第28話 本当に書きたい物


私は、感傷的な人間です。

感傷的なものが好きすぎて、身を持ち崩しかけたくらい感傷的なものが好きです。


なので、小説を書き始めた頃は、感傷的なものばかり出力していました。

オチも展開も読みやすさも未発達(今も未発達ですが)な当時でも、書きたい感傷的なラストシーンに向けてなんとか書き終える。

当時は携帯が執筆環境でしたので、本当に携帯小説ですよね。

思えば、当時は数千文字が書けたことで大喜びでした。


お友達に見せた後は、ピクシブかなにかに載せ始めます。

ほんの二桁いかないくらいのPVを見て、読まれたなぁと思うくらいの世界で生きてて、企画みたいなのに参加してみたりして、

そうやって、初めて「泣けた」ってコメントをもらえたときには、「届いたんだなぁ」と感慨深い気持ちになったのを覚えています。


私にとっては、この「届いたんだなぁ」をしたいがために創作をしているのだと、今さっきエビチリ食べながら思いました。

エビチリは美味しいです。海老マヨとの最強双子ツートップです。


「届いたんだなぁ」は、私にとってはおそらく、快感ではありません。

最初にもらった時も、嬉しいと言うよりは、意味があったんだなぁ、に近い気持ちでした。

なんなら、少し申し訳ない気持ちになるところさえあります。


それでも、「届く」ために創作したいと思うというのは、欲望として厳然と存在しているのは感じます。

なんなのでしょうね、これは。

生物的にみたら、かなり意味のわからない欲求な気がするのですが。


そう考えると、自分が本当に描きたいものは、本質的には、「感傷」そのものなのでしょう。

この感傷が誰かに届いて欲しい、ほぼそれしかない。それこそが結局は、創作上の報酬で、快楽なのです。


星がもらえることも、PVがとれることも、本質ではありません。

感傷で傷つけられる人の母数は増えてほしいので、評価は喉から手が出るくらい必要なのですが、これは手段であって目的ではない。

もっと研ぎ澄ませると、書籍化したりプロになったりするっていうことさえも、目的ではないと気づきます。

なれたら嬉しいけど、それはもっと偉くなれれば、もっと沢山の人を傷つけられるっていうためです。

とんだ殺人ロボですね。ニンゲン(感傷で)コロス。


んだから、売れてるジャンルに合わせるっていうのに対して、忌避感を覚えるのでしょうね。

本能が、それだと本末転倒だよっていうことを教えてくれてるのでしょう。

多分、流行りに乗れないとか、趣味で描いてるって明言してる方は、ほとんどの方が似たようなものなんじゃないかなと思います。


なので公募で賞を取ってる人とかを見ても、それを羨ましがるのは少しズレてる気もしてきます。

そいつが人を傷つけてるのを見て羨ましがるのならわかるけど(殺人ロボ的嫉妬)

公募に受かるってことは、商圏の動きをよく見て編集部を狙って目についてピックアップされたってだけのことで、ネットのある今、大半の人にとって、そこまでする必要あるかなっていう。


おそらく、私が作るものは小説でさえなくていいのです。

もし、脳から直接イメージが送れて、「このシーンいいよね!」って一緒に分かち合える技術が発展したら、そっちにあっさり流れると思います。


評価されること、売れること、それどころか小説を書くこと自体、実は手段であって。

人は他人になにかを共感してもらえると、死ぬほど嬉しい生き物なんだって。

そう感じました。


なので、私は年老いても、なにかを作ってるのかもしれないと思う。のです。

小説ではないかもしれませんが。

誰にも見られなくても、頭の中に共感してくれる読者を作って、感傷を世の中に撒き散らして満足する。


これは、感傷の毒にやられた末の中毒症状なのかもしれませんね。




十五分です。



えっ⁉︎ 感傷中毒者でも今から入れる保険があるんですか⁉︎

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