第41話 大和守家の終焉

天文18年(1549年) 12月 尾張南部庄内川

 織田 孫三郎(信光) 自称官位:豊後守


 庄内川沿いに群生した背の高いイネ科の植物の合間に身を潜めていたのは、那古野城の武士達――、ではなく、末森・守山といった織田信秀に仕える家臣達。


 その中で最も立派な甲冑を身に着けた男の名は、織田孫三郎(信光)。戦上手の弾正忠(信秀)の弟であり、その人自身も先の今川とのいくさ・小豆坂の戦いにおいて勇名を馳せた武人である。その人となりを一言で表すならば、豪放磊落。腕っぷしも強く、気さくな性格から諸将からも慕われる存在だ。


 ただし、信光のそんな性格とは裏腹に、政治的センスも武芸同様に優れていた。家中において武闘派ではあったものの、権力バランスに敏感であり、織田玄蕃(秀敏)や林佐渡守(秀貞)、村井吉兵衛(貞勝)といった文治派の諸将との交流も深い。


 そんな信光だったが、家督に対する執着はなく、兄弟間で家督や権力争いが起こるような時代であっても、常に兄・信秀の片腕として弾正忠家を支えた。むしろ、そうした重荷は兄に任せ、自分はいくさで槍を振るっている方が性に合っている……。そんなことを思うほどであった――。


 「本当にここに大和守殿がやってくるのでしょうか。川を渡れる場所はほかにもいくつか御座いますが……」


 訝しげな表情で織田信光にそう問いかけたのは勘十郎付家老の柴田権六(勝家)。


 若くして兄上に仕え、下社城主として武勇に優れた権六は大事な甥っ子織田信行の養育も任されている。最近は家督相続の件で少々きな臭い家中ではあるが、勘十郎の事を一番に考える権六自身の忠誠心は本物。性格的にもこの男は搦手など使わない、良くも悪くも愚直で素直な男だ。


 「あぁ、そうだな……。ここを通るってことは間違いないそうだ。三郎から大和守家の内情について逐一報告があってな」

 「三郎様にそのような伝手が……」

 「ふっ……。三郎がそんな情報を手に入れられるのが意外か? 」

 「い、いえ。そういうわけでは……」


 俺への返答とは裏腹に、家中でうつけ殿と噂が流れる三郎にそのような伝手を持った家臣がいるとは意外だといった表情を見せた権六。勘十郎を担ぎ上げ、三郎を軽んじる風潮が色濃い場所に居る権六からすれば、こうしたことも意外なのかもしれんな。


 三郎付家老でありながら、勘十郎のところによく出入りしている林佐渡守(秀貞)やその弟の美作守(通具みちとも)と権六はよく顔を合わせているはずだが、普段からいったい何を吹き込まれているのやら……。


 「権六よ。お主は勘十郎付家老ではあるが、弾正忠家の家臣だ。その視野は広くなくてはならん。今の主人……、勘十郎に尽くすのは良いが、盲目になってはいかん」

 「ははっ……」


 俺は弾正忠家の家督相続については兄上が明言していない以上、特定の甥子おいごの家督相続を支持するつもりはない。兄上が危篤状態とはいえ、回復する可能性がある以上、俺が発言することで家中に余計な混乱をもたらしかねないからだ。


 だが、大っぴらに表明はしないが、長幼の序に勝る家督継承はないとも思っている。かつてそれを破って繫栄した御家があっただろうか……。


 兄上も早々そうそうに跡継ぎを家中に示してくれれば良いのだが、三郎嫌いの奥方(土田御前)に気を遣ってか態度が煮え切らぬ。兄上が早いうちから三郎の才覚に気づき、那古野を任せ手元から離したことも、かえって土田御前や勘十郎を担ぎ上げる家臣達が好き勝手をする機会を作ることになってしまった。


 これまで親父(織田信定)から兄(信秀)が弾正忠を継ぎ、それを俺が支えて弾正忠家が大きくなったことを考えれば、それと同様に、三郎が後を継ぎ、勘十郎が支える――、そんな兄上の理想が実現すればこの上ないのだが……。


 「おや……。どうやら守護様にも俺達と同じ情報が届いているようだ」


 その後も俺は権六と話をしていると、萱津の方面から庄内川を渡ってくる一向が目に入った。小者が担いだ豪華な装飾の輿を数人の武士で護衛して川を渡ってくる。輿に座していたのは尾張守護職・斯波義統よしむね様だった。


 「このような場所に輿に乗って守護様自らやってくるとは……。流石に守護様が居る目の前で大和守と戦などできませぬね」

 「それはどうだろうな」

 「……と、言いますと?」


 付家老とはいえ、権六は文治派ではなく武闘派。戦働き以外の搦手――、特に忍びを使った裏工作には疎いようだな。一部の武士には乱波らっぱ透波すっぱ、草などと蔑んだ呼び方をする者も居るが、この者たちの有無でいくさも外交もやり方が全く異なるほど。勘十郎陣営でそうしたことをやっておるのは美作守(林通具)あたりだろうか。


 これまで弾正忠家にはそうした伝手がなかったが、近頃、三郎は左近将監滝川一益の滝川忍衆を使って尾張国内から情報を集めているらしい。無論、それには守護様のおられる清洲館も含まれる――、つまり、あの方斯波義統がここへ現れることも三郎にとっては承知の上ということだ。


 「此度の戦に際して策を弄したのは全て三郎だ。ここに潜んで大和守の軍勢を待つように言ったのも三郎から……。守護様の事も大方おおかた、策の一部なんだろう」


 権六と話してわかったが、此奴こやつは勘十郎を当主にして自分が弾正忠家の要職に就こうという野心はないようだ。あくまで付家老として勘十郎に忠を尽くし、主人のためにその手腕を振るうだけとのこと。それに、権六自身、兄上織田信秀が勘十郎を跡継ぎとして指名するならまだしも、率先して御家騒動を起こすのは憚られるという考えだ。


 どうやら、さかんに勘十郎や土田御前に弾正忠家の家督を継承すべきだと主張しているのは、林兄弟や津々木蔵人といった他の近臣達。とはいえ、勘十郎がそういった考えに賛同するようになれば、権六一人では諫めきれぬだろうがな……。


 「三郎様にそのような手腕が……」

 「意外か? 」


 此奴には言わなかったが、この策を採用したのは確かに三郎だが、献策自体は三郎お気に入りの蟹江城主――、鉄砲撃ちとして家中で頭角を現した滝川左近将監だ。とはいえ、この滝川を召し抱えたのも、そして重用しているのも三郎であるからして、その功績は三郎のものと言ってよいだろう。


 「ははっ。申し上げにくいことではありますが、普段、佐渡守林秀定殿は三郎様の事をよく言わないもので……」


 たしかに三郎は、袴も履かずに野駆けや市中の破落戸と相撲を取るなど破天荒な行いも多く、武家嫡男としての振る舞いに欠ける部分はある。


 しかし、話してみれば頭が悪いわけでも、武芸を疎かにしているわけでもない……。むしろ、兄上や俺と対等に政務や対今川の戦略の話ができるほど賢く、橋本刑部(一巴)と共に滝川から火縄銃の扱いを習うなど武芸にも関心がある。


 ただそういった話や態度を出すのは俺や兄上の前だけで、彼奴あやつは家臣達には示さない。示さなくても良いと思っているのか、あえて示さぬのか――、自身の傅役平手政秀にすらその破天荒ぶりを心配される始末だ。


 俺が「なぜ嫡男らしからぬ行動をするのか」と三郎に問えば、「俺の好きにやっておるだけだ」と答えが返って来るのみ。そうした態度を見かねた筆頭家老の林佐渡守秀貞も三郎のもとを離れ、いつのまにやら家老すらも見放す"うつけ嫡男"といった噂が尾張周辺へと広がってしまったのだ。


 「良い機会だ。この策も含め、権六自身の目で噂のことなどいろいろと確かめるとよい」

 「はっ……」


 俺と権六がそのような会話をしている間に守護一行は川を渡り切り、渡し場をさえぎるように立ち止まった。そして、暗くてよく見えぬが那古野の方から列をなした清州勢がやってくるのもかすかに見えた。


 やはり滝川忍衆の情報通り、大和守がこの道を通るというのは本当だったようだ。情報伝達の正確さとこの速さ……。三郎は尾張国内に滝川忍衆とやらをどれだけ配しているのだろうか――、その優秀さと有用性に気づいた俺は身が総毛だつのを感じた。


 実際には、織田信長に仕えることを見越していた滝川一益が先手を打って、信長の歴史に関連するあらゆる主要な御家に対して畿内・志摩時代から配下を忍ばせていただけなのだが――、信長と信光はそのような事は知る由もない。


 滝川忍衆の情報収集能力とそれを上手く用いる信長の度量に織田信光と柴田勝家が感心していると、金切り声と言ってもよいほどに声を張り上げ、大和守を糾弾する言葉を吐き続けていた守護・斯波義統の声がぷつりと途切れた。


 「や、大和守が守護様に矢を放っておりまする……」


 此度の出陣に際して信光とともに行動していたのは、春日井に領地がある中条家の中条小一郎(家忠)、同じく春日井郡上野城主・下方貞清、井関城主佐々政次の弟・佐々孫介といった歴戦の武将達。


 そのなかで遠目が効く佐々孫介が狼狽の表情と共にそう叫んだ。ただ、孫介が気づいた時にはすでに遅く、信光らが目を向けると、輿の周りにはべっていた武者達の混乱が良く見えた。


 「守護様は輿に倒れ込み、動きませぬ……。それに加えて大和守の軍勢が輿に向かって進軍しております」

 「まさかこのようなことが……」「大和守が主人あるじを討つだと? 」


 中条小一郎や下方貞清といった戦慣れした者達であっても孫介の報告、そして目の前の出来事に衝撃を受けずにはいられなかった。


 大和守が行ったのは主殺しゅごろし――、いくら人の命の価値が軽い戦乱の世であっても、尾張守護職をその手に掛けたことは皆にとって衝撃的な出来事だった。


 「三郎め……、これは想定の内だったのか? 」


 孫三郎信光はそう呟くと共に小さな溜息を洩らした。


 突如、目の前で起こった厄介事。信光は、「主戦場は那古野城。故に叔父上は何かあった時の後詰として備えてくれればよい」などと甥っ子織田信長に言われて安請け合いをしたことに後悔した。


 守護・斯波義統がこの場所にやって来た時点で信光が考えていたシナリオは、あくまで今川との密約が露呈したことによる大和守のまで。それに対して大和守は素直に受け入れるか、または言い訳でもしてこの場だけでも乗り切るのではないかと考えていたが――。


 信光が此度率いるのが寡兵とはいえ、守護代による主殺という大罪を目にしながら守山城に退いたと尾張国内に噂が立てば、弾正忠家にも累を及ぼすことにもなりかねない……。敵が大和守家の主力と言えど、弾正忠家の大将として不義不忠のやからと一戦も交えずに退くわけにはいかぬ。


 「孫介っ!! お主は手勢佐々家を連れて川沿いに進み、守護様と従者達を守れ。あの様子では厳しいが、まだ息があるやもしれぬ」

 「はっ!! 」

 「権六と中条殿は手勢を率いて俺と共に先頭の大和守を狙うぞ。下方殿は迂回して隊列の横っ腹を突いてくだされ」

 「「ははっ!! 」」


 よく見れば大和守の足軽達も主人の行動に驚いている様子。皆の総意で起こした騒動ではないと見える。大和守め、なにか気が大きくなるような事でもあったのか……。


 「大和守の主殺しゅごろし許すまじ。足軽達にはこう叫ばせよ。『大和守に加担するものは一族根絶やしだ』とな」

 「「ははっ」」

 「なに。罪人は大和守のみ。他の者は退けば許すと吹聴すれば自然と瓦解がかいしよう」


 俺の言葉に納得したのか、諸将の顔つきに余裕が見られた。おそらく手際の良い三郎と滝川であれば、大和守の軍勢に幾人か忍衆を入れているはず。我等が戦場で主殺を吹聴してまわれば、それに呼応して内側から混乱を起こしてくれるだろう。


 「目指すは大和守の首一つ……、かかれっ!! 」

 「「おぉっ!! 」」


 兄・信秀に代わって織田大和守信友を討つことを決意した信光ら弾正忠家の諸将達。気づけば月を覆っていた積雲が過ぎ去り、川幅広い庄内川を照らしていた。


 戦況は信光の思惑通り、大和守の配下から一人、また一人と、まるで主殺の汚名から逃れるように逃亡する兵らが続出する。無論、大和守家の手勢に紛れ込んだ滝川忍衆がその混乱に拍車を掛ける役割を果たしたことは言うまでもない。


 「大和守、ご覚悟っ!! 」

 「下郎めっ。小癪なっ」

 「中条殿、助太刀いたす!! 」


 大和守家の手勢が混乱に陥るなか、織田三位、河尻左馬丞与一の護衛を掻い潜った柴田勝家、中条小一郎の白刃が大和守家当主に迫った。


 果たして織田大和守信友が渡るのは、目の前に流れる穏やかな庄内川の平瀬ひらせであろうか。それとも三途の川の浅水瀬さんすいせ、はたまた、ごうごうと激しく流れ、岩と共に罪人を砕き流す強深瀬ごうしんせ(江深淵)か――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る