妖の掛川百鬼夜行〜人間の俺が総大将!?〜

鈴木魚(幌宵さかな)

妖の掛川百鬼夜行〜人間の俺が総大将!?〜

「はぁー」

 俺は深く息を吐いた。

 この後に行う大仕事を考えると胃が痛くなってくる。

「何気負ってんだよ、総大将!リラックスしろよ!」

 そう言って、毛むくじゃらの手が俺の肩を叩いた。

「いや緊張するだろ!?俺は普通の男子高校生なんだから」

 すると先ほど俺の肩を叩いた奴は、なぜか嬉しそうに微笑んだ。

「謙遜するなって!お前は正真正銘の大妖怪ぬらりひょんの子孫なんだからよ!俺たちの百鬼夜行の先頭をバッチリ決めてくれよな!」

 大きな手の主、真っ白な体毛をした“尾白狐”はそう言うとガハガハと笑い出した。

 その声に呼応するように周囲から声が聞こえ始める

 バサバサ、ゲラゲラ、グハハハ、ケタケタ……

 俺はもう一度大きくため息を吐いた。


 静岡県の中央部に位置する掛川市で生まれ育った俺は、家から近いという理由で県立高校に進学をした。

 特に目立ったところもない、普通の高校生として生活していたのだが、ある日家にかかってきた一本の電話で俺の平穏な日常は一瞬で崩壊してしまったのだった。


 それは暑い夏の夜だった。

 俺は居間にあるソファーに寝転び、クーラーを浴びながら、漫画を読んでいた。

 午後十時を過ぎた頃だろうか。そろそろ寝ようかなーと思った時に、ジリリン、ジリリン……と廊下で固定電話がなった。

 クーラーのない廊下は暑いからあまり出たくはない。

 母さんが出てくれるだろうと、しばらく放置していたのだが、一向に電話は鳴り止まない。

 俺は仕方なく廊下に出て、電話の受話器を持ち上げた。

「はい、斉藤ですが、」

「……こんばんは。つかぬことをお聞きしますが、齋藤源十郎様はご在宅でしょうか?」

 しわがれた老人のような声が受話器の向こうから聞こえた。

「源十郎?」

 聞いたことのない名前を言われて俺は戸惑った。間違い電話か?

「いや、そんな人は家には……」

 そこまでいいかけて、電話の横にあるメモ書きが目に入った。

 それは、もう何年も前からあるメモ書きで気にもとめなくなっていたのだが、なぜかその時、そのメモ書きを俺は見たのだった。

 もしかしたら、源十郎という名前に引っ掛かりを覚えたのかもしれない。

 そのメモ書きは日焼けをして、少し文字が薄れていたが、

 

『重要 齋藤源十郎宛に電話がかかってきたら、齋藤美代子(母)に取り次ぐこと』


 母の丸いも字でそう書かれていた。

「あ、あの、少々お待ち下さい!」

 そう言って俺は電話の保留ボタンを押して母親の寝室に急いだ。

 何か胸騒ぎがする。

「母さん!母さん!」

 母はお風呂から出たところみたいで、パックを顔に張り付けて、就寝前のストレッチを行っているところだった。

「何?そんな急いで?」

「今、電話が……」

「電話?誰から?」

「いや、だれかはわからないんだけど、齋藤……齋藤源十郎さんいるかって」

「齋藤源十郎」

 その言葉を聞くと母の顔が強ばった。

「その電話、今も繋がっているのよね」

「うん」

 母は顔のパックをはがし立ち上がると、

「私が話してくるから、あなたはここで待っていて」

 そう言って寝室を出ていってしまった。

 ここで待っていろと言われても、電話の内容が気になって仕方がない。

 俺は寝室のドアをそっと開けて、耳を済ました。

 微かに母の話し声が聞こえた。

「はい、そんな急に……いえ、わかっています。……私から伝えますので、はい……」

 何の話しかはわからないが、その声色から察するにかなり深刻そうだ。

 どうしよう、ここで実は億単位の借金があるとか伝えられたら。

 俺はその声を聞いているのが怖くなって、寝室のドアを閉めた。

 しばらして母親が寝室に戻ってきた。

「悠一、話があるの」

 重苦しい雰囲気感じて、俺は居住まいを正して、畳の上に座った。

 好奇心と不安が俺の中に入り混じっていた。

 母親は俺の正面に正座して座ると、

「悠一にはいつか伝えないといけないと思っていたんだけど、まさかこんな形になるとはね」

「……何?さっきの電話が原因なの?」

 母は俺の問いには答えずに、まっすぐに俺を見つめた。

「悠一、これから言うことは絶対に他人に言ってはいけないわ。たとえどんなに仲の良い人でもよ」

「な、なんだよ、急に」

「いい?誓える?」

 有無を言わさぬ母の声に、俺は若干狼狽えた。今までそんな母の声を聞いたことはなかったからだ。

「いい?」

 念を押すように聞いてくる母に、俺は仕方なく頷いた。

 母は、ゆっくりと語り出した。

「よく聞いて。あなたは日本妖怪の総大将、ぬらりひょんの血を引いているの」

「……は?」

「齋藤源十郎はぬらりひょんだったの。だから悠一、あなたはね、ぬらりひょんの子孫なの」

「……えっと、母さん、大丈夫か?」

 俺は人生で初めて、実の親の頭の具合を疑った。


 数時間後、俺はソファーの上で頭を抱えていた。

 俺は妖怪ぬらりひょんを祖先に持つ家系で生まれたらしい。

 そんなファンタジーのような、どっかのなろう系小説みたいなことを突然言われても理解することなんてできなかった。

 しかも、なぜか今年、二百年ぶりにこの掛川という小さな町で、遠州の妖(あやかし)を集めた、“百鬼夜行”を開催したいというのだ、そのための会合に俺も参加しろという電話だったという。嘘だろ!?

 俺は一週間後に、その妖が集まる会合に出席しないといけないらしい。

 ドッキリ企画なら早く企画者出てこい!一発殴るから。

 そんな冗談みたいな話を信じたのは、母親もぬらりひょんの血を引いていて、

「実は私、数百年に一人の逸材って言われていたのよ」

 そう言って、目の前から煙のように消えて、次の瞬間には俺の後ろに現れてみせたからだ。

「この能力で歴代の彼氏の浮気を全部暴いたわ」

 そんな話を息子にするな!というようも理解の範囲を超えている。

 俺は世間の常識と目の前で起きたこととの擦り合わせが出来ず、一晩中ソファーの上で唸り続けた。


 それでも人間というのは逞しいもので、数日が経つうちに全てを受け入れた、というよりも俺は考えることを放置した。

 もうなんでもいいや!死のうと思うには馬鹿馬鹿しすぎる理由だし、理解するには常識が邪魔をする。

 なので考えるのをやめて、なるようになろうと思ったのだ。


「悠一、ちょっとこれ着てみて」

 全てを諦めるという悟りの境地に達した俺に、母親が声をかけてきた。

 その時には、妖の集会に参加する日が、もう明後日に迫っていた。

 母者は長細い木の箱を抱えていて、その箱を俺の前に置いて蓋を開いた。

 中には黒紋付の着物が一式と、黒光りする煙管が一本入っていた。

「何これ?」

「何って、集会に来て行く着物よ。源十郎の言付けで妖怪の集会・寄合に出席する時はこれを着て行くことになっているの。ほら、立って立って、合わせるから」

 なんて用意のいいご先祖様なのだろうか。

 俺は仕方なく、立ち上がり母に着付けをしてもらった。

 まずは袴を履くのだが、足を通した途端に長かった裾が意志を持った生き物のように俺の体型や骨格に合わせてサイズが自動調整されていく。

 中に着る長襦袢や羽織、足袋や雪駄まで、まるでオーダーメイドしたかのように、俺に身体にピッタリと収まった。

「初めて出したけど、この着物便利ねー」

 まずはこの現象に驚け!と思ったが、母は身体に合わせて伸縮した着物に興味津々だった。驚いている俺の方が馬鹿みたいだ。

「着てみてどう?」

「いや、どうって?別に変わったことはないけど」

「ほら、煙管も持ってみて」

「俺、高校生なんだけど」

「形だけだから、大丈夫よ」

 俺は箱に入っていた煙管を持ち上げた。

 銅(正確には羅宇(らお)という)の部分が漆黒の煙管は、吸い口と煙が出る雁首部分は銀色で、細緻な模様が施されていた。

「意外に様になるわねー」

 満足そうに頷く母の呑気さに溜息が出そうになるが、俺自身もまんざらでもない気がしてくるから不思議だ。

「大妖怪の子孫として、ビシッと決めてきなさい」

 そこだけはまだ飲み込めていないのだけど……と思いながら俺は曖昧に頷いた。


 そして、ついに週末がやってきた。

 約束の時間は「逢魔時」

 今でいう十八時頃で、昼と夜が移り変わる、この世の境界が最も曖昧になる時間らしい。古くから妖と出会う時刻とされていたという。

 まだ昼間の熱が残る街道を、地元商店街の“伊藤菓子舗のカステラ”と掛川の地酒“開運”を包んだ風呂敷を抱えて、俺は汗を流しながら掛川報徳社に向かって歩いていた。

 未だに現実味がなく、ふわふわとした気持ちになる。

「逢魔時」なんて名前がついていても、現代ではただの夕暮れ十八時過ぎ。

 林の中ではひぐらしが鳴いてはいるが、夏の空はまだ青く、とても妖が出るような気はしない。

「なんだかなぁ」

 俺は私立図書館横の道を通り、掛川報徳社にたどり着いた。

 一般の営業は終了しているが、正面の門は通り抜けができるようになっている。

 俺はなんの気負いもなしに、門の敷居を跨いだ。

「!?」

 その瞬間、周囲が夜になった。

 さっきまで明るかった空は黒く染まり、天高く赤い月が出ている。

 街灯の類は一切点灯せず、普段は解放されている報徳社大講堂の扉は閉じられ、その横には青白い火の玉が浮かんでいた。

 俺がいる世界とは、全く違う世界だということが肌感覚でわかる。

 自身の心臓の鼓動がやけに大きく感じられる。

 急に緊張をしてきて、眩暈がしそうになってきた。

 思わず引き返そうかと振り向いたが、そこには闇が広がるばかりだった。

「行くしかないのか」

 俺は胸元に入れていた煙管を強く握った。

「ご祖先さん、マジで頼むぞ」

 俺は大きく息を吐き出し、報徳社の大講堂に向かって歩を進めた。


 土足厳禁の大講堂前で雪駄を脱ぎ、俺は木製の引き戸の前に立った。

 中から音は聞こえない。

 一度大きく息を吐き、ためらいながらも俺は引き戸を両手で開けた。


「だから、言っているだろ!夜行は掛川城から大手門だと!」

「粟ケ岳を迂回することはできないズラか?」

「私は、海岸線を歩くルートを推薦いたし候(そうろう)」

「しかし、百鬼夜行とはなー。二百年ぶりかなー」

「掛川の妖だけで足りるのかえ?ほかの遠州の妖にも声をかけた方が良いのではないかえ?」

 扉を開けた途端に、たくさんの声が聞こえてきた。

 大講堂の中には座布団が置かれ、その上に様々な姿をしたものたちが座っている。

 大きな白い狐、お寺の釣鐘、巨大な石、粗末な着物を着た人物、お椀を持ったおじいさん等々。

 あまりにもバラバラな姿に呆気に取られてしまう。

「ん?お前誰だ?」

 俺の存在に気づいた白い狐がこちらをジロリと睨んだ。

「あ、あ、お、俺は、あの、齋藤源十郎の子孫で、今日の集会に呼ばれて」

「おぉー!お前が源十郎の子孫か。よく来たな!座れ、座れ!」

 破顔した白い狐は俺を招き入れると、戸惑う俺をよそに大講堂正面の上座を薦めてきた。

「いや、俺は隅の方で」

「なに言ってんだ、今日の主役はオメェだよ!」

 俺は渋々、上座に腰を下ろした。

 するとすぐにお椀を持ったおじいさんが近づいてきて、深々と頭を下げた。

「これは、齋藤源十郎のご子孫様。よくぞ、いらっしゃいました。私、掛川の怪異の一つ“富部(とんべ)の椀貸池(わんかしいけ)”と申します。ごうぞ、富部とお呼びください」

 その声は、電話の受話器の向こうから聞こえてきた声と同じだった。

「まずは、我々の自己紹介からいたします」

 そう言って、富部が座布団に座る、魑魅魍魎たちを、いや正確にこの状況を言うなら、種種雑多な面々というのかものかもしれない。

 それぐらい、妖なのかどうもわからないものが含まれていたからだ。

「こちらの白狐が“尾白狐”、そこの釣鐘が“無間(むげん)の鐘”、あそこの大きな石が“夜鳴き石”、僧の格好をした者が“空飛ぶ怪人”、赤い小石たちが“晴明塚”、あっちの石像が“原川(はらがわ)の薬師堂”、首のない武者姿が“十九首”、そこの桶の中が“口紅の鰻”となっております」

 妖を順に紹介をされたが、戸惑いの方が大きくて全く名前が頭に入ってこない。

「今回、あなた様をお呼びしたのは、特別な事情がございます。数ヶ月後の神無月の末日、この掛川で“掛川百鬼夜行”なる仮装イベントが人間によって行われることはご存知でしょうか?」

「え、あ、いいえ」

「そうですか。それなら軽くご説明をいたします。何やら昨年より、掛川の神無月に妖に扮した人々が城下の広場を徘徊する様が確認されました。我々が手を尽くして、調べたところ、何やら“掛川百鬼夜行”なる名を冠した行事らしいのです。そして、なぜか不思議なことにこの行事の開催以降、我々掛川の妖に多くの人間の信仰が集まるようになったのです」

「そうなんだよ!長く眠っていたんだがな、最近はどうだ!この力が激ってくるような感覚は!久々だ!」

 富部の話に被るように、大きな白狐の姿をした“尾白狐”が大声を上げた。

「俺たちへの関心が高まっているのズラ!」

 どこから声が出ているのかはわからないが、“無間の鐘”の方からそんな甲高い声がした。

「我なぞ、“えすえぬえす”なるものによって、多くの人間に噂されて候」

 赤い小石たちの“晴明塚”から男性の声が聞こえてきた。

「長く忘れていた感覚かなー」

 巨大な石である“夜鳴き石”からそんな声がしたかと思うと

「まことに、そうかえー」

 僧の格好をした者“空飛ぶ怪人”は、そう言って頷いた。

 そこからワイワイと、それぞれが口々に言いたいことを話し始めたから収拾がつかない。

「お主ら、待て、待て。まだ本題を説明しておらん」

 富部の言葉に一同が静かになる。

「して、我々は、“掛川百鬼夜行”なる行事に合わせて、本物の妖による百鬼夜行を行いたいと考えたのです。そこで、あなた様に是非、我々の百鬼夜行の先頭に立ち、我ら掛川並びに遠州の妖の先導をお願いしたいのです」

「……え、今、何って言った?」

 俺は混乱しすぎて、頭が痛くなりながらも辛うじて、富部の言葉を聞き取った。

 本物の妖の百鬼夜行を俺に先導しろ?

「あなた様に我々の百鬼夜行の大将として、先頭を歩いて頂きたい」

「いや、待ってくれ、先祖に妖怪はいるらしいが、俺は普通の人間なんだが。そんなの妖の中で決めればいいでしょう?」

「ご意見はごもっともでございます」

 そういうと富部は俺の前に座った。

「しかし、我々は掛川という地域に土着する“しがない”地方の妖でございます。百鬼夜行を率いるなど、完全な役不足なのであり、多くの妖たちが納得いたしません。そこであなた様なのです。正当な日本の大妖怪ぬらりひょんの血を継ぐ、あなた様ほどふさわしい方はおりません。どうか我々にお力をお貸しください」

 そういうとう深々と俺に向かって頭を下げた。

 同じように、周りにいた妖たちも頭を下げ始めた。

「どうか、頼む!こんな機会もうないんだ!」

「旦那様にしか頼めないのズラー」

「力が漲っている今しかないので候。どうか、どうかご慈悲を」

「百鬼夜行なんてもう二百年ぶりなんだなー。お願いだなー」

「我々が行う百鬼夜行は人間に厄を与えるものではないのです。土着の妖は人間と共に生き、育ってきました。この百鬼夜行を通し、掛川の地の更なる発展を願っているのです。どうか、お力を」

 必死に頼んでくる妖たちのことが、俺は少し可哀想に思えてきてしまった

 俺は頭を下げる面々を見つめた。

 絶対にやりたくはないのだが……。

「くそ!」

 その源十郎とかいう祖先を呪うしかない。

 こんな数奇な役目を子孫に託すなよ!

 俺は大きく息を吐き出した。

「……わかりました。協力します」

 そう言った途端に、建物が揺れるほど歓声が妖たちから上がった

「ありがとうございます!」

「二百年ぶりだー!!」

「おぎゃ!おぎゃ!」

「嬉し泣きで候」

「祝いだー!酒を出せ!!」

 そこからはもう、経験したことのないようなどんちゃん騒ぎになった。

 大講堂内にお酒や食べ物がわんさかと運び込まれて、飲めや歌えの大騒ぎ。

 俺がそこで、手土産のカステラと地酒を渡してしまったのも、盛り上がりに一役を買ってしまったのだが。


 俺は隙を見て、講堂の外に出た。

 中にいると飲めないと言っているのに酒を勧められるし、相撲を取ろうと言われるので、逃げてきた。

 ほっと息を吐き、報徳社の入口の階段に腰掛けた。

 相変わらずの闇と静寂。

 俺はこれからどうなるのだろうか?

 そんなことを考えながらぼんやりとしていると、隣に気配感じた。

 嬉しそうな顔をした富部が、隣に座っていた。

「我々のご要望をお受け頂き、ありがとうございます」

「うん、まぁ、乗り気ではないけどね」

「ありがたい次第です。もしよろしければ、これを」

 そう言って、富部が俺に小さなお椀を渡してきた。

「ささやかですが、これは私からのお礼でございます」

「ありがとう」

 俺はお椀を受け取った。

 手に収まる大きさの立派な漆器だった。

「当日まで、ご苦労おかけすると思いますが、よろしくお願いします」

そう言うと富部は深々と頭を下げた。

「いや、そんなに期待されても困るんだけなぁ。まぁ、がんばってみるよ」

こんなに喜んでいる姿を見たら、今更断ることもできない。

 百鬼夜行の先頭に立つのは緊張するが、言ってしまえばそれだけのことである。

 俺は勢いをつけて、立ち上がった。

「まだ、中は盛り上がっているみたいだけど、母さんも心配するし、そろそろ帰えるよ」

「そうですか、わかりました。皆には私から伝えておきますので。どうぞ、そのまま真っ直ぐに正門をお通りください。」

 富部に手を振られてながら、俺は暗闇に包まれている報徳社の敷地を進み、正門の敷居を越えた。

 その瞬間、あたりが一瞬で夕暮れ時の風景に変わっていた。

 先ほどまでの静寂は消え、ひぐらしが鳴き、目の前を原付が音を立てて走り去っていった。遠くでは犬の声が聞こえている。

 俺は慌てて後ろを振り返った。

 そこには西日を浴びて、橙色に染まった掛川報徳社が佇んでいるばかりだった。

 暗闇も、燃える鬼火もなく、ただ見慣れた景色が広がっている。

「夢だったとかは……」

 そう思ったのだが、俺の右手には漆器のお椀が握られていた。

「これが妖なのか」

 俺はしばらくその場に立ち尽くした。


 そこからの日々は俺にとって忘れがたい記憶となった。

 いや、もうトラウマと言ってもいい。

 百鬼夜行の先頭に立つだけだろうと鷹を括っていたのだが、連日連夜、俺の家の電話は鳴りっぱなしだった。

「総大将殿!夜泣き石と蛇身烏(じゃみちょう)という妖が揉めております!」

「隣町から百鬼夜行に参加したいという妖たちが総大将にお目通りしたいと言いておるで候」

「おぉ!総大将!今から伏見稲荷(ふしみいなり)で呑むんだが、一緒に来ないか!」

「百鬼夜行のルートの確認をさせて頂きたい」

 いつの間にか俺の名前は総大将になっていて、大小様々な連絡が俺のもとに寄せられるようになっていた。

 俺は何度「いい加減にしろ!」「やめてやる!」と叫んだかわからない。

 その度、妖たちに泣いて止められ、膨大な量の供物が詫びの品として家に届けられたりした。

 怒鳴り、苛立ち、葛藤し、喧嘩し、泣き、呆れ、笑い、疲れ、喜び……そんな目まぐるしい時間はあっという間に過ぎていき、気がつくと明日が百鬼夜行の決行日となっていた。


 俺は、自室で天井を見上げて寝転んでいた。

 怒涛の日々を過ごすうちにここまで来てしまった。

 俺は明日、本当に妖たちの百鬼夜行を率いるのだろうか?全く実感がしない。

「今からバックレることできないのかなー」

 独り言を呟き、ぼんやりしていると、一階から母の声がした。

「悠一!お客様よー」

 客?

 時計を見れば、もう二十三時を回っている。

 また妖の奴らなのかもしれない。

 このまま居留守でも使おうか、と考えていると二階の部屋の窓が空いた。

「よぉ!総大将」

 窓から顔を出したのは尾白狐だった。

 窓から大きな狐が顔を出す状況はかなり異常だが、この数ヶ月で妖の姿には見慣れてしまった。

「いよいよ、明日だな!」

「あぁ、うん、そうだな」

「そこでだ、どうだ、ちょっと夜の空から掛川の街を見に行こうぜ!」

 尾白狐はそう言いながら、自分の背中を指差した。

「いや、俺はいいよ」

「そんなこと言わずに、行こうぜ!生身で空を飛ぶなんて、普通の人間には一生できない経験だぞ!」

 俺は少し考えた。

 確かに妖の背中に乗って空を飛ぶなんて、こんな状況にならないと経験できないものだろう。そして、それも明日までなのだ。

「うー、じゃあ、少しだけ行こうかな……」

「そう来なきゃ!」

 俺は立ち上がると、階段下に向かって呼びかける。

「母さん、ちょっと出てくるよ」

「なるべく早く帰るのよー」

 母からの応答を聞いた後、俺は窓から身を乗りした。

 尾白狐が俺の体を前足で受け止めて、自身の背中に乗せた。

「毛にしっかり、つかまっていろよ!」

 そういうと、尾白狐は空中を後ろ足で蹴り上げた。

 俺を乗せた尾白狐の体が空高く舞い上がっていく。

 家の屋根を越え、電線をかわし、十メートルほどの高さで止まったかと思うと、

「いくぜー!」

 尾白狐は脚をばたつかせ、夜の空を走り始めた。

 眼下に掛川の街の明かりが輝き、夜風が頬を撫でていく。

「気持ちいいなー」

「へへ、そうだろ!これが俺たちの街なんだぜ!……なぁ、総大将、明日の百鬼夜行の前は、これだけは言っておきたいと思っていたことがあるんだ」

「ん?何」

 遠くに掛川グランドホテルの明かりが見え、ライトアップされた掛川城が輝いている。

「いや、なんだ、その……ありがとうな!」

「え?」

 俺は眺めていた風景から思わず尾白狐に視線を戻した。

 今、ありがとうって言った?

「いや、実はな、俺は最初、お前がそんなにできる奴とは思っていなかったんだ!だがな、この数ヶ月を見てみろ!数多の遠州の妖が集まり、掛川中が熱気に満ちている。俺は嬉しいんだ。こんなことは数百年の間にはなかったからよ。感謝しているぜ!」

 尾白狐はそう言うと、少し照れくさそうに口角を上げて笑った。

 ここ数ヶ月の間の出来事が俺の頭の中に、走馬灯のように浮かんできた。

 なんで俺がやらなきゃいけないのか?投げ出したいと何度も思い、それでもため息を吐きながらやってきたこと。

 妖たちの顔、笑い声や感謝の言葉。

 目から涙が流れそうになって俺は、顔を尾白狐の背中に押し付けた。

 ふわふわとした体毛が顔に触れる。

 俺は誰のために、なんのために頑張ったのだろうか?

 わからない。

 だけど、心の奥に詰まっていた何かが融解していくのを感じた。

 尾白狐は大きく一声鳴くと、掛川中を大きくゆっくりと旋回し始めた。

 掛川城、粟ケ岳、小夜の中山、大東の海岸……。

 俺は声を殺して、尾白狐の背中で泣いていた。


 次の日の夕方、俺は掛川城と逆川の間にある側道にいた。

 ちょうど側道の真ん中部分に一部城壁が窪んでいる所があり、周りからは見えにくい場所になっている。

 妖たちの姿は周囲の影に混じり見えないが、何十もの異様な気配が辺りに漂っている。

 俺は黒紋付きに、雪駄履き、頭から被衣(かつぎ)という薄い着物を被り、顔バレ防止用に鬼のお面を付けていた。

 今日は“掛川百鬼夜行”という仮装イベントがあるから良いが、普通にしていたら浮いてしまうような格好だった。

 俺は胸元からスマホを取り出して、時間を見た。

 まもなく十八時。

 俺は大きく息を吐き出した。

「何気負ってんだよ、総大将!リラックスしろよ!」

 そう言って、尾白狐が俺の肩を叩いた。

「いや緊張するでしょ!?俺は普通の男子高校生なんだから」

「謙遜するなって!お前は正真正銘の大妖怪ぬらりひょんの子孫なんだからよ!俺たちの百鬼夜行の先頭をバッチリ決めてくれよな!」

 尾白狐はガハガハと笑い出した。

 その声に呼応するように周囲から声が聞こえ始める

 バサバサ、ゲラゲラ、グハハハ、ケタケタ……

「総大将殿、そろそろお時間ですぞ」

 すぐ隣に富部がやってきて、俺に鬼火が灯った提灯を手渡した。

「今日まで本当にありがとうございました。晴れの大舞台、楽しんで参りましょう」

「あぁ、そうだな」

 俺は、鬼のお面を被り直した。

「……はぁ、もう腹を括った。よーし、お前ら行くぞー!」

 俺の声に周囲の気配がざわめき立ち、影から影に異形の者たちが動き出す。

 俺はそんは気配に背中を向けて、掛川城の南東に位置する大手門を目指し、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 遠州掛川の歴史に刻まれる、妖たちの百鬼夜行がここに始まる。


fin


*こちらは怪異物語創作コンテスト「掛川百鬼紀行 第二幕」に投稿作品です。

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