5-X.呼吸



 あ、また起きた。いや、寝たのか?

 僕はそんな微睡の中にいる。何処にいて何をしているのかが曖昧だ。

 多分上を見上げている。どこか暗い場所で切り取られた窓から外を眺めてる。

 外は足元の重力がどっか行ってるけどそんな不思議な、海の中とも雲の上とも違うそんな浮いた印象。

 天井と思っていたのは明かりが下に流れてゆくから。水平に置かれた蛍光灯がどんどん下に落ちてゆく。

 遠くでカラカラともガラガラとも聞こえるような音にゴム靴で足元を擦るようなきゅっきゅという音も聞こえる。


 景色が回る。ぐるんと左に九十度。ぐるんと右に九十度。壁の前に止まった目前の窓はそのまま停止する。

そうして誰かがこちらの窓を覗き込む。見たことあるような顔だし、多分名前も知っている人だ。表情はぼやけていてわからないが、たしか。

 そこで証明が落ちた。




 再びここにやってきた。

 景色が傾いでいる。窓だ。日が差していることから今は昼なのだろう。窓ガラスが開いていて吹き込む風に白いレースのカーテンが揺れている。

 吹き込む風を感じることは無いがどこか爽やかな印象。

 青い空に漂う雲、端に見える緑と色とりどりの屋根、そして海。

 窓から臨む四角いサッシのキャンバスは確かに名画を切り取ってはいる。

 聞こえるはずの無い波のさざめき、鳥のさえずり、人々の息遣い。多くの命が息づいている。

 鮮やかで、艶やかで、美しいと心から思える光景。

 しかし僕の心には何の感動も齎さなかった。

 何も感じない。何も思えない。ただそこにあるもの。きっと尊くて誰かの大事なものなのだろう。


 再び誰かの声が近くで聞こえた。視界は動かない。

 それから窓の景色は変わらず、ただ証明が落ちた。




 また来てしまった。

 サッシで切り取られた絵の前にはどこか見覚えのある人たちが並んでいた。

 眼鏡をかけた男性、まだ幼さの残る、しかし綺麗な制服に身を包んだ女の子。そしてその女の子をそのまま大人にしたような女性。


「……。……、…………!」


 まるで水の中にいるようなそんな濁りによって何か喋っているのはわかるが、それが明確な言葉として認識できない。


「……! ……!」


 少し甲高い音。喋っているのは女性だろうか。

 その後も繰り返し僕に声をかけているのは理解できるが会話というものはとうとう成り立たない。

 男性は悔しそうにしている、ように見える。女性は悲しみを抑えながらの笑み。

 二人の忸怩たる思いに、こちらを見る眼差しに答えられない申し訳なさを感じつつ、僕はどこか諦めている。

 話が通じないから、声が届かないから、この窓が動かないから。

 

 暗闇に閉じ込められたのは僕か、それとも彼等か。


 今回は少し長い時間、この窓を眺め続けた。

 彼らの背後に映るのは夕焼けに照らされてオレンジ色に染まる街の景色。ああ、いつの間にかこんなにも時間が過ぎていたのか。

 立ち上がる彼らを見送ろうとしても、その窓は微動だにせず、角度を変えても景色の先は存在しない壁に遮られている。当然窓から外に出ることも出来ずに、僕はその窓を眺め続けていた。


 間にいた少女がぽつりとつぶやいた。


「……どうして、アンタが……」


 聞き覚えのある、ウグイスの鳴き声のように頭に残るその声だけは、何故かはっきり聞こえた。







 戻ってきたのか、夢を見ているのか。


『あとどれくらい?』

『もう少しよ。それさっきも聞いたわね』

『待つっていうのは少し苦手ー』

『待機時間の過ごし方は知っているはずです』

『単位時間が違うからかな? なんていうか、時間がゆっくりしてるのに更に? みたいな?』


 どれくらいそうして歩いていたのか。

 どこから始まってどこまで続くのか。俺の記憶は長く続いているようでまたいつ切れるか分からない、ずっと続いてゆくような予感もあるし、いつか目覚めのように淡く消えてなくなってしまうかもしれない。なにより。


【#$%&=~$%&! ”#$%&’】


 意味の解らない音や記号の羅列が挟まる。声のようでいて頭に響くその音はどうも非現実的だ。少なくとも二人には聞こえていないようだし、俺にだけ感じる何か。

 ここに来てから俺に何かを教えているようなそうでもないような不思議な感覚。嫌ではないが時折うっとおしく感じるそれ。


【#$%&’! ”#$%&’()】


『後ろを見ればわかりますがここまでほぼ直線で進んできています』

『おお~……? ほぼ直線?』

『……? あれ? おかしいですね。……いえ、こちらの操作は間違いなく直進です』

『……。あ、本当だ。何かの外的要因でも、ってそれも考慮されてるし……』

『……いえ、外的要因かもしれません』


【#$%&’! ”#$%&’()】


 俺や彼女たちの一挙手一投足にちょくちょく挟まる謎の音だが、これまで実害らしいものが無かったが、今回のこれは流石に何かあったと考えるべきか?


『私がというより機械ツールの方が影響を受けていますね。これは……?』

『なになにー?』

『こちらのデータベースにない現象です』

『……あれ? これなんだろう……。こっちにもないなぁ』

『この先にある何かの影響でしょうか』


 どうやら機会が不調? らしい。あれだな。機械から異音がしてるとか変な匂いがしてるとかではないから逆に戸惑っているような感じか。

 とはいえ彼女らが動かしているのは巨大ドリルといっていい代物。それが破壊されるなどあってはならない。


【#ドリルバカ%&’! ”#$%&’()】


 おい今ドリルバカって言ったの聞こえたからなアッ!

 時折聞こえるこの音だが普段適当なこと抜かす癖に時折あからさまに人をおちょくるような態度をとる。姿が見えてればぶん殴りたいのだがどうも俺の脳内アナウンスっぽいし、これも俺といえる、のか? だったらドリルバカで意思統一がなされた可能性もある? それだったら素晴らしいのだが。


【#$%&’! ”#$%&’()】


 今度は少し呆れたような音色。何を言っているのか、何てことはすぐに頭の中から出て行く。そもそも前の二人がこちらを気にしながらもぐんぐん前に進みながら対談動画を撮っているのだから、俺が気にするのも自分自身のことより二人の行動の方が上だ。


『……ここです。データを参照なさい』

『応答途絶……? これって』

『ここに何かありますね。先にこちらを調査しましょう、いいですね?』

『もちろん。あ、リスナーさん!』

「おん?」

『なんか変なのあるからちょっと寄っていくねー!』

「んな途中でドライブスルー見つけたから寄るわみたいに言われてもね。ハンドル握ってるのは俺じゃないし、まあいいんでね?」


 ファストフードってあんまり食べないからそういう光景があるかどうかもよう知らんけど。


『貴様、何か意見があるのですか』

「無いんでいきましょか」


 メシエは口調が上から目線で貴様呼びだからあたりが強く見えるかもしれないが彼女の表情そのものは見た目と声も相まって特に嫌な感じがしない。表情も無表情に近いものだが別に怒ってるとか冷たいと言った印象は抱きにくい。

 あんまり動かない表情がサティの応答次第では眉毛がピンと跳ねるのも面白い。

 特徴的な仕草は腕を組みながら顎先に指をあてるポーズ。ポーズというか視線は空へ向いているから考え事をしているときのくせのようなものなのだろうが、俺にはどうも幼女が明日何を食べるか考えているようなシーンにしか見えない。


 ガリガリと土や岩を削る音が響いているが彼女たちの会話を邪魔するほどのものではない。


『こんな素材が自然界に存在するのですか』

『記録には無いね。だから多分思った通りなんじゃないかな』

『記録にない地下の遺構ですか』

『私が調べてなかったのも、ううん調べられていなかったのは、なんか残念、かな』

『残念ですか?』

『うん。でもこうも思うんだ。一緒に来た時に見つけられてうれしいなって』

『それは何故』

『一緒に探検してるみたいで楽しい! 新しい発見を一緒にする機会が得られて嬉しいから、だと思う!』

『そうですか』


 え、今なんかめっちゃエモいこと言ってなかった? つかメシエさん塩すぎん? それでいいんか? え? マ?


『もちろんリスナーさんもね!』


 ハイ今リスナー死んだよ。語尾にハートマークとんでたし。これはサティ全リスナーが換気感激するサービスカットですねばっちり撮ったぜおっしゃあっ!

 おっと、俺は撮影班なので出しゃばるつもりはないが返事ぐらいはしても良いだろう。サムズアップを見切れさせてすぐに外す。サティの笑顔を邪魔しない完璧な画角とタイミングでしたよ、ええ。


『貴様、何ですかそれは』

「了解とかよくやったとかプラスの反応」

『なるほど。こうですか』


 いいね、メシエが親指立ててグッジョブを返している。いや、ここはそうだな。


「もう片方の手を腰に当てるともっといいゾ」

『? こうですか?』


 見た目がこじんまりしてるからか何か様になっているというか。無表情ツインテロリがグッドを出している。これスタンプになるんじゃないか? というかだれかしろ。

 いいねいいね。なんか二人とも映える光景を見せ続けてくれている。この調子でいこうか。







 起きた。いや、寝たのか? 黒い窓の前に一脚のスツール。股の間からスツールの座面を掴みバランスをとっている。どうしてこんな座り方してるんだ僕は。

 目の前の黒い窓から見えるのはあの無機質な天井。しばらくその光景のまま全く動く気配がない。ここが依然と同じ場所なら窓の方を向いてくれればもっと状況がわかるんだけどなあ。

 最初は環境光だけで十分だったのに徐々に蛍光灯の明かりが明るく感じるようになってきた。窓の端にわずかに誰かの何かが見えたがすぐに見えなくなった。黒い窓はそのまま狭く閉じていき何も見えなくなった。

 なにもない。ここには何もない。ああ、だから俺はスツールの座面を掴んで座っていたのか。変な座り方するくらいには何もないのだ。

 何かないか。どこかに行けないか。誰かいないか。

 何もない。何処にも行けない。誰もいない、僕以外は。

 いや、僕は何だろう。名前は? 年は? 好きなものや嫌いなものは? 何も思い出せない。何も感じない。

 ああ、僕というものは此処には無いのかもしれない。じゃあここには何もない。何もないのだ。


 気づけば再び黒い窓が開いていた。今日も見慣れた天井というやつだった。

 ん? 少し肌寒いか? 風が冷たい訳でも空気が冷えているわけでもない。ただ情報として僕が理解できるのがその寒さという情報。もしかしたら季節が移り変わっているのかもしれない。

 今日は矢鱈窓に移りこむ人が多い。男性や女性様々な人が僕の方を覗き込んでいるような気がする。そのたちの熱気に当てられたか少しずつ熱を受け取るようにして寒さが和らいでいく。

 落ち着いたのは蛍光灯の光が眩しく感じるようになってからだ。今日は随分と忙しかったように思う。こういう日もあるのか。

 黒い窓がまばゆい光を遮るようにして徐々に落ちてゆく。やがて窓が閉まり切り真っ暗になると、僕の意識も切り替わっていった。







『そろそろですね』

『そうだねー。流石にここまでくればわかるよー』


 シールドマシン、いやシールドドリルがその動きをゆっくりと止めようとしている。ああ、彼の出番は此処までなのかもしれない。ここまでよく頑張ってくれた。いずれまた会う日まで。

 俺がそんな挨拶を交わしていることなどつゆ知らず二人はさっさとシールドマシンをポイして平べったいマッサージ器具のような、AEDにもみえるそれをもって壁の前に立っていた。


『この先です』

『じゃあいくよー』


 壁の前にアイテムを持って両手を伸ばすサティと少し下がって様子を見ているメシエ。その二人を余すことなく複数の角度から撮影する俺。段取りも何もないがきっとこの部分が動画化された際には複数のカメラでこの壁を破壊した瞬間をカメラを変えてリピートするアレな感じになることだろう。バーンバーンバーン! みたいな。


【#$%&’! ”#$%&’()】


 よう、なんか久しぶりに感じるけど今なんか舐められてるのはわかった。どうせ語彙力とかなんとかいっただろお前ふざけんなよ。


 そんなことを言っている間にサティは構えたアイロンのような持ち手をぴたりと壁に当てている。次の瞬間バトルマンガよろしく壁一面に亀裂が走り、崩れるかと思った壁はさらさらと砂状になって崩れ落ちた。さーっと流れる砂に足元を追われるもサティは気にした様子もなく向こう側を見下ろしている。メシエもさくさくと砂を踏みしめ向こう側をのぞく位置についた。

 俺はといえば二人に行った懐中電灯で照らせという言葉を忘れたかのようにライトを動かして壁の向こう側にあったものに魅入られた。

 それは教会、いや礼拝堂だろうか。その区別はつかないが壁一面に施されたその荘厳な模様は何十メートルの高さと俺が適当に投射したライトによって明確にその威容を見せつけていた。

 少しの間そのあまりにも壮大な光景に言葉を失うが、何処かその様相に違和感を覚える。


『調査機発進っと』

『こちらはアプローチを用意しましょう』


 仕事の速い二人はリアクションよりも先にこの場を調べるための準備から入るらしい。俺はといえば二人の準備ができるまでこの中をざっくりと調べるためにカメラを飛ばそう。

 この高性能カメラドローンのような何かは俺の意のままに動く。一つは定点。一つは二人につけ一つを操作し空間の中を飛ばす。

 とは言ったもののある意味山の中に山があるようなこの場所は山の頂上のような場所であり、礼拝堂とその前の空間に直接つながったようだ。真下にトンネル。向かって左から右に下るような坂があり、そこには家のような洞穴が壁や窪地に沿っていくつか並んでいた。

 というか暗すぎてよくわからんがどうにもこの光景に違和感を覚える。何を見てもどこか変だと思うのは俺の頭の中にある遺跡やこれまで見てきた遺跡群とは何かが決定的に違うと思うからで。


 うんうん唸っているとカツンカツンと歩く音。メシエの足場が出来ており二人が空洞内に向かって降りていた。俺もすぐにカメラの操作を切り替え二人から少しだけ離れて後をついて行った。


 壁に掘られた祈りの象徴は十字や髪のシンボルだと思うのだが、あんなに手足がいっぱいあった神なんているのだろうか。そう言ったことに疎い俺ではそれ以上は何も分からなかった。


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