何もしないという拷問

うさだるま

何もしないという拷問

「皆様、お疲れ様でした。次が最終試験となります。頑張ってください。」


 そんな機会音が聞こえてきたのだ。

 そう。最終試験である。ここまで思えば長かった。

 国の要人を守るSPの卵として、養成学校に通い、比喩ではなく死ぬほどキツい訓練や恐ろしい教官からの指導を耐え抜き、仲間達の脱落を目の当たりにしながらも、同期中トップの成績で卒業。そして今、ようやく最終試験までたどり着いたのだ。

 一次試験は学力テストだった。だが、あんな問題、既に俺の敵ではなかった。勉強すればこれぐらいは余裕だ。

 二次試験は体力テストだった。シャトルランや水泳、懸垂に至るまで、体の隅から隅まで測定されたが、息が上がりながらもクリアする事が出来たのだ。

 さあ、最後はどんな試験なんだ?面接か?それとも健康状態とか?

 運動後で少しハイになった俺を待ち受けていたのは、沢山の机と椅子がお堅く並んだ『説明会場』と表現するのがピッタリな大部屋だった。前方にはマイクスタンドが立っており、当然マイクも取り付けられている。

 窓はなく、光は天井の照明のみ。音もない静かな空間。何かが充満しているのではないかと思うほど、重々しく、息苦しい空間であったのだ。

 俺は、案内書きに促されるまま、自分の試験番号の書かれた机まで行き、席に着く。

 他の受験者も後からゾロゾロとやってきて、席につき始めた。皆、今から何が始まるのかと不安の表情を浮かべている。俺もおそらく彼らと同じ顔をしていた。

 部屋いっぱいに筋肉だるま達が座ったころに、部屋の前方のドアが開き、細身の女性が入ってきた。メガネをかけた赤いリップの気が強そうな人だ。

 その女性はお上品にマイクスタンドを握り、こう言った。


「皆様。ここまでお疲れ様です。試験は30分後に開始致します。それまではご飯等、食べたりしてもらって構いませんので。楽な姿勢でお過ごし下さい。」


 女性はニコリと微笑み、会釈をして、入ってきた時と同じドアから出て行った。

 俺は、言われた通りに持参したサンドイッチとサラダチキンを食べた後、手洗いを済ませたりして、時間を潰した。

 彼女は30分後ちょうどに部屋の中に入ってきた。この部屋の自分も含めた筋肉達は既に食事を済ませ、皆行儀良く席についている。


「では、時間となりましたので、試験の説明に移らさせてもらいます。」


 ゴクリ。俺の喉が鳴る。


「最終試験は、〈待機〉となります。」


 ………待機?どういう事だ?


「正確には皆様がどれだけ、待つ事ができるかを測る試験となります。今から3時間。各々の席に座って待っていて下さい。私が3時間後この場所に戻ってきた時に、同じように待っている事が出来たなら、晴れて合格となりますので頑張ってください。トイレは各自、行きたい時に行ってもらって構いませんし、飲み物を飲んでも構いません。ですが、当然私語や携帯を触る、寝てしまう、飲み物等以外で試験に関係の無い物を机の上に出す行為は禁止となっており、もし守れなかった場合は即失格となりますのでお気をつけください。それでは試験を開始致します。」


 彼女はニコリと笑って言う。


「それでは、始め!」


 俺は内心、あまりの試験の余裕さに面くらいながら、部屋を出て行く彼女を目で追っていた。

 ただ待つだけ。待つだけで合格なのだ。こんな簡単な事はあるまい。誰だって、サルにだって出来るかもしれない。なんなら植物なんて、専売特許のようなものだろう。椅子に深く座り、たかを括っていたのだ。

 だが、30分後状況は一変する。

 眠いのだ。今までの人生で感じた事がないほどに。

 瞼を開けてられるのもやっとで、少しでも油断したら、額が机にくっつきそうだ。

 飯を食わせたのは、その為か。

 動かしていないスマホなんかと同様に、使われていない身体は速やかにスリープ状態に以降しようとする。

 息は浅くなり、瞬きの回数はどんどん増えていく。頭が重たくて仕方がない。

 俺は席を立ち、トイレに向かった。用を足しに行ったわけではない。顔を洗いにだ。

 急いで駆け込み、蛇口を勢いよく捻り、頭から水をかぶる。ゆっくりと首筋を水が撫でて、緩やかに眠気が引いていった。

 再び顔を上げた時には、びしゃびしゃに濡れた自分が鏡に映っている。俺はハンカチでできる限り、頭を拭き、重い足取りで試験会場に戻る。

 既に何人かは、脱落したようで、先ほどまで満席だった椅子にチラホラと空席ができていた。

 ………大丈夫だ。もう眠気はしない。落ち着け。あと大体2時間半耐えれば合格だ。

 俺は深呼吸をして、席に座る。

 もう既に、この試験は俺が想像していた物とは比べ物にならないほど凶悪性を秘めたものだと認識していたが、まだその認識すら甘かったと思い知らされる事になる。

 たった10分もしないうちに。

 気づいてしまったのだ。自分が暇をしているということに。

 無意識の内に、手遊びをしていたのだ。

 指を組み、親指を交互にクルクル回す。何の面白味もない行動に縋るように、してしまっていたのだ。

 ゾッとした。完全に無意識だったのもあるが、試験中、それも人生を左右するほど大事な試験の最中に手遊びをしてしまったことに、戦慄したのだ。

 これはただ待つだけではない。

 拷問だ。

 何もさせない退屈という名のれっきとした拷問なんだ。そうに違いない。

 歯が削れそうになるほど、噛み締め、両拳を握る。

 ここから逃げ出したいという感情を噛み殺すかのように歯を合わせる。

 受験者はみるみる内に数を減らしていった。

 皆、耐えられなかった。

 時計を見ると、まだ時間は2時間以上残っている。

 これがまだ2時間も続くのである。

 呼吸するたびに重たい空気が肺の中に溜まっていく。吐きそうだ。苦しい。誰か、俺をここから連れ出してくれ。何度願っても状況は変わらない。

 足が震えだす。貧乏ゆすりだ。止めようにも止まらない。静かな部屋に共鳴するように少なくなった受験者の貧乏ゆすりの音がかすかに響く。

 時計を見る。まださっき見た時から5分しか進んでない。

 時計を見る。まだ3分も進んでいない。

 思考だけが加速していく。今日の夜は何食べようか。ハンバーグなんかいいんじゃないか。中学で友達だったアイツ今何してんだろ。受かったら、寿司を食いに行くのもいいな。今朝の天気予報雨だったけど、帰り大丈夫かな。

 取り留めのない事が溢れ出す。

 それに比例するかのように、時の流れはゆっくりになって行くように感じる。

 苦しい。苦しい。苦しい。

 息は浅く、荒くなる。

 時計を見る。まだ1時間が経過したばかりだ。

 気が狂いそうだった。いっそ植物になれたら楽なのに。本気でそう思った。

 頭の中で何度も何度も面白い事や楽しい事を思い出そうと努力をするが、それも長くて10分くらいで、飽きてきてしまう。

 何度も暇潰しの為に、トイレに向かい、そして何もせず戻ってくる。

 その度に人は減っている。

 50人程度いた受験者は一桁まで数を減らしていた。

 ボッーと、意識を飛ばす事に集中をする。脳が働いていると暇で狂ってしまいそうだから。

 寝ないように、意識を飛ばす。

 目の焦点が合わず、よだれも垂れているが気にしない。何も考えるな。今はただ、暇を感じない事だけに集中するんだ。


「ここに残っている人は………1人、ですか。試験は以上となります。お疲れ様でした。」


 俺が意識を戻した時には、他の受験者は誰も居らず、俺だけが彼女の前に座っていた。


「………それって、合格したってことですか?!」

「はい。そうですよ。あと合格証明書を発行したら、それで、合格となります。」

「俺は耐えたんだ。廃人のようになってまで、耐えたんだ…!」

「では証明書を取りに行くので………」


 彼女はニコリと笑って言った。


「少々、お待ちください。」


 血管が逆立つ。鳥肌が立つ。歯の根が合わない。

 俺は彼女が帰ってくるよりも先にその場から逃げ出し、帰ってくる事はなかった。

 

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