第9話 なら一緒に観ない?

 ――翌日の昼休み。


「うーん……」


「どうしたんだよ、そんな難しい顔して」


 大学の食堂にて。睦目と庄司は昼食を摂っていた。


 授業中もずっと考えていたが、未だに誰と行こうか決まっていない。夜散々家でも悩んだが、誰を誘えばいいのか判断がつかなかった。チケットによれば、開演日は明後日の木曜日。場所は新宿の某劇場で執り行われるらしい。その日までに見つけなければならない。


「なぁ庄司?」


「ん?」


 庄司が天ぷらうどんを啜りながら、こちらを見遣る。


「木曜日の放課後の時間って空いてる?」


 カツカレーを口へ運んでいたスプーンを一旦置いた。


 木曜日は三限で終わるため、開場時間の一七時半までには間に合うはずだ。


「なんだ。デートの誘いか?」


「なわけあるか。そうじゃなくて。ちょうど瀬ノ杏奈が出演する映画の試写会のペアチケットを貰ってさ……それでどうかなと。庄司、杏奈好きだったじゃんか」


「……ってまじで貰ったのそれ」


「う、うん……」


 庄司が凄いものでも見たかのように、目が見開いている。


「お前まじか。当選倍率かなり低いよなそれって。よくもまぁ、そんな大事なものを……んで、誰に貰ったんだ?」


「と、友達、から……」


 変だったか、と不安になる。答え方がかなりぎこちない。


 けれど庄司は、


「やばくね? お前の友達運よすぎだろ! オレだって何度も落選したのに。いいなー試写会観にいけんの」


 と、身を後ろ沿って大げさな反応を示した。


「それじゃあ――」


「だがすまんな、オレは妹といくと決めてるんだよ。どっちかつぅと、妹が杏奈好きでさオレはその受けよりだ。妹に『ペアチケットが当たったから、一緒に行かないか?』って誘えたらかっこよくね? それで今までの関係に戻れば……」


 ぶつぶつ……庄司が自分の世界に入り込んでしまってもはや聞いていない。


 どれだけ妹と行きたいシスコン野郎なのか、ちょっとだけ引いた。……いや結構引いている。


「……あ、ごめんな。そもそも、木曜日自体夏の大会に向けて練習しなきゃいけないから、どっちみち無理だわ」


 なら最初からそれを言って欲しかった。今までの下りはなんだったのだろう。


「そっか、もう大会近いもんな」


「おう」


 一口カレーを食べて、睦目は思い出した。


「そうだ。前にさ俺に時間あるって聞いたじゃんか。あれなに?」


「あー……なんでもない。気にしなくていいよ」


 そうして庄司は黙々と食事を続ける。本人が言うなら、こちらもそれ以上に言及する必要はない。


「ふーん」と鼻を鳴らし応えて、睦目も目の前のカレーに集中することにした。


 ――困った。本当に困った。


 睦目は一人、中庭を歩く。高校の教科書を調べようと、図書館へ向かっている最中であった。


 庄司とは放課後部活があるということで、講義棟の出口で別れた。いよいよどうしようか、考えを巡らせる。


 明後日までに見つけないと、折角のペアチケットがダメになってしまう。


 ここで自分が如何に周りの他人とコミュニケーションが取れていないか悔いた。


 友達グループを作っていたら、こんな悩まずに済んだのかもしれない。


 身の回りに居なければ、過去に頼るしかない。そう思って、LINEを開いてみる。


 中学の時の友達……高校の時の友達……。けれど、地元の田舎から離れたくて上京したため、距離的にも問題がある。


 最後に残るは――


 うーんと頭をうならせていると、木陰のベンチに座る優衣の姿を見つけた。


 優衣は片手で持ったスマホを太ももに置き、耳には無線イヤホンをしている。


 何か観ているんだろうか。邪魔しちゃ悪いと、気配を消しゆっくり通り過ぎようとしたその時。


「あ、陸目くん」


 優衣と目が合った。一瞬視線を下へ落とし指でスマホを操作すると、片方のイヤホンを外す。


「お、おはよう?」


「おはようって、昼間だよ? ほんとウケる」


 ふふっと微笑む優衣はどこか楽しそうだ。反射的に出た言葉だけれど、今になっておかしい事に気づき恥ずかしくなる。乾いた唇を舐めた。


「もしかして帰る途中だった?」


「ううん。図書館に行こうとしてて」


「ふーん。そうなんだ」


 間が生まれる。このまま会話がないのも変だと思い、睦目は口を開いた。


「なんの動画観てたの?」


 優衣がスマホ画面を見せてくれた。それは、瀬ノ杏奈が今出演しているドラマだった。


「これって、瀬ノさ……杏奈のドラマだよな」


 しかも最新話の。何気に課題で忙しくまだ観れていない。


「うん。知ってるの?」


「まぁそれなりに」


 小さい頃、瀬ノ杏奈という輝きに触れてから睦目は杏奈に夢中になった。


 ファン、というよりは憧憬と羨望に近い。睦目は杏奈のする演技が好きだった。


 家庭教師の立場上、そんなことを本人の目の前で伝えるわけにも行かず、ずっと自分の中で大切にしまっている。


「このドラマ、おもしろいよね」


「うん」


「とくにさ瀬ノ杏奈の泣く演技が上手すぎて私泣いちゃったもん」


「わかる。俺も観た時なんだろ、世界にのめり込みすぎて現実の境目がわからなくなったというか」


 杏奈の演技は、観る者全てを自身の世界へ引きずり込んでしまう。さながらピーターパンのようだった。一度心を鷲掴みにされたら最後、脱することはできない。


「そうそれ! 陸目くんも瀬ノ杏奈さんが好きだったなんてね。私驚いちゃった」


「そんなに驚くのこと?」


「うん。こんな共通点もあるんだなって、ついね」


 優衣の柔らかな笑みにつられて、思わず自分も微笑みを零した。


「睦目くんってもう最新話観た?」


「実はまだ……」


「なら一緒に観ない?」


「え?」まさかの提案に困惑してしまった。


 優衣は右に移動して、一人分の座れるスペースを作る。一瞬ためらったが、優衣の見つめる視線に促されてそっと隣に腰を下ろした。甘い香水のような香りが鼻をつついた。


「睦目くんはさ」

「ん?」

「……汚れとか気にする方?」

「別に気にはしないけど……」


 言ってて気がついた。同じ動画を視聴するには、つまり優衣がさっきまで着けていたイヤホンを共有しなければならない。


「あ、えっと、俺は自分の使うから――」


「それじゃあ結局変わんないじゃん。いいよ別に。私も気にしないし」


 優衣は左のイヤホンを黄色のハンカチで軽く拭き、すっと渡してきた。


 この状況にドギマギしながらも、それを受け取り左耳に装着する。少し、くすぐたかった。


 すると優衣は若干、こちら側――左によってきた。自分の膝が優衣の太ももに当たりそうな距離。そして優衣がスマホを握った右手を横にし、ちょうど二人が観れる位置へ持っていく。


 観始めて、最初こそ周りの目が気になったり、触れそうになったりで散漫になっていたが、段々と意識は画面の中、杏奈の演じるドラマへ水がコップに流れ落ちるように注がれていき、EDを迎える頃にはすっかり、ドラマの世界観に閉じ込められていた。


 現実世界に戻ったら日はさっきよりも傾き、足元から伸びる影もだいぶ長くなっている。


 はぁー、と感嘆のため息をつく。横目で見ると優衣もはぁー、と感慨深いようないくつもの感情が混ざった息を漏らしていた。


「……なんかすごいね」


「それ! もう来週待ちきれないよー!」


 優衣はそう楽しげに笑い、高く蒼い空を見つめる眼差しは、待ちきれない来週を望んでいるようだ。


 そんな優衣に、睦目は自然と言葉を口にしてした。


「ねぇ、水宮さん。もしよければ一緒に瀬ノ杏奈の完成披露試写会観にいかない?」

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