第11話 『ねぇ、私と一緒に、世界を救って』

 正面とは違った、薄汚れた地味な裏口の扉から入った睦目たちは、なぜかスタッフルームへと案内される。そこで女性スタッフが再び周りの黒服達と会話をし「こちらへどうぞ」と、さらに案内されてたどり着いた先は劇場の入場口であった。


「どうぞ、お先へ」


 スタッフが笑顔で言う。


「あの、本当にいいんですか?」


 優衣が聞いた。


「? いいもなにも……さぁさぁ、先へお進みください」


 しかし詳細は話さず、スタッフはただ催促をする。


 これ以上聞いても意味ないと悟り、消えない疑念を足元に引きずらせながら、陸目と優衣は目の前の集団に紛れ込んだ。


 中へ入ると劇場内は薄暗く、しんとした静寂が沈殿している。


 一般的な映画館のようだが二階席もあるみたいだ。


「ねぇ本当に私たち、ここにいてよかったのかな」


「……どうなんだろうね」


 その疑問に対する回答は持ち合わせていない。知っているのは杏奈だけだ。


 席は自由らしく早い者勝ちで、先頭集団はほぼ一番前の列を占領した。


 こうして立っている間にもどんどん人が流れ込み、さすがにどこかの席を取らないとまずい。


「とりあえず、あそこ座ろうよ」


 と、優衣が指さした所は丁度中間あたりの、一番スクリーンが見やすい位置。


「うん。そこにするか」


 開演まで残り一〇分。

 観客席は瞬く間に埋め尽くされた。


「試写会、楽しみだね。私こういうの初めてだからさ」 


 右隣の優衣が耳もとで囁く。

「俺も初めてだから、楽しみ」


 今にも心臓が破裂しそうだ。落ち着かせるために深呼吸を複数回。


 すると、


「テステス。あー声聞こえてますかー?」


 舞台の下手――スクリーンの左側から一人のメガネをかけた、細長い男性がタキシードで登場した。手にはマイクを持ち、音量の確認をしているらしい。今回のMCのようだ。


「あの人って、七味唐辛子マリネさんだよね」


 優衣が興奮気味に呟く。


「芸人?」

「え、しらない? 結構有名だよ?」

「へー……そうなんだ」


 杏奈が出る番組しかチェックしていなかったので、そこまで目を向けていなかった。


「ここで一点、お客様にお願いがあります」


 そのMCは陽気な口調で次々と劇場での注意事項を述べていく。


「――最後に笑う時は笑って、泣く時は大いに泣いてください。今夜は私たちと、あなた達だけの特別な時間です。一緒に楽しみましょうー」


 ゆったりとした、けれどもしんみりとした話し方は、水面に一滴絵の具を垂らしたように広がっていき、会場全体を浸す。自然と観客たちの意識を舞台の一点へ集めさせた。


「さて……開演まであと少しですが……え? 準備に手間取ってる? はいはい……わっかりました!」


 裏で何かが起こったのだろう。そんなMCとスタッフの会話がマイク越しに聴こえた。


「……えっとどうやら準備までもう少し、時間がかかるそうなので、その間私のトークでもお聞き下さいな」


 こうして始まった場繋ぎのトークは、思ったよりも面白くて会場が笑い声で包まれた。


「――それでおばちゃんがな――っと、どうやら準備が整ったようです。ではどうぞ!」


 途端に壮大で軽快な、アップテンポのBGMが響き渡る。


 それを合図に上手、スクリーンの右側から映画のキャスト陣が次々と登壇していった。


 睦目でも知っている――いや、知らない人の方が少ないであろう華麗に着飾った有名俳優・女優の面々に巨大な拍手の雪崩が起こる。


「あ……、」


 その中で一際存在感を放つ杏奈の姿があった。

 真っ白なドレスで身を包み、静かに佇むその姿勢は百合のようで、睦目の瞳に華やかに映る。

「さて、全員も揃ったことでしょうし話を聞いてみましょう」


 そしてここから、MCを中心にキャスト達によるトークが繰り広げられた。



 右から順に手に持つマイクに向かって一言コメントや、感想を告げていく。


 時に誰かがツッコミをいれたり、逆にボケたりとその度に会場がわっと湧く。


「えっと、わたしですよね――」


 杏奈の番だ。睦目は耳を傾ける。


「撮影はものすごく楽しかったです。印象深いところとかは、ネタバレになってしまいますので後で話しますが、皆で作り上げたこの映画は誰にとっての宝物になると思ってます。……思って、ますよね? え、わたしだけ?」


 くすっと、思わず笑いがもれる。


 肩を叩かれ振り向くと優衣がこちらを見つめていた。


「瀬ノ杏奈って、あんなに面白い子だったんだね。私たちよりも若いのに、すごいしっかりしてる。それに生で見た方がやっぱ可愛いね」


 小声で話されたそれは、睦目にとっても嬉しいものだった。うん、と頷く。


 別に自分が関わった訳でもないのに。多分、こんな風に周りが杏奈を視てくれている、認めてくれていることが嬉しかったのだと思う。


「杏奈ちゃん、私たちもしっかり思ってるから安心して?」「そうそう。しっかり思ってるから」


 フォローするようにベテラン女優と目つきが鋭い俳優が口を開く。


「ありがとうございます! 松林さん、厚原さん!」


「さてさて。場も盛り上がってきた所で、そろそろお時間ですかね」


 MCのその発言で出演者たちはふっと、表情を真剣な顔つきになった。


「では杏奈さんから上映開始の一言、お願いします」


「はい」リンと鈴がなるように、杏奈は返事をする。「今回わたしが演じる役は、過去と未来を行き来することができます。そんな主人公の行く末を、是非皆さんで見届けてあげてください」


 まるで育った我が子でも送り出すような優しい音色をしていた。


「はーい。ありがとうございます。では、上映開始です!」


 出演者が舞台袖に消えると、暗転。


 暗闇の中にぼわっとスクリーンが光り――映像が映し出される。


『ねぇ、私と一緒に、世界を救って』


 その一言からこの映画は始まった。

 要約すると杏奈演じるヒロイン、穂先明香は時を渡れるらしい。


 それを知った主人公の三日月光良が不思議な彼女と一緒に世界を救う旅に出る、という壮大な物語だった。


 SFの世界観でありながら、しっかり恋愛模様や人間ドラマを描き、三日月が明香に向かって放った激情に満ちた声は、胸を奮わせた。


 クライマックスの、明香が自らを犠牲に世界の災厄を治めたシーンでは、


「三日月くん……いままで、私を好きでいてくれて、ありがとう。私も好き、だよ」


 と炎に照らされながら、明香が涙を流したシーンはもう泣かずにはいられなかった。


 でもなにより……杏奈の演技がやっぱり凄い。

 彼女の魅せる仕草が、呼吸が、目の動きが。

 台詞が、瞬きが、表情が。


 どこを撮っても、その全てが美しく画面に映える。未来の惨劇を知る少女の、虚無の上に貼られた明るさと笑顔を見事に表現していた。


 そんな杏奈を見て、睦目にある感情が首をもたげはじめる。


 それはずっと、考えないようにしていたこと。


 気づかないようにしていたこと。


 ふいに、腹の中に黒い塊のようなものが落ちる。それはどしっとした確かな重さがあった。


 そして、こう思ってしまう。


 ――本当に、俺が杏奈の家庭教師でいいのかな?

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