小さな変化 3

「セレア、俺がいない間、無理をしないようにね」

「ジル様、それ、もう十回くらい聞きましたけど」


 玄関扉の前で名残惜しそうな顔をして振り返るジルベールに、セレアははあとため息を吐いた。

 ジルベールは三か所すべての瘴気溜まりのあった場所を確認するそうなので、今日から一週間以上も不在にすることになる。

 魔物が影響などで一部封鎖されていた街道が使えるので、それぞれの場所まで最短ルートで向かえるそうだが、それでも広大な公爵領だ。どんなに急いでも数日で戻るのは不可能だった。

 ジルベールは一週間以上もセレアから離れるのが不安で仕方がないらしい。


(まるでやんちゃ期の子供みたいな扱いだわ……)


 目を離すと何をしでかすかわからないと警戒されているに違いないと、セレアはむっと口を尖らせた。


「母上もセレアから目を離さないようにしてください。おとなしくしておけと言っても、言うことを聞くような大人しい性格じゃないんです」

「はいはい。セレアちゃんが心配なのはわかるけど、あんまり束縛が強いと嫌われちゃうわよ」


 ロメーヌがくすくすと笑った。

 束縛が強いと言うのなら、これ以上ないくらい束縛されている気がするが黙っておく。タウンハウスでは軟禁状態でしたと言うとロメーヌがひっくり返るかもしれないからだ。


「それから母上。セレアを邸の敷地外へ連れ出さないようにしてくださいね。買いたいものがあれば取引のある商会を呼びつけるようにしてください。くれぐれも取引のない商会の人間は邸に入れないように。それから……」

「わかっているわ。もう何度も聞いたもの。まったく、あなたのその心配性は一体誰に似たのかしら。いいから早く行ってらっしゃい」


 まだまだ続きそうなジルベールの注意を遮って、ロメールが軽く手を振った。

 ジルベールはまだ心配な顔をして、今度はセレアの側にいるニナに視線を向けた。


「ニナ、くれぐれも頼む。それからやっぱりモルガンを置いて……」

「モルガンはあなたの補佐ですからダメですよ」


 連れていく予定のモルガンを置いて行こうとするジルベールに、ロメールはあきれ顔で、とうとう彼の背中をぐいぐい通して玄関の外に追い出した。


「セレアちゃんのことはわたくしが見ていますから、安心していってらっしゃい」

「わかりました。わかりましたから押さないでください母上! セレア、何度も言うが、おとなしく――」

「わかってるってば。邸の敷地の外には出ない、長時間歩き回らない、少しでも体調が悪くなれば安静にしておく、危険なことはしない、一人で部屋の外に出ない、何かあれば魔術師に言ってジル様に連絡を入れてもらう。これでいいんでしょ?」


 耳にタコができそうなほどしつこく繰り返されたので、すっかり覚えてしまった。


(まったく、どこまで信用されてないのかしら?)


 言われなくても無茶なことはしないのに、これだけ注意をしてもジルベールはまだ心配らしい。

 覚えたことを繰り返したのに、何故かジルベールは不安そうな顔になって、ロメーヌを振り切って戻って来た。


「やっぱり心配だ。君の体調を考えると連れていけないが……せめてこれを持っていろ」


 ジルベールが自分の左腕にはまっていて細身のシンプルな腕輪を外して渡してきた。


「何これ?」

「魔術具だ。それをはめておけば追跡魔術でどこにいても居場所がわかるようになっている」


 すると、ロメーヌが額を抑えて嘆息した。


「ジルベール、あなた……それは代々レマディエ公爵家の当主に受け継がれるものじゃないの」


 なんと、ジルベールが渡してきたのは、レマディエ公爵家の家宝みたいな代物らしい。

 魔術具というものが世の中に存在していることは知っていたが、それはどれもとても高価なもので、一つ作るのに膨大な知識と莫大なお金、それから何人もの優秀な魔術師が必要だと言われている。そのため世間一般には流通していないものだ。

 反射的に腕輪を受け取ってしまったセレアは、唖然として突き返そうとした。


「壊したら人生が終わりそうな高価なものなんて持てません!」

「何を馬鹿なことを言っているんだ。とにかくそれを持っていろ。何かあったときに君の居場所がわからないと不安だ」


 いやいや、それを言うなら、今から外出するジルベールにこそ必要なものではなかろうか。邸の中でのんびりしながら彼の帰りを待つセレアに必要なものとは思えない。

 突き返そうとしても受け取らないジルベールにセレアは弱り切ってロメーヌを見た。

 ロメーヌが肩をすくめる。


「セレアちゃん。あきらめてジルベールが帰ってくるまで持っていてくれるかしら。それをセレアちゃんが持っていると安心するみたいだから……」


 困った子、と頬に手を当ててロメールが苦笑する。

 瘴気溜まりがなくなり、魔物もほとんど片付いた今なら、ジルベールがこの腕輪をせずに外出しても問題ないだろうとロメーヌが言う。あくまでこれは万が一の時に当主がどこにいるかを探るために使われていたらしい。これがあったから、魔物に襲われて命を落としたジルベールの父の遺体もすぐに発見できたという。


(ってことはこれはジル様にとってお父様の形見ってことでしょ? そんな大事なものを預かっていいのかなあ……)


 本当に壊したらどうしよう。

 セレアがじっと腕輪を見つめていると、ジルベールは「それを肌身離さず身につけておくように」と言って、ニナに必ず身に着けさせろと釘をさすと、ようやく玄関の外に停車させていた馬車に乗り込んでくれた。


「じゃあセレア、いい子で待っていろよ」


 馬車の窓から顔を出してジルベールが繰り返す。

 セレアはやれやれと息を吐いて「はぁい」と疲れた声で返事をした。




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