもうけられたベンチに並んで座る。

 男は口の中で何かをボソボソつぶやきながら猫に手を当てる。すると、緑色の優しい光が、黒猫を包んで、みるみるうちに体の傷がふさがっていった。


「えっ!?」


 トールは思わず驚きの声をらす。

 男が不思議な術を使ったからというだけではなく――目を開いた黒猫が、三つ目なのに初めて気づいたからである。普通の猫の両目と、額にも目が一つ。


「うん、治りが早いな。君が適切にクロエの手当をしてくれたおかげだね」


 男はクロエという名前らしい黒猫に傷がないか確かめながらトールに微笑ほほえむ。


「クロエを助けてくれてありがとう。僕はオズ。君は?」


「あ、えっと、トール……です」


「トール、本当にありがとう。お礼と言っては何だけど……」


 オズと名乗った男がそっとトールの額に手をかざす。トールの体が思わずビクリとねた。


「動かないで。今、その傷をやすから」


 オズがまた口の中で呪文らしきものをつぶやくと、トールの体が緑色の光に包まれた。暖かくて、心地が良い。

 オズが手を下ろしたあと、トールが恐る恐る自らの顔に触れると、あの焼けただれた皮膚のザラザラした感触がなくなっていた。


「あなたは、魔法使いなの?」


「うん。ちゃんと魔導師の国家資格も持ってるよ」


 オズはあっさりと認めた。国家資格とかあるのか。


 トールは、この異世界はいわゆる「剣と魔法の世界」というやつらしいと認識していた。

 兄や弟がテレビゲームをしているのを後ろから見ていてなんとなく知っている。

 ……そういえば、兄弟たちはあちらの世界で元気にしているだろうか?

 トールは、急に寂しくなってしまった。

 とにかくお礼を言おうと顔を上げると、オズは複雑な顔をしていた。


「……ごめん。治癒魔法を使ったときに、少し頭の中を覗いてしまった」


 オズは申し訳無さそうに、頭をかいた。


「君には、前世の記憶があるんだね」


 前世の記憶。炎に包まれた家。そして、その原因は、まぎれもないとおる自身だ。

 透が夫のるいと浮気相手の花蓮かれんと無理心中したのは、決して衝動的なものではない。

 ガソリンを用意したのだって、夫が浮気相手を家に連れ込むのを待ち伏せして話を盗み聞きしていたのだって、彼女の計画的な犯行だった。

 透は自分をだましていた類と花蓮に復讐がしたかった。

 それが、来世でこのザマだ。


「ここで、少し待っていて。すぐに戻るから」


 オズは突然ベンチから立ち上がり、路地を抜けてどこかへ行ってしまった。

 黒猫のクロエと一緒に取り残され、勝手に移動するのも申し訳ないので、素直に待った。

 オズは五分もしないうちに戻ってきた。その手には顔の上半分を隠す仮面が握られている。


「屋敷に戻るときはこれをつけるといい。火傷が治ったことを知られたら多分もっとひどい目にあう。これは僕からのプレゼントだ」


 トールは手渡された仮面を見つめて、しばらくぼんやりしていた。

 やがて、ポロポロと涙がこぼれ、仮面の上に水滴が落ちる。


(他人に親切にされるなんて、前世ぶりだ……)


 オズはトールを優しく抱きしめて、しばらく背中をでていた。


「……ありがとう、オズ。この仮面、お守りだと思って大事にする」


「うん。僕の祝福もかけておいたから、困ったときはいつでも頼るといい」


『祝福』というものが何なのかよく分からなかったが、トールは早速仮面を顔につけた。

 視界が多少せまくなるが、仮面は顔に馴染なじむようにピッタリと合っていた。

 オズもそれを感じたのか、ニッコリと微笑んだ。

 そのとき、夕刻ゆうこくを知らせる鐘が鳴って、トールはハッとした。


「いけない、おつかいを頼まれていたんだった! 早くお酒を買って帰らなくちゃ」


「それじゃ、酒屋さんまで送っていくよ」


 オズはゆっくりとベンチから立ち上がり、トールに手を差し伸べる。その手を握ってトールも立ち、ふたりで酒屋まで行った。後ろからはクロエもしっかりついてきている。


 こうして蜂蜜酒を買い、酒屋の前でオズと別れたトールは、心が軽くなり、仮面をつけたまま屋敷までの坂道を登った。本当はスキップでもしたい気分だったが、自分の機嫌がいいのを察知されたらルイとカレンに何をされるか分からないので必死に自制した。


「遅い! お酒を買うだけでどこまで行ってたのよ!」


「申し訳ありません……」


 トールは反省しているような声色でうやうやしく、カレンに蜂蜜酒を渡す。


「おい、トール。なんだ、そのヘンテコな仮面は?」


 仮面をつけたトールを見たルイがいぶかしげに声をかける。


「火傷の痕が見苦しいので、仮面で隠しております」


「あら、見苦しい自覚あったのね。いいんじゃない? 素顔よりその仮面のほうがお似合いよ」


 トールはオズからプレゼントされた仮面をけなされて内心ムッとしたが、黙って深く一礼し、ふたりの部屋を出ていった。

 それ以来、トールは仮面をつけて生活するようになる。

 しかし、ルイとカレンの嫌がらせは、ますますエスカレートしていくばかりであった……。


〈続く〉

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