第22話 シャドーハウス
シャドーハウスという漫画をご存知でしょうか。
私は最近知りました。
全身真っ黒なシャドーと呼ばれるお嬢様に仕える、かわいくて元気なメイドのお話です。
いや、まぁそれだけで済ませられるような設定じゃないんですけど、一言で言うとそんな感じ。
これを最近知って、少し読んでバチハマりしてしまいました。
とにかくもう、主人公が可愛いのなんのって。
なんていうか、絵から感じる「こういうのが好(ハオ)」っていう作者の気持ちがビシビシ伝わってきて、素晴らしいのです。
ラムとかもう、ね。
好(ハオ)
だから、漫画を買って読んでたんですけど、
読んでると、なんでか少し悲しくなってきてしまいました。
別に、物語の流れが泣かせる感じになってるわけじゃないです。
むしろ、熱い謎解きとかバトル風の雰囲気を醸していくんですが……
なんか、「それが見たいんじゃなかったかも……」っていう気持ちに気づいたら、悲しくなっちゃったのです。
誤解の内容に言っておくと、シャドーハウスの展開は全然最高です。
全然別に破綻したところとかないし、ちゃんと引っ張るし、相変わらず絵は最高だし、こんなクソめんどくさ細かワナビー野郎でなければ、違和感なんか感じないでしょう。
でも、私は、その「間違いなく売れる」っていう展開になったことが、
解釈不一致だったのです。
シャドーハウスの一巻は、謎が散りばめられつつも、不思議なお嬢様とかわいい健気なメイドとのハートフルな日常もの、だったと思います。
それが、最大の魅力でした。私にとって。
謎に満ちつつつも、ただ一部屋の中で彼女たちが互いに刺激しあって成長していくのは、本当に愛おしい、「いいストーリー」でした。
でも、主題が謎解きになっていくにつれ、
ん?となっていく。
謎解きをして欲しくないわけじゃなかったんですが、
むしろ待ってたんですが、
でも、こうやってバトルチックになって欲しかったわけじゃなかったなぁ、と
自分の期待を自覚すると、そこに齟齬を感じたわけです。
もはや、作者も、そんな展開にしたかったんだろうか、とか。
もっと丁寧に、可愛いレースとかふわふわとか幼女とか、そういうのを書いていたかったんじゃないか、とか。
勝手にそんなことさえ思ってしまいます。
そうして、頭を傾げつつ本を閉じると、「ジャンプコミックス」の文字に目が行きました。
それでようやく、悲しみの原因に合点がいきました。
あぁ、ジャンプなのか……なら、仕方ないか……と。
シャドーハウスの展開がジャンプの文脈に載せられているから、違和感を覚えたんだとようやく気づきました。
誤解のないよういうと、ジャンプ私、大好きです。ジャンプで育ったと言ってもまじで過言じゃないです。
でも、もしシャドーハウスの「ストーリー的価値」を最大化しようとした場合は、
多分もっと違うアプローチが相応しかったんじゃないのかなと、思ってしまうのです。
ふわふわで優しく、二人の交流を中心にもっともっと時間をとってじっくりと、的な。
作者のやりたいこと、もっと濃ゆく見たかったなって、思ってしまうのです。
でも、同時に私は知ってもいます。
今のシャドーハウスの方が明らかに売れるってことを。
だって、明らかに引き伸ばしやすくて、続刊が出しやすいですから。
結局、シャドーハウスの「経済的価値」は、すでに最大化されているのです。
編集部は確かに最高の「価値を引き出す」仕事をしてるのです。
みんな、いい仕事をしてるし、それ以外の仕事はもう許されないようなシビアな世の中です。
だから、悲しいんだなと。
漫画の表紙を見ながら思いましたとさ。
15分です。
シャドーハウスは俺が買い支える。
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